SWITCHEESE スウィッチーズ

空白透明

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 チーズは好きだろうか。そう、チーズだ。動物の乳を発酵させてつくる加工品だ。

 例えば世界中でチーズが好きな人とそうでない人がいるとしよう。ざっくり半数ずつ。いや待て。どうだろうか。なんとなく好きな人の割合の方が多いような気もするためやっぱり七対三としよう。そして核兵器によってたまたま、その七の割合のチーズ好きが滅んだとして、残りの三の人たちはチーズの存在を世界から消すだろうか。

 なんとなく、そうはしないと思わないだろうか。きっと誰かはほんの少しチーズを残して後世に語り継ぐ。レシピくらいは、本に挟んで書斎に置いておくとか。

 知識の消滅は人間には耐え難いと思う。だからやはり何かしらの保存はするだろう。

 そしてそれは良くも悪くも歴史となり、人の認識の襞にかかる。


 さてチーズの事は忘れて欲しい。代わりにテレポートの話をしよう。

 世界の七割が核兵器によって滅び、新たな時代と文明の誕生により大きな革命を及ぼしたのがテレポートだ。量子力学の真理に大きな理解が得られたのは二百年前。技術者達は魔法を手に入れたと発表すると、その魔法は瞬く間に世界中に広がり、物質の移送技術は文字通り飛躍的な成長を遂げた。

 テレポートが産業として成り立ち、それを仕事とする人が増えると、民主的な企業が軒を並べて技術の専門性が高まった。個人のホロデバイスには大見出しで『新たな時代の幕開け』と祝砲をならすニュースが連日受信される。かつての人類が夢見たものが現実となったのだ。


 生体の移動は癖があるため未だ発展途上だが、気にすることはない、じきに早くなる。生体ごとの情報量が定義化されたことで、転送にかかる膨大な情報の移行がメタパック(仮想量定義)を使えば物品の転送と差異なく可能であると確認された。後はサーバの容量さえクリアできればなんのことはない。

 そして現行のペタサーバは新型ゼタサーバへ移行中とのことだ。

 これで【座標住所コーディネートアドレス】があれば幽霊以外はなんでも送れるようになるわけだ。

 まさしく『テレポート産業革命』である。


 東京都下とかけやき町のとある下町。月屋食堂では、ホロデバイスのテレビから熱のこもった声でキャスターがニュースを読み上げている。

「テレポート会社の老舗『IDTN』は今日の午後一時から行われた会見で、テレポートサーバがゼタサーバに移行したと表明。巨大容量への移行を待ち望んでいた多くのテレポーターから喜びの声が上がりました」

 画面は切り替わり、テレポート事業主のインタビューへと変わる。

 壮年ハゲの男が欠けた前歯を隠さずに満面の笑みで「嬉しいです!」と喜びをあらわにしていた。

「なんでめでたい日にこんなハゲ映すかね!」

 絵面の汚さに、天ぷらそばをすすっていた作業服の男が悪態をついた。

「どうせなら『音信おんしん』の若社長とかにインタビューして欲しかったよな」

 同じ席で月見そばの月見を崩しながら同僚らしき男が言う。『音信』もIDTN社に次いで古株のテレポート屋だ。確かにテレポートの飛躍を目の当たりにした感想はいかなものか興味はある。

 『音信』の前身は情報を統括するホロデバイスをリリースしている電信システムの下請けだった。良くならない待遇に痺れを切らした当時の社長が上との契約を破棄し、鍛えた技術と顧客の輪を完全に自社集中にしてテレポート産業の波に乗ったのだ。技術の勝利というのが正しいか、とにかく魔法は弱者の味方をしたわけである。上にはいわゆる天下りの連中ばかりでメカがわかる奴がおらず、言葉の通り、縁の下の人間がいなくなったことで経営が破綻したのだ。

 その『音信』の創業者の孫が今の社長だ。

「きつねうどん、おまたせぇ」

 ゴトっとテーブルに湯気の立つきつねうどんが置かれる。これこれ。ツユは輝き、うどんは生成り色にきつねからは旨味と脂がツユに溶け込んでいってるのがわかった。香りが鼻孔をくすぐる。腹が鳴った。

