QR Honey

那智 風太郎

S T A R T

 ある朝、起きると左の手のひらの真ん中に黒々と QRコードが記されていた。


 は、なにこれ?

 

 私は目を擦り、首を傾げた。

 憶えがない。

 誰かのイタズラだろうか。

 そういえば昨夜、職場の同僚二人を誘い馴染みの洋風居酒屋で女子会をした。

 そして調子に乗って口当たりの良いワインを何杯か頼んだと思う。

 その後カラオケに行って、それから……は記憶にない。

 

 おいおい、アラサー独身女よ。

 あんた酔っ払ってどこで何して帰ってきたの。


 ため息をついて二日酔いの鈍い頭にツッコミを入れてみるが当然のように何も出てこない。

 とりあえず寝癖をバサバサほぐしながら洗面所に足を運び、泡石鹸で洗ってみたがこれがなかなかに手強かった。

 どういう種類のインクなのかいくら洗ってもちっとも薄くならないのだ。


 刺青タトゥですか。


 舌打ちしながらジャブジャブしているうちに出勤時間が迫り、仕方がないので身支度を整えてアパートを飛び出した。


 駅で通勤電車を待ちながら育美に LINE。


 ―― おh ところで私、昨夜ゆうべなんかした?


 超速レス。


 ―― 乙 そういえば占いババアに絡んでたwww


 え、マジですか。全然、憶えてないんだけど。


 満員電車に寿司詰めにされつつ 左手を掲げて QRコードを睨みつける。

 電車が止まるたびに体がひしゃげてカエルの悲鳴のような声が漏れた。



 昼休憩、社員食堂でかき揚げ蕎麦を啜りながら詳しい話を聞いてみると、どうやら私は繁華街の道端で占いのおばさんとひと悶着やったらしい。


「なんかねぇ、恋占いでもうすぐ彼氏ができますってお告げされてさあ」


 サンドウィッチを頬張った育美がそういってニヤけた。


「そうそう、それで加奈、キレちゃったんだよね」


 言い添えた春香に思わず蕎麦を吹き出しそうになる。 


「な、なんでキレるわけ、私……」


 我ながら意味が分からん。


「えーとね、『ふざけんなッ、占いババア。んなもん当たったことねえんだよぉ!』とか叫んでテーブルぶっ叩いてさあ。ウチら恥ずかったよね、春香」


 両手で口を覆い、笑い合う二人が悪魔に見えた。

 そして心の中で占いのおばさんに土下座する。


 でも、それとこれがなんのつながりがあるわけ?


 席に戻った私は左手を見つめてひとしきり悩み、それから覚悟を決めてスマホのアプリでコードを読み取ってみる。

 すると画面に表示されたのは開店したばかりらしい美容室の広告。

 訝しく顔をしかめながらスクロールすると場所は奇しくも最寄駅の近くだった。

 私は伸びすぎた前髪をそっと撫でてうなずいた。


 電話を掛けると午後六時なら空いているというので予約した。

 ちょっとだけ奇跡を期待する私。

 もしかするとこの QRコードは恋占いにキレる私を憐れんだ神様のお恵みかも。

 それでイケメン美容師にいきなり告白されたりして、えへへ。

 

 仕事を終えた私は誇大妄想を目一杯膨らませていざ、その美容室へ。

 けれどそこで私を待ち受けていたのは若く派手ケバしい女性美容師だった。


「前髪どれくらい切りますかぁ」


 ぶっきらぼうなくせにやけに間延びした声を出すその女にムカつきながらもカットを注文する。そしてセットを終えて鏡を見た私は愕然とした。

 

