Vチューバ―のリスタート

石田空

地元に帰った元アイドルは

「うちは恋愛禁止だって言っていたよね?」

「はい、言ってました……」


 ある日、事務所の社長から唐突に呼び出されると、社長が血管を浮き出させて怒っていた。

 でも社長の言っていることに私は全く覚えがなかった。

 うちは大手のアイドル事務所で、皆で寮生活を送っている。こまめに事務所から配布されたアカウントで動画を上げ、皆にファンサービス。まだうちの事務所でも他のアイドルのバックダンサーくらいの役割しかできないけど、いつかは歌のパートをもらって、センターに出て……そう、真面目に真面目にやってきたつもりだった。

 しかし社長は怒っている。なんで。


「君の動画を確認したらね、明らかに男の人の声が聞こえるんだけど」

「はあ!?」

「ほら、これ」


 そう言いながら社長は私のアカウントを見せてきた。

 そのアカウントは事務所で設定して、現在非公開にされているから、アカウント所持者の事務所からでないと中身を見ることはできない。


『こんにちはー、三春みはるのお話タイムやってきましたー』

──可愛い可愛い


『じゃあリクエストに応えて、この曲を踊って歌っちゃいまーす』

──頑張れー


 ……知らない人の野太い声がたしかに入っている。でも、なにそれ。私知らない。


「いやいやいや、知りません。これ誰なんですか?」

「わからないのかね!? それに他の部屋の子からも君の部屋にクレームが入ってるんだよ! 最近喘ぎ声がうるさいからなんとかしてくれって!」

「喘ぎ……! 本当に知りませんよ!」


 私は必死に首を振る。

 事務所が気付いて速攻でアカウントを非公開にしたものの、コメント欄にも【誰この男の声?】【まさか彼氏?】とざわついている。

 なんで私の知らない彼氏のせいで、私は社長に詰められているんだ。

 私が言い訳をすればするほど、「こいつ言い逃れしやがる」という態度になり、社長の目つきがつり上がるのがわかる。


「とにかく! うちのイメージに泥を塗るくらいなら、即刻で荷物をまとめて出て行きたまえ。どうせ君、うちだと未だにバックダンサーくらいしかやることないんだから、同じだろ!?」

「で、ですけど……」

「なら別れてくれるのか!?」

「……わかりました」


 私はしょんぼりとして、寮に戻ると荷物をまとめはじめた。

 ルームメイトたちに事情を話し、レッスン場にも連絡を入れて、事務所にスマホを返しに行く。

 私の今まではなんだったんだろう。じんわりと涙が出てくる。

 鞄を背負い、背中を丸めて寮を出て行く中、うちの事務所のトップグループの子たちとすれ違った。


「彼氏のこと大丈夫だった?」

「平気平気。寮母に見つかりかけたから、なんとか新人のところに隠しておいたからさ」

「でも動画に声出たんでしょう?」

「事務所が気付いたから慌ててアカウント非公開にしたみたい。そのせいで新人クビになったみたいだけどね」

「ひっどー」


 その声に、私は背中を余計に丸めた。

 彼女たちはうちの事務所の稼ぎ頭だから、どうあっても事務所から守ってもらえる。つまり私は彼女たちを守るために切られたんだ。

 とかげにだって痛みはあるのに。

 私は鼻水をズルズルとすすって、私物のスマホを手に取った。


「……ごめん。いろいろあって帰らないと駄目なんだけれど。私の部屋ってまだある?」


 電車に乗り継いで、実家に帰る。

 今の私にはそれしかできることはなかった。


****


 大手病院の清掃員。

 仕事の履歴がアルバイト以外なくて、歌詞とダンスの振り付け以外は物覚えが悪くて、パソコンもまともに触れない私がありつける仕事は限られていた。

 大手病院の清掃員だったら、皆お揃いの清掃服に、マスクと手袋完備。帽子も常に被らないといけないから、下手に誰かに声をかけられなくて済んだ。

 一緒に働いている人たちも皆親切で、東京で夢破れて帰ってきて地元で働いていると言ったら、昼食の時間にお菓子を追加でおごってくれた。

 でも掃除をしながら、ゴミを集めながら、ときどき小児科のほうを通る。

 ベッドに上に乗って歌って踊っている子をたびたび見かけるのだ。基本的には看護師さんに「お行儀悪い!」と叱られるが、ときには皆で手拍子を合わせて、歌って踊る子のリサイタルをしているのを目にすると、自分の中でジリジリと燻るなにかに気付き、そっと蓋をする。

 ……うちの事務所はそこそこ大きかった。売れ筋を庇うために辞めされられた私が、アイドルに返り咲くなんて無理。

 その日は早出で、早めに仕事が終わったので、残り時間はどう過ごそう。

 そう思って家に帰ろうとしたところで。


「ああ、三春。久しぶり。こっち帰って来てたんだ?」

「ああ、るうちゃんも。久しぶりー。そっちも?」

「というか、物価が高過ぎて、まだ地元のほうが生活できるって感じ」


 デザイン会社でデザイナーになるために、私がアイドルデビューした頃と同じくらいに状況した友達のるうちゃんと、たまたま入ったファミレスで出会った。

 店員さんに「一緒に食べます」とひと言添えてから、一緒の席に並ぶ。

 るうちゃんは今は会社を辞めてフリーでデザイナーをやっているらしい。しっかりしているるうちゃんは、ファミレスにもノートを持ち込んで、アイディアをたくさん書いていた。