「うまそ。いただきます」たまらず箸をとる。

「キズナくん、ちょっといい?」

「……んむ、ふぁい」

「おばちゃん送りたいものあるんだけど」

 お盆を手に下げたままテーブルになかった七味唐辛子を隣からもって来ておばちゃんは言った。

「息子がね、入院中なんだけど、どうしてもお稲荷さんが食べたいっていうのよ。生モノって送るとしたらいくらくらい?」

「そうだな。量にもよるけど、寿司折りみたいなのなら千二百円かな」

「そう、そんなもんなのね。良かったわ。以前なら五千円は超えてたから」

「三年前だよ。もうコストはそれほどかかってこないし、やりとりも随分早くなったから。熱々のコーヒーも待たずに送れるよ」

「なんでも便利になっていくわね。おばちゃんもうついて行けないかも」

「大げさだな。でも、色々変わってもここのつゆの味は絶対変えないでね」

「ウチの代が続く限りは大丈夫よ」

 あっという間にうどんを平らげて、俺は金をテーブルに置いて席を立つ。

「じゃあ親父にも言っておくから」

「そうね、タツオさんにもよろしく。また旦那の釣りに付き合ってねって言っておいて」

「はいよ」

 食堂を出てすぐ、ホロデバイスのニュースを読む。やっぱり『音信』の社長のインタビューが載っていた。ざっと目を通したが、定型文で片付けられていてすぐに興味は失せてしまった。


 下町の少しはずれの石積みのトンネルの脇に転送屋『ジギーボックス』はある。老舗と言うならウチも中々の古株だ。商社勤めの祖父が風向きを読んでテレポート屋へ転向したのが、奇しくも『音信』創業と同じ年だ。今は無きテレポート屋系列の店舗だったが、癖がわかるや否や看板を外し、事業主として会社を立ち上げると親父に徹底したテレポート技術を叩き込んで働かせた。会社が軌道に乗るとそのまま風に吹かれるようにぱったり死んで親父の代になった。

 親父は祖父に似て技術屋の頭があったから腕が良く、客が客を呼びここら下町の転送を一手に引き受けるまでになった。

 やがてその客の一人と結婚して、俺が産まれた。母さんはとにかく器用者で、知りもしない技術を見様見真似でやって親父より上手くやることが多々ある。

 テレポートはボタン操作ではない。それぞれにプログラムを書いて装置から次空間ルートを使って送受信するのだが、母さんは親父のやってる様を横から覗いただけで、次にはお客の接客をしながらパタパタと手際よくプログラムを組んで送信してしまう程だった。

 当然、親父は嫉妬した。無理もない。家事と当時乳飲み子だった俺の世話をしながら店の整理もしプログラムも書いて仕事もする。おまけに体力もあるためへこたれない、寧ろ笑っている。男の立つ瀬がないではないか。親父は奇妙なほど古風な男の不器用さを持っていたため、嫉妬に狂ってがむしゃらに働いた。

 変な夫婦だと、息子の俺でも思う。

「たーだいま」

 腹をさすり昼飯の余韻を残しながら帰ると、早速、客のダンボール箱を抱えていた親父が小言を言う。

「おめえ、飯食ってくるって言って何時間ほっつき歩いてんだ。仕事しろ、このタコ」

 これは親父の癖だ。歳を取ると文句を言うことが癖になって、言わないと落ち着かなくなるのだ。俺も気にせず話題をかえて「月屋のおっちゃんがまた釣りに行こうってさ」などと言って見せる。

「おいキズナ」返事もなおざりに親父は言った。「奥のホロボックスちょっと見てこい。調子悪くしてんだ。エラー直して不着物がないか確認してこい」

「えっ、俺弄っていいの?」思いがけず声が弾む。

「チッ、俺がいけったら行くんだよ!」

 親父の怒声に、俺は頭を撫でられたように嬉しくなり、バタバタと奥へと入った。

 ホロボックスは【座標住所コーディネートアドレス】として物品を受け取る場所のことだが、物品の大きさや種類によって中のプログラムが全て違うため適当に弄ると破綻して受け取り不可となってしまう。これはテレポート屋の矜持というもので、これを完璧にこなすか否かが、その店の技量となる。

 高等学術認定をもらってから三年、俺は店のホロボックスをろくに触らせてもらっていない。だからといって、何もしてこなかったわけでもない。自室のホロボックスにあれやこれやとプログラムを面白おかしく仕込んだりして遊んでいた。それらは殆ど成功している代物だから、技術力は十分にあると自負している。

