ウェブ小説はくだらない
有明 榮
しかしもちろん、技術の基本的な知識もない批評家が、作品の価値を語れるとも思えない。(月と六ペンス/モーム)
ウェブ小説はくだらない。というのが、僕が長年、といっても中学三年で小説を書き始めてから今に至るまでのこの五年間だが、変わることのない持論だ。その不動っぷりたるや、かの『孫氏』の句「動かざること山の如し」くらい不動である。
だいたいウェブ小説なんてどれも似たようなものばかりである。ハーレムとか最強とか成り上がりとか、惚れ惚れするような冗長なタイトルは砂糖菓子以上に吐き気がする。異世界に転生して、根拠もないけれどなぜだか高性能な異能の力を授けられ、願えばそれ則ち叶い、現実ならば重婚罪で逮捕され私刑も免れないような異性関係に覚めた顔でやれやれとまんざらでもなさそうに四苦八苦し、ライバルらしき者や敵らしき者が現れると突如覚醒という名の謎の急成長を遂げ、クライマックスで薄っぺらなバトルシーンを経た後に、めでたくヒロインとは結ばれる。
どれも見飽きた山も谷もない物語で、ジャンル分けに際して「ドラマ」とか「ファンタジー」という単語を浪費することすらためらわれる。
一時期はチートだとか俺TUEEEEとか言われる天賦の才に全て物をいわせる脳筋物語が流行っていたようだが、最近はそこに「ステータス」とかいう非常に便利すぎる、これはこれでチートだろという要素が加わっているらしい。
むろんこれは異世界ファンタジーものに限った話なのだが、先日投稿サイトの作品ランキング一覧を流し見したところ開いた口が塞がらないどころか顎がそのまま落ちて砕けそうな気持ちになった。なんと現代ドラマのジャンルでも似たような構図の作品があふれかえっていたのだ。馬鹿な、現代ドラマという聖域にどのように足を踏み入れたのだ。
まずは学園ハーレムが増えすぎだ。お前らどんだけ現実で恋愛してないんだよ。こんな電子の海に理想のオンナノコとのゲロ甘展開を紡いでは脳髄由来の精液を垂れ流すくらいなら、もっと現実の人間関係の構築と改善に努めたらどうだ。やっていることは夜な夜な画面の向こうの肢体に興奮しては絶頂に至っている錆びついた中年と何も変わらないではないか。
加えて目についた単語は「配信者」である。なるほど、配信者はここ数年で急増して近くのコンビニでコラボとかやっているような職業と言うか社会属性だから耳なじみがなくはないし、ゲーミング主人公が「ステータス」でやっていたことを「登録者数」とか投稿している動画の傾向なんかでそのまま再現することができる。配信者系主人公という安牌ができたのも、そこに胡坐をかく輩が増えたのも、それによってドラマというジャンルの尊厳が破壊されてしまったのも必然だったわけだ。後に残されたのはレビューも評価も全くされない純文学もどきと感動ポルノ、それからもはや日本語から怪しい怪文書ばかり。「国破れて山河在り」の名句を遺した杜甫の気持ちに今なら共感できる気がする。
それを踏まえて僕が読むのはあらすじからしてまともそうな現代ドラマか、ご都合主義に毒されていない純粋なファンタジー作品のみだ。勿論僕が書くのも、人間性を追求した純粋な現代ドラマのみである。「物書きは転生ファンタジー以外の作品を投稿するときに課税される」みたいな政令が下されたら僕は自害する。
ちなみに僕はそんなウェブ小説をほとんど読んだことがない。というより読む気にすらなれない。言語中枢をそんな白湯ほどの面白みのない駄文に費やすくらいなら、明日の演習課題になっているマラルメの詩を原文で読んで理解できねーわと笑っているほうが一億倍有益だからだ。
という話を、小林という先日学部の同期に持ち掛けたら、意外にも「ずいぶん火力が強いね」と笑われてしまった。物書きではないにしろ読書量はただ者ではないそいつがそう言うので、僕は思わず取りかけた学食のサバを皿に落としてしまった。
「そうか? 事実そうじゃないか。このままじゃウェブ小説はスカスカの前髪とアースカラーでまとめた女子大生の集団みたいになっちまうぞ」
「譬えが相変わらず独特だな、中島は。で、そんな状況が一体どうしたってのさ」
「俺は憂いてるんだよ、こんな連作障害でいい作物が採れない畑みたいになったウェブ小説界隈を」
「で、それを憂いてどうするの?」
「そりゃ……」