 ここぞとばかりに見晴らしの良い視界を満喫する私の額。

 これじゃまるで小芥子こけし人形じゃないか。


「はい、お疲れ様でしたぁ」


 美容室を後にした私は『あんな店、早く潰れてしまえ』と呪詛を吐きながら家路を急いだ。


 秋の空はもう疾うに群青色。

 糸月が妙に心細くて俯くと、ローヒールが地面を叩く音がやけに甲高く響いてイラついた。


 なんて愚かなんだ。

 そんなことあるわけないのに、いい歳して中学生みたいなこと考えて。

 きっとこの前髪はその天罰だ。


 そう考えると無性に虚しくなった。


 自慢じゃないが私に男運はない。

 交際経験はこれまでに一人だけ。

 そのなけなしの一人も付き合ってすぐに三股かけられていたことが判明してボツ。

 それ以来、少しばかり男性不審で声を掛けられても不自然に身構えてしまう。


 歩きながら私はブンブンと頭を振った。


 いやいや、だからそういうこと考えてるからダメなんでしょうが。

 ていうか、酔っ払って恋占いとかしてんじゃねえよ、私。


 もうなんだか自分の全部が腹立たしい。

 そして左手を眺めると不意に泣きそうになった。


 顰めっ面でいつもとは逆方向に歩くその帰り道、児童公園のエントランス広場にミニバンを改造したらしいキッチンカーが止まっていたのでなんとなく足を止めた。

 街灯に照らされた赤い車体には目を惹くイタリックロゴで PIZZA と書いてある。


 私は傷心の前髪を摘み、『もう今日はこれでいっか』と呟いた。


「スミマセン。S サイズのシーフードピザひとつ」


 木製看板のメニューを見ながら注文すると、車内から三十代ぐらいの店主らしきこざっぱりとした顔つきの男性が私を見下ろして嬉しそうに笑みを浮かべた。


「かしこまりました。少々お時間をいただきますので、そちらの席に掛けてお待ちください」


 手差しされた方向に目を向けると華奢なテーブルスタンドとスツールが置いてあり、私は素直にその席に着く。

 サワサワと音がして見上げると公園から迫り出した大樹の梢が風に揺れていた。

 私は思い出したように寒さを感じて体を竦める。

 冬はもうすぐそこだ。

 人恋しくなるのはそのせいだろうか。


 そのときコトリと音がして、見るとテーブルに陶器のスープカップが置かれていた。


 え?


 目線を移すと右側に髪を三つ編みにした女の子が立っている。

 年頃は小学校低学年といったところだろうか。

 

「これ、あの、サービスです」


 緊張しているのかもしれない。

 トレーを片手に彼女はぎごちない笑顔でそう告げた。


「え、でも……」

「あの、パパが……寒そうだからって」


 視線を向けるとキッチンカーの庇の奥でさっきの男性が微笑んで軽く会釈をした。

 なるほど、親子で店を切り盛りしているということか。


 母親はどこだろう。

 サッと目を配ってみたが見当たらない。

 車の中かな。

 まあ、いっか。

 

 カップの中身はホワイトシチューだろうか。

 湯気の立つ白く滑らかなスープにニンジンとブロッコリーがまったりと浮かんでいて、そばに銀色のスプーンが添えられている。


 見るからにとても温かくて美味しそうだ。

 もしかすると天罰を与え過ぎたと反省した神様からのささやかな謝罪かもしれない。ならば遠慮なく頂くことにしよう。

 

 二人に頭を下げてから右手をスプーンに、左手をカップへと伸ばす私。

 けれどそのとき突然、女の子の声が辺りに大きく響き渡った。


「あーーッ! 芽衣子とおんなじ!」


 驚いて固まるとその止めた左手に女の子がこれでもかと顔を近づけてきた。


 え、何事?


 戸惑っている私に女の子は自分の左手を大きく開いて差し向ける。

 瞬間、私は絶句した。

 その小さな手のひらには黒々と刻印された QRコード。


「これ……どうしたの」


 なんとか口を開くと彼女は弾むような声で答えた。


「あのね、今朝起きたらね、芽衣子の手に描かれてたの。きっとママからのプレゼントだよ」


 プレゼント? ママから?


 なにがなんだか分からず、ただ瞠目しているとキッチンカーからエプロン姿の店主が慌てた様子で降りてきた。


「す、すみません。芽衣子、お客様に失礼だろう」

「でも、パパ見て、ほら」


 芽衣子ちゃんがためらいもなく私の左手を取って父親に見せる。

 そして私の QRコードを見つめた彼は低く唸り、次いで娘の左手に目をやった。


「あのね、パパのスマホでこれ調べたらこの公園のだったの。だから今日はここで開店したんだよ。でも、全然お客さん来なくって、パパと芽衣子、ちょっと落ち込んでたんだ」

「こら、芽衣子、そんなことまで……。でも、あの、失礼ですがこれって」


 私はこれまでの経緯をかいつまんで説明した。

 そして二人して首を傾げる。


「じゃあ、ママの悪戯いたずらかなあ」

「ママの?」


 問い返すと芽衣子ちゃんは輝くような笑顔を作った。


「うん、今日は芽衣子の誕生日なの。でもママが天国に飛んでいっちゃった日でもあるんだよ。ね、パパ」


 振り返った娘に彼は優しく肯いた。


 

 これが私たち家族の馴れ初めスタートである。

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QR Honey 那智 風太郎 @edage1999

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