 親父はそれを見たのかもしれない。


 さて、ウチには五つのホロボックスがあるが、確かに一番右のボックスの調子がおかしい。正常なホログラムを形成できていない。

「バグ、ではなさそうだな。なんだろう……」

 色々判断をしつつ、ホロデバイスを使ってプログラムを確認する。

 このホロボックスは家電一類、二類と許容内の物品の送受信。家電の種類が違う場合は送信側でブロックがかかるし、物品もこのボックスより大きいものならやはりブロックがかかる。無理には送れない。

 送信側のアドレスミスであれば親父のプログラムで補正してくれるはずだから、多少間違っていてもとりあえずは受信できる。ともすれば――。

「さては、どこかのテレポート屋が潰れたか?」

 廃業テレポート屋は適切に処分しなければならない物品をどこかの知らぬアドレスに送りつけてしまうことがままある。物品が回ってきた店からすると面倒だ。まず誤送物処理届を管理局へ申請して物品を審査。送信元がわかる場合はそのアドレスとアドレスユーザーを証拠物として提出し、物品を自己負担で管理局へ転送する。管理局は廃業テレポート屋の保険の有無を確認し、損害が生じた場合の保証認可が通達されると、受け取り主はアドレスユーザーのIDとテレポート屋の登録番号を明示する。しかる後受理されると、ようやく損害部の確認をして見積もりを出すことになる。証拠物は保存していなければならないため、ホロボックスに異常がある場合はその間の使用ができない。

 ここまで説明しても相当に面倒なことなのは理解できるだろう。

 しかし悪者ばかりでないのが業界の一概には言えないところではある。迷惑をかけたくないと考える奴もいる。その場合の常套手段としては、送信の際にエラーを起こさせて受信不良を起こすという手がある。つまりは次空間内に隠してしまうのだ。かなりの荒業だが可能ではある。

「誤送分の隠蔽は転送取引法違反。こりゃ親父のやつ、わかってて俺に振ったな」

 面倒事を押し付けるつもりだが、このまま放って置くわけにもいかない。

 乱れたホロボックスの前に座り込み、ホロデバイスを使って乱れの原因の物品を探し当てて再構築させた。

 すぐに正常な受信状態となり、物品が現れた。

 それを見た瞬間、俺は首を傾げて腕を組んだ。

「……こりゃ一体なんだろな」

 白く粉を吹いたような丸い切り株のようなものだった。大きさはこぶし大といったところか、思ったより小さい。恐る恐る触ってみると固くも柔らかくもない感触で、危険な感じは受けなかった。

 しいて言えば匂いだろうか。酸味のような、それでいて食欲をそそるような。

 そう、これの存在を俺は知っていた。

「――チーズか?」

 寄っていた眉間の皺が一層深くなった。疑問が深まる。廃業するならこんなもの食べてしまえばいい。転送営業法違反ではあるが……。

 考えれば考えるほどわけがわからない。とにかく報告しようとチーズを手に取ったまま親父のいる店先にやってくると、親父もそれをみて目を丸くした。

「そいつがタネか?」

「ああ、まごうことなき、チーズだ」

「なんでそんなもんウチに送ってくるんだ」

「さあねえ、お歳暮かな?」

「バカタレが! 送り主は?」

「ニュージーランドのミカエルさん、だって」

「ヌージーランドだあ?!」大げさな発音で親父は叫んだ「馬鹿なこと言うんじゃねえ! 転送違反ったって国超えて送れるようにはテレポートこいつはできてねえんだ。管理局指定の海隔かいかく転送許可をもらって国際転送用のルートを使わにゃならん。勝手に作ってテレポートしようもんなら次空間法違反で国際指名手配もんだぞおめえ」

