第7話 海の底から

「俺がはじめに『殺そう』と持ちかけました」

「殺意があったのですね?」

「勿論です。自分の彼女が幼い頃からそんな目に遭わされて、とても平気ではいられないでしょう? 俺にとってみかげは唯一の人で、誰かの好きにされていい人ではない」

「わかりました。あなたは被害者に強い憎しみを持っていたんですね」


 婦人警官はわたしには甘く囁いた。

「怖がらなくていいのよ。ここには怖い人はいないし、しばらくの間、ご両親もいらっしゃらないの。何か言いたいことはある?」

 目の端から幾筋もの涙が溢れ、それを止めるものも、止める理由もなかった。

「正臣を、正臣を助けてください。わたしに光を見せてくれるのはあの人だけなんです。お願いします、会わせて下さい」

 婦人警官は小首を傾げ、「申し訳ないけど今はできないのよ」と言った。


 あの日かけた電話が発端となり、わたしたちは幼稚な殺人を犯した。何でも良かったんだ。

 わたしは翔ちゃんと旅行に行きたいと電話をかけ、翔ちゃんはそれをとても喜んだ。どこに行きたいんだと聞かれると、海に、と答えた。翔ちゃんはそんなわたしを「意外と子供っぽいな」と笑った。


 海に・面した崖から・彼が・男の力で――。


 わからない。今でもあれをやったのがわたしたちなのか? それともあれは、その陰に翔ちゃん自身が飲み込まれてしまったんではないのか?

 翔ちゃんは落ちていく時、笑っているようにも見えた。なにを――? 自分の人生を?

 彼は破滅を望んでいたようにも思える。

 そして、わたしはその死を四角い氷の中のもののように見つめていた。


 ◇


「聞いた。堕ろせなくても育てればいい。半分はみかげだし、俺は父親になれるよ」

「馬鹿⋯⋯殺人犯なのに」

「お前は執行猶予が多分付くと思うよ。ひとりでがんばれるか?」

「――正臣のためなら。誰にもわからなくていい、一生をかけてわたしを守ってくれた人をわたしも一生愛するって約束する⋯⋯。だから、会いに来ていいよね?」

「ああ、勿論だよ」


 翔ちゃんは死んだ。


 わたしは彼を愛していたのかもしれない。

 あの美しい魅惑的な人に惹かれていることを認めたくなかった。そして、独り占めしたかった。相反するふたつの心に引き裂かれそうになりながら、出た答えは《《ほかの誰にも渡さない》。


 ――お腹の子供は女の子だった。

 奇妙なほどわたしに似ていて、無邪気に愛を欲してくる。

 翔ちゃんの愛したわたしにそっくりの愛しい娘。彼との繋がりは見ただけでは誰にもわからない。

 今でも海の中からその魂で、わたしと娘だけを⋯⋯きっと愛してる。わたしをその指先で丹念に慈しんだように。


(了)

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海に沈む 月波結 @musubi-me

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