スタートの精

江東うゆう

スタートの精

「スタート」

 朝早く、頭の中で聞こえる声がある。

 私は目を開ける。これから顔洗って、食事して、制服を着て、いろいろ整えて。それが、私の朝の始まり。


「スタート」

 一時限目、頭の中でまた、声が聞こえる。

 今日は国語のテスト。

 傍線部の確認、問題の確認。前後数行読んだだけで答えられそうな問題はその時点で解答を書く。

 全体を読まなければ答えられない問題を解くため、本文を読み始め、読み終えたとき、頭の中で、また、声が聞こえた。

「スタート」

 気がつくと、手許の解答用紙は白紙のまま。

 時計も、一時限目の開始時間に戻っている。

 読んだはずの本文の内容も覚えていない。

 私はまた、傍線部の確認、問題の確認……。

 でも、肝心なところで、あの声が聞こえる。

「スタート」

 イライラしながら五度目の声を聞いた。

 一体どうして、私の時間は巻き戻ってしまうのだろう。

 カンニングにならない程度に、視線を動かす。

 視界の端に、チラッと光るものがあった。

 透明な羽をパタパタさせる、蝶のようなもの。

 視線を向けてよく見ると、銀色の髪の、六センチくらいの少女だと分かる。銀色の短いワンピースの裾を靡かせ、私を指さして言うのだ。

「スタート」

 それで、私はこの六センチの羽のある少女が、スタートの精だと気がついた。


 翌日の数学のテストでも、日本史のテストでも、化学のテストでも、同じようなことがあった。スタートの精は、問題が解けたところで「スタート」の声をかけてくる。

 いったい、どういうつもりなのか。

 文句を言いたかったのと、理由を聞きたかったのとで、私は化学のテストの解答用紙が回収されるとすぐに立ち上がり、辺りを見回した。

 視界を飛び回るスタートの精を目で追う。

 すばしこく、あちこちに動く。

 右に、左、右下、右上、左上、左下、右。

 スタートの精の動きをつかんだ私は、右手を挙げ、飛んできたスタートの精をつかんだ。

 羽をバタバタさせるスタートの精を逃がすまいと、手に力を込めたとき、芋虫をつかむような感覚がして。

 ぐしゃ。

 手を開くと、手のひらは真っ赤に染まっていた。

 でも、それは一瞬で、すぐにつぶれたスタートの精とともに、血の色も消えた。


 以来、朝になっても「スタート」の声は聞こえない。

 私は、時折、手のひらを握ったり開いたりして、思い返す。

 ちょっとイライラしていただけなのにな。

 本当は、話を聞きたかっただけなのにな。

 そんなつもりはなかったのに。

 

 また、会いたいな。スタートの精。


          〈おわり〉

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

スタートの精 江東うゆう @etou-uyu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