「俺が悪いのかよ。悪いのはミカエルだろ」

 困り果てていると、隣に母さんがやってきた。

「あら、ミカエルって天使の名前よ?」そして余計な口を挟む。

「それじゃ天国からってことになるじゃねえか!」

「まあ落ち着けよ親父、とりあえず管理局に報告しなきゃロクな調査もできん」

 親父はバッと左手を前に静止させると、難しく考え込むように頭を捻った。たっぷり十秒。その間目を瞑ったまま頭を右へ左へと捻って何かを考える仕草をした。

 やがて合点がいったかのように目を開くと、こっちをまっすぐ見据えて言った。

「よし、お前それそのまま管理局持っていけ」

「はあ!?」

 時間をかけて考えた割には一番面倒なことを指示されてたまらず反抗した。

「こんなもん持っていってどうするんだ! なんて説明すりゃいい」

「嘘はいけねえ、そのまま言え」

「そのままって、んなアホな」

「あら、じゃあ箱かなんかに入れないと」

「いや、いいよそんなの」

「そのままじゃ駄目よ、失礼になっちゃうわ」

「いいから、ちょっと母さんは黙っててくれ!」

「母さんに当たるんじゃねえ!」

「あーもー!」

 にっちもさっちも行かなくなり、俺は母さんが用意した手頃な箱と紙袋にそいつを入れて半ばやけくそ気味に店から出ていった。


 ◇


 管理局は店から電車を乗り継いで一時間程したところにある。経済産業省の管轄で庁舎別館のC館というところにあるのだが、あたりはスーツを着た人間しか行き来しておらず、黒のパンツに白のシャツ、紺を基調とした消防団の法被を羽織った自分の姿はさぞ場違いなことだろうと思う。

 ちなみに法被は江戸時代に作られたらしい年代物だ。テレポート屋をしていると、こういった骨董品の扱いも多くなるが、これは大層な骨董品屋の店主から譲り受けたものだった。売れ残って邪魔だったのかもしれないが、不思議なことにどんな服より気に入っている。

 C館入り口の案内板を見て管理局の階を確認していると、横から声がした。

「失礼ですが、ジギーボックスの方でしょうか?」

 ふっと視線を向けると、獣人型のインターフェースが立っていた。わお。ヒューマンよりの顔にシャツとショートパンツからは肌のまま四肢があらわになっている。キツネかウサギ、あるいはその半分くらいのモデルだが、出来はいい。見た目はかなり好みであった。

「ああ、そうだけど」

「私はウイスタといいます。丁度そちらに向かおうとしたところだったのですが」

「ああもしかしてこれの――」

 そう言って紙袋を持ち上げた時だった。俺の視線が外れた瞬間、ウイスタは跳ねるようにして俺に飛びかかってきた。

 馬乗りになったまま手錠を取り出す。

「未申請の劇物取引により、転送取引法違反の容疑がかけられています」

「なっ、ちょっと待て! 俺はこいつを調べてもらうために――」

 俺は手に持ったものへ視線を向けると、奥の建物の方から黒スーツ姿の男が数人こちらへ駆けてくるのが見えた。しかも手に持っているのは拳銃ではないか。ある程度訓練を受けたような身のこなしで、危険な空気を感じた。

 そして俺より先に動いたのはウイスタの方だった。

「立って!」

「え、ちょっと」

「走って!」

「何なに! なんなんだよ!」

 俺の訴えを聞こえないふりをして、ウイスタは俺の手を引いたまま、ものすごい勢いで街中へと走り出した。

 ものの数分で俺の息は上がり、足や手の感覚が混濁してきた。彼女の後を追うのが精一杯だが、ここまでくると彼女は俺のことを殆ど引きずりながら走っているふしさえあった。

 男たちの追跡も中々に粘り強く、流石に只者ではないことが感じ取れたが、ウイスタの脚の方が上手らしい。俺という荷物を引っ張っていながらも走り出したときからリズムが全く乱れていない。インターフェースなのだから、疲労もなにもないかもしれないが――。


 白目を剥いて殆ど気絶していた俺がはっと気づいた時には、街外れの荒野に来ていた。ここはかつての爆心地だ。こんなところへは電車でだって中々訪れない。

「しつこい……」

 黒スーツの男達は相変わらず追ってきていた。視界の中の距離が縮まっていないことを察するに、相当な脚力でここまで来たらしい。獣人型インターフェースのポテンシャルは計り知れない。

「君、敵なの? 味方なの?」

「――どうも徒歩では打開できそうにはないですね」

「あー、それなら」

 俺はきちんと話せているだろうか、口が自分のものじゃないみたいだった。

「動くな!」

 そうこうしている内に黒スーツ達が追いつき、拳銃を向けて睨んできた。

 もしかしてここで死ぬのだろうか、そう思ってもいいくらいこの場所は荒涼といていて処刑場としては最適なように思えた。夕日が大地を燃やして、影は黒スーツから溶け出したように伸びていた。