 今はランチタイムのピークが過ぎ、残っているのは主婦グループと私たちしかいない。

 私は今は病院で働いていること、濡れ衣で事務所を辞めさせられた旨を伝えると、るうちゃんは「はあ……」と声を上げた。


「それは大変だったねえ。でも三春、あなた言っちゃ悪いけど、歌って踊れなかったらなにが残るの?」

「それを言いますか……今の仕事が嫌いな訳ではないんだよ。私もずっとバックダンサーだったから、今は病院の舞台袖で働いてるって思えばおんなじだし」

「後ろにいるのが普通って考えもあんまり健全ではないよ? でも事務所が大きいと、そこにたてつくのも難しいね。うーん……」


 そこでふとるうちゃんは声を上げた。


「ならさあ、いっそガワをつくってもらって、Vチューバーデビューする?」

「……なにそれ?」

「あれ、最近テレビにもよく出てるけどわからない感じ? Vチューバーは、ガワをつくってもらって、その裏側で声やバラエティーに挑戦するネットアイドルのことだよ? 見てみる?」


 私の無知にもるうちゃんは丁寧に答え、スマホで動画を見せてくれた。

 そこでは、キャラに合わせていろんなことをする人たちが映っていた。

 とにかく歌が上手い人も多いけれど、ゲームの実況、映画のレビュー、時事ニュースの評論など、かなりバラエティーに富んだ内容を行っているようだった。

 最近はどの業界もSNSに力を入れているのは知っていたけれど、まさかこんなにたくさんのものと競合しているなんて、全然知らなかった。


「でも……私、歌と踊りはともかく、バラエティーに出たことないし、動画でも歌って踊ることしかしたことがないよ……」

「単純に仕事の息抜きでやってみればって言ってるだけ。もしやる気があるんだったら、ガワつくってくれるデザイナーは紹介できるよ。どうする?」


 そうるうちゃんに言われて、私は考え込んだ。

 ……正直、仕事自体にはそこまで不満がない。ただ歌って踊りたいだけで、競争自体は嫌いじゃないけれど、足の引っ張り合いみたいな泥仕合は嫌いだ。その点、清掃員はわざわざ泥仕合をしたがる人なんていないから。

 よくも悪くも、見てもらえないことには慣れている。ただ前にいた事務所に見つかることなく、歌って踊れる環境に出られるというのは、かなり魅力的に思えた。


「……考えさせて」

「いいよ」


 こうして、私は一旦ネットでVチューバーについて調べることにした。そこから結論を決めても問題ないと思ったから。


****


 桜色の髪に、十二単。目には文字通り星を浮かべている。

 るうちゃん曰く「ガワ」は、それはそれは、絶対に現実のアイドルではありえないキャラだった。


「春のイメージで、桜の妖精とのことでしたけど、桜の妖精ってコンセプトのキャラクターはものすっごくいますから大変でした」


 デザイナーさんが満足げに言ってくれたキャラクターに、私はあわあわとして、お礼を言った。


「ありがとうございます。ものすっごく可愛いです」

「いえいえ。とりあえずキャラクターの動かし方は全部データでまとめて送りましたけど、確認してくれましたか?」


 デザイナーさんとチャットをしながら確認を促される。メールで送られてきたガイドを確認しながら、私は頷いた。


「はい、一応全部パソコンに取り付けました」

「なら、一旦動かしてもらえますか」


 キャラクターを立ち上げて、私は送られた通りに動かしてみる。カメラで映している私の通りに動くから、思っている以上に感覚的だ。


「これって、もし踊っているのを見せるとなったら、どうすればいいんですかねえ」

「そうなったら、全員を映すカメラがないと難しいですかねえ」

「なるほど」


 私はデザイナーさんにお金を振り込み、何度もお礼を言ってから、チャットを消した。

 そのあとるうちゃんに連絡する。


「可愛いキャラつくってもらったよ。これでVチューバーデビューできるー」

「ならちゃんとSNSで宣伝して、動画との動線をつくらないと駄目だよ」

「そのあたりはアイドルの営業と変わらないんだね」

「結構その辺りはどの業界も変わらないかもね」


 教えてもらった通りに動画サイトのアカウントもつくり、いよいよ流すための動画をつくる。

 自己紹介は駄目の駄目で、一応脚本をつくっているのに、情けないほどに噛み噛みだった。

 ただ。ライセンスの切れている歌を歌っていると、気分は上がって来る。

 まだカメラを持ってないけれど、いつかは踊りも見せてみたい。今まではどうしてもバックダンサー以外ができなかったけれど、こうやったら歌えるんだということをやっと納得した。


「……それじゃあ、上げてみるね」

「頑張ってえ」


 事務所に見つかったらどうしよう。

 売れ筋のグループに目を付けられたらどうしよう。その心配だってなきにしもあらずだけれど。

 それ以上に私は、どこかの誰かに見つけてほしいという祈りのほうが強かった。


 アイドルになりたかったのに、その夢を潰されてしまった。

 るうちゃんに会わなかったら、多分無気力のまま、ぐずぐずに生きる自分を憐憫するだけのしょうもない人間になっていただろう。

 動画をアップした。ここから私のリスタートだ。


<了>

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Vチューバ―のリスタート 石田空 @soraisida

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