僕は思わず言葉に詰まった。だろうね、とでも言いたげに片眉をちょいと上げて、小林は味噌汁を静かに啜った。周囲の喧騒がいつもより大きく聞こえるのが無性に癪に障った。
「そりゃ、俺が斬新な作品で風穴空けて盛り上げるさ」
「斬新って?」小林が目だけで僕を見た。
「たとえば……今はまだわかんないけど、小説家を目指す大学生が認められなくて苦悩する話とか」
「陳腐だな。斬新と言うにはあまりにも」
「即興で言っただけだし」
「即興で思いつくのがそれなら、どれだけ考えても変わらないだろうさ。なら今は筆を磨きなよ。そもそも」
味噌汁を吸い終えた小林がお椀をトレイに置いた。このモードに入った小林に口を出すのは逆効果だということは、二年弱の付き合いでさすがに心得ていた。
「お前ひとりがそんな憂いを口にしたところで、膨大な電子の海にどれだけ影響を与えられるよ。小石を海に投げ込むようなもんだぜ。『ネットは広大だわ』って言うだろ。それに同じような題材があふれかえるなんて、今に始まったことじゃない」
「その話は小説の範疇で?」
「そこに限ってもいいが、人間が生み出す芸術なんざそんなもんだ。誰かが新しいことをやってウケたら、みんなが追随する。「イズム」と「ジャンル」が出来上がる。で、似たようなものが溢れかえる。血気盛んな若い奴らは、視野の狭さを棚に上げてその時流に乗ったものだけを見て嘆く。こんなものまやかしだ、多様性がない、キッチュだ、マニエリスムだってな」
「遠回しに否定しようとしてない? 俺の事」
まさか、と小林は箸で唐揚げを突いた。僕が渋い顔をしているのを見て何かしらはさすがに察したのだろう、小林はしまったという顔をした。こいつは自分が言い過ぎるのに無自覚で、そのくせ理屈をこね回して丸め込む傾向にある。無感情に受け流そうと努めてはいるが、自分事になったときに感情を理性の盾で護れる人間はどれだけいるだろう。
「その感性は大事だよ。違和感を持つからこそ、新しいものを生み出すエネルギーが生じる。それに時流を憂うのは昔から人間がやってきたことだ。「マニエリスム」って単語はもともと創造性のない模倣者的なネガティブな意味で使われてたし、「キッチュ」なんて「俗悪なもの」って意味だしな。否定は批判と異なるとはいえ、大切だと思うぜ。もっとも、お前は作る側だからその感性が研ぎ澄まされてるんだろうけど」
「さすが、批評家だな。苗字が小林ってだけある」
僕はやや皮肉って言った。理解可能性が時に人を傷つけることを、彼はあまり理解していない。伊達に二年浪人してないんだぜ、と言って親指を上げる小林の笑顔は過去最大級に憎らしく、僕は取り落としたサバの欠片を無言で口に放り込んだ。
その後の午後の講義はやたらと身に入らず、僕はバイトの予定を体調不良を装って取り消した。自分の思考と視野がいかに短絡的で浅薄で狭隘なのかと思うと、何とも言えない濁った靄のようなものが胸中で渦を巻いた。五年間で築き上げた城は砂の城だった。
帰り道の横断歩道で僕は信号を見落としていたらしい。イヤホン越しにクラクションとブレーキ音が聞こえた刹那、僕は意識を失った――
筈が、気が付くと真っ暗な空間にいた。しかも、浮かんで。暗闇の中では何も見えず、上下左右はまるで分からず、奇妙な気持ち悪さがある。宇宙飛行士の中には宇宙酔いをする者もいるらしいが、この感覚を言葉にするならそれがきっと近似値を示してくれる。ああ死の体験ってこんな感じなんだと思っていると……いや、死の体験ってこんなにリアリティあるのか。
突如として、目の前が明るくなった。というより、スクリーンのようなものが目の前に現れた。
「基本設定。スタミナ:C、パワー:B、知恵:A。攻撃力:E、防御力:C、成長率:A+。職業設定:【詩人】。サブ職業:【剣士】。スキル【舞踏家】を習得しました。初期経験値ボーナス+370。レベル上昇――」
「……この流れは、もしかして」
僕の第二の生が始まる音が、洪水のように耳に流れ込んでくる。この時のことを振り返ると、恥ずかしながら僕は、恍惚とした表情を浮かべていた。
まったく、これだからウェブ小説はくだらない。
ウェブ小説はくだらない 有明 榮 @hiroki980911
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