 しかしこの状況を俺は、昼間のニュースを見ているような楽観さで見ていた。

 この場から逃げる手段なら最初からあった。足を駆使して気絶せずとも、状況さえわかればいつでも使えた。

 結果として、こんな所まで来たのは幸いだったのかもしれない。ここからではどこへ行こうとも“徒歩では”時間がかかってしまう。

「ウイスタ。俺の手を握ってろ」

「……はい」

 黒スーツの一人が何かを察したように一瞬目を見開いたが、指先のトリガーにそれを反応させるのに遅れた。

 俺は右手の親指を立てると、それを自分のこめかみに押し当てた。するとホロデバイスの自動プログラムが作動し、青緑色の発光現象が起きたかと思うと、ウイスタと共にその場から姿を消した。


 ◇


 自由空間内での人体のテレポートは殆ど成功していない。わずかに成功しているものに、親父の技術がある。

 これは管理局にも報告していない言わば伝家の技術で、仮説を祖父が立て、実験を親父がして、俺が使いやすいように細工をしたものだ。部屋でプログラムで遊んでいた経験がここで生きたわけだ。

 店に着くなり、俺は親父に報告する。

「おい親父!」

 しかし、店先にいた親父は背を向けたまましんとしていた。ホロデバイスを覗いていたようだが、こちらからはよく見えない。

「おいってば、大変な目にあったぞ!」

 敷地をまたいで駆け寄ると、親父は右手を出して止めた。

 そして次に発した言葉に、俺は耳を疑った。

「……おめえ、ウチから出ていけ」

 今まで聞いたことのないくらい淀んだ声だった。まるで人でも殺したような。俺は口を開けたまま二の句が告げず閉口してしまった。

 ようやく唾を飲み込んで発した言葉は、自分でも弱々しく鳴ったと思う。

「……は? どういうこと」

「明日朝一で出ていけ、その物品とそこのインターフェースも連れてな。店はもう畳む」

「ちょっと待てよ! 急に何いってんだよ。どうしたっていうんだ。説明してくれよ!」

 矢継ぎ早に尋ねるものの、何も答えない。不思議とこんなに近くにいるのに、親父の表情の何一つさえ感じ取ることができなかった。

 こんな親父を見たのは初めてだった。


 それから親父のだんまりに耐えきれず、俺はウイスタを連れて店先から回って左側の階段を登り自室へと入った。

 背中の方でドアが閉まる音がした瞬間、呆然としつつも確かな不安と悲しみに襲われ、何かに支えてほしくてベッドに腰掛けた。

 背中の窓から差し込んでいた夕日が静かに藍の帳に変わり部屋が暗くなる。

 部屋に一緒に入ってきたウイスタを見ると、彼女は機械らしく何も気にぜずに空間を見つめていた。人間の機微な感情の変化を感じ取って黙っているのだ。

 謝罪は無いのだろうか。

 こいつはそもそも、チーズがなんだかの存在を知っている素振りがあって、それが一介のテレポーターを巻き込んだことについて事態の始末をつけに来たのではないか。

 それがなぜ説明もせず、テレポート屋を廃業させるに至らせて黙っているのか、理解ができなかった。先程から脳裏にうろつく『廃業』という言葉が、俺の心を乱した。俺は店が好きだった。腹立たしい。なんの罪もない人間が何かの間違いで不幸になるなんて、こんな馬鹿な話があっていいはずがない。

 叫びたくなる声を押し殺し、滾る感情を止められなかった。

 俺はウイスタの首を掴みベッドに押し倒していた。

「全部話せよ! お前は知っているんだろ!」

 一応生命体としての機能は備わっているらしく、苦しそうにもがくウイスタに俺はだんだんと息が荒くなっていく。自分の内側から出ている凶暴なまでの性を噴き上げようとしていた。

「おい!」

 自分がこんな凶暴な声が出せるとは思わなかった。口が自分のものではないように感じた。力を込めていたはずの手は更に強くなり、ウイスタから女のものとは思えない潰れたカエルのような声がしたかと思うと、はっと我に返って飛び上がった。急いでベッドから遠ざかり、両手で自分の肩を抱く。

 ウイスタを見ると、彼女も肩を上下させて呼吸を整えていた。全身の血の気が引いていくのがわかった。

 その場にへたりこむと内ももに何かがつたう感覚があり、それが何なのかわかった瞬間、今度こそ嗚咽をもらして泣いた。

 ――俺はどうしたのだろう。


 服を着替えてベッドに腰掛け、何もしないでいると、部屋にノックがかかった。

「やだ何その顔。これ、おにぎりなんだけど。食べなさい。心の健康は食事から」

 いつもどおりの母さんの姿に、思わず心を解されて自然と笑みが出た。

「ああ、ありがとう」

 ベッドに置かれたお盆から、おにぎりを手にとって食べる。

 異様に美味く感じ、俺は飲み込んでから聞いた。

「これ、何か入れた?」

「ううん、なんにも。いつも通り作ったわよ。何か変?」

「いや、いつもより美味しいから」

「そう。不思議ね。部屋で食べてるからじゃない?」

「そうか、そんなもんか」

 自分の作ったおにぎりをぱくぱく食べる息子を、母さんは壁に寄りかかってずっと見ていた。

「父さんの事だけど」

「……うん」

「さっき殴っちゃった」

「ぶっ!」

 思いがけない言葉に俺は米粒を吹き出した。

「何で!?」

「いやあ、言葉足らずだからちゃんと話せって、ついね。あんたが出た後すぐ、管理局から通達があったのよ。ウチのアドレスがナントカウイスルにかかってプログラム異常が起きてるから見させろって言うのね。でも父さんだって長年転送業をやっていて、店の機材なんかは全部直せるし、管理局との関係も良好だったはずだから、これは何か変だって言い出して、昔から付き合いのあった管理局の担当に取り次いでほしいって頼んだら、そんな人はいませんって突っぱねられたらしいのよ」

 手についた米粒を綺麗にしていると、母さんの話が腑に落ちている自分がいた。母さんの言う通り、心の健康は食事からだ。

「それで父さん、店畳んで原因調査の為の組織を作るんですって。ここ一ヶ月で廃業になったところが結構あるみたいなのよ。その人達とね。ここにはいられないからアパートに移り住むんだってさ、嫌だわあ」

 楽観して話す母さんを見て、俺は血を感じずにはいられなかった。何を隠そう、俺自身もまた、今となってはきっとどうにかなるさと思ってしまっているからだ。

 こればかりは母さんに感謝である。

「ごちそうさま」

「はい、お粗末様。じゃあ支度をしてさっさと寝なさい。ゲームしないで、宮沢賢治でも読んで」

「なんで宮沢賢治?」

「んー、なんとなく?」

 そういって笑みを見せながら、母さんは部屋から出ていった。

 と思ったらすぐに顔だけだして言った。

「音がいいのよ。宮沢賢治は、音ね、音」

「……音」

「明日出てくとき部屋の前にお弁当置いとくから、持っていきなさい」

 そういうと今度こそ部屋を出ていって、階段を降りる音が遠くなっていくのを、俺はぼうっと聞いていた。


 思い返してみても、俺たちは完全に被害者だ。

「……ウイスタ」

「はい」

「首、大丈夫か」

「問題ありません」

「話はしてくれるのか」

「そうですね、明日でもいいと思います。ニュアンスとしてはお母様の話した筋で概ね大丈夫です。私は管理局側ですが、今はその管理局と対峙している身分ですので」

「まったく、どーなってんだか」

 疲れの籠もった溜息を吐きながら、俺はベッドに仰向けになった。

 そもそものチーズは、あれは本物のチーズなのだろうか。何か曰く付きのものではあるまいな。


 翌日、日が昇る前に、俺は少量の荷物とチーズを持って家を出た。

 母さんの弁当は三段重ねの重箱で流石に持っていけないと思ったが、ウイスタが持ってくれると言うので任せた。

 そして意外にも店先に親父の姿があり、追放代などと文句をつけて封筒を突きつけられたが、これは断った。冗談じゃない、俺は親父の態度に辟易して家出するのだ。

 代わりにこれから先、店をやることはあるかという問いに、親父はボケてきたらやるかもしれないと微妙な冗談を言って、自分はさっさと店の中に戻ってしまった。

 店は戻ると確信した。


 ウイスタを連れて、俺の足はとりあえず、いつもの月屋食堂に向いていた。

 そして大々的なテレポート業界の躍進から二ヶ月後。

 テレポート会社『IDTN』は倒産した。

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