市場のイドラ

冷奴

第1話

『貴方がYに登録した日付を覚えていますか?』


世界的に名を馳せるソーシャル・ネット・サービス「Y」の公式からのメッセージだ。登録から1年経つとこのようなメッセージが来ることは、他の人の類似する投稿を見て既に知っていた。


ネガツイ(否定的な内容の投稿)をするために登録したYのアカウント「なな」のプロフィール欄から、「うつ病」という文字列をDeleteキーを3回押して消した。


言霊の持つ力を恐れて、自戒をするために。



なな@XXXXXXXXX・たった今

『ななさんがspeakを開始しました』



ほとんど家の中で部屋着のまま過ごす毎日は、Yの通話機能「speak」をすることで始まる。


ポコン


『カツ男が参加しました』


speakの参加者が来た時になる通知音。とっくに見慣れた私が描いたイラストのアイコンを一目見れば、誰が来たかなんて直ぐに察せる。

アカウント名「カツ男」は、自称海上自衛隊。自称30代。自称男であり、自称私のファンである。


「ななさん、しゃーっす」


しゃーっす。というのは、彼独自の挨拶だ。昔はよく一緒に使っていたけれど、今はダサく感じて一切無視している。


「カツ男さん、おはようですー」


フォロワーが500人いる私でもspeakを開いたところで来るのは彼ぐらいだから、結局、これは彼との個別の電話と変わりない。他の人との会話を望んでいてもいつも同じ時間帯に同じ相手と同じような会話をする羽目になるのだから、私こと「なな」は起伏のない気怠げな声で返した。


「今日は大事な話があって」


「なんでしょう」


「実はカツ男さんのことが、好き、なんです。友達としてではなく、一人の人間として」


私は恋に恋していた。




なな@XXXXXXXX・たった今

『気持ち悪い』




久しぶりのネガツイ。ここ数日間は疼きと心拍が落ち着かなかったのが嘘みたいに、冷め切っている。気持ち悪いと言ってもこれは気分の不調を訴える投稿ではない。あるフォロワーを軽蔑するネガツイだった。




なな@XXXXXXXX・3時間前

画像を投稿しました

『ちょっときついけど、一回着てみたかったんだよね』




フリルがたっぷりと縫われたブラウスに短い肩掛けワンピース。所謂ゴスロリというものを着て写真を投稿したら、フォロワーからの反応は上々だった。その中でも男性と思われるフォロワーからのいいねやコメントが一層際立って見えた。気持ち悪い。気持ち悪い人たち。




ミュートにしているアカウント・3時間前が返信しました

『かわいい!』




speakでゴスロリを買うと伝えてから見たい見たいとしつこくせがんできたフォロワーからのコメントが来ていて、戦慄した。これが女の子からだったらなんとも思わなかっただろうに、自分の先入観と偏見で不快にしか感じられなかった。


「好きですよ。ななさんのことが。女性の中でも一番」


speakで通話中にそう言うのはそのミュートにしているカツ男だった。きっと彼は自分のことを「なな」の彼氏だと思い込んでいるだろうが、私はそうは思っていない。


「やめてください」


「はずかしい?」


「…まあ」


嘘だ。恥ずかしいのはお前じゃないかと言いたい所だ。18歳年上の彼が惚けているなら、私は呆けている。ななは他愛のない話題で誤魔化して通話を切った。




なな@XXXXXXXX・たった今

『どこが好きになったんだろう』




ある日のspeakの会話で覚えているのは、カツ男の衝撃的な発言だった。


「僕は誰ともお付き合いしたことはないし、好きになったことはないからね」


その通話の後、ダイレクトメールでフォロワーの「だぁ」から画像が送られてきた。それは「だぁ」とカツ男とのメールで、こう書かれていた


『最近思うことがあるので、メール失礼します。最近のカツ男さん、ななちに執着しすぎに見える。聞いてて、ななちがカツ男の対応よく思ってないだろうなって。これは私個人の意見だけど。まぁはっきりいうとしつこい。あと、下ネタに持っていこうとしすぎ。聞いてて気持ち悪いからやめた方がいいよ』


それは通話より1時間前のメールだと知って、全てを悟った。



彼に関する恋愛相談に乗ってくれていた私のフォロワー、「ユウコ」「 ꒰ঌ光輝໒꒱」のアカウント2名がspeakで共通のソーシャルゲームについて語っていた。


「この前アプリで知り合った『だぁ』って奴、厄介だよね」


人は否定的な内容がより記憶に残りやすい。「だぁ」は、二人が仲良く接していたゲーム仲間だった。


「あ、ななちゃん。いらっしゃい」


被害妄想が酷い私は、自分のことも陰で悪く言われているのではないかと憂いた。彼らが私がこの枠を抜けた瞬間に陰口を言うのではないかと思い抜けられなくなる。彼らが嫌うのは陰鬱で病名を盾にする人間だし、彼らとは通話で会話に詰まったこともあった。それに、ネット上のトラブルで私のフォロワーを通報した所を見たことがあるからだった。




なな@XXXXXXXX・たった今

『ネガツイしないようにしてるの

いいことないからね

でもどうしよう

捌け口がないよ』




「ななちゃん、調子悪そうだったけど、大丈夫?話す?」


不意に名前を呼ばれて、あの投稿を見られたんだと気づいた。同時に私のアカウントはミュートにされていなかったんだと気づき、いつもネガツイを見せていたことが申し訳なくなる。




なの腹@XXXXXXX・3分が返信しました

『私でよければ聞こうか?』





同世代のフォロワーからの返信だった。両目から涙がとめどなく流れた。「ユウコ」「 ꒰ঌ光輝໒꒱」の通話から離れられないまま、藁を掴むような思いでなの腹にダイレクトメッセージを送った。


『リプありがとう。

snsのことだからここで言うね

しんどくなったらいつでもブロックしていいから』


『ちょっと長くなるかも』


『カツ男さんっているじゃない?一時期は彼に依存して告白したりしてたんだよね。今は黒歴史なんだけど。好き好き言ってきて一気に冷めちゃってさ。

カツ男さんと関わるのも気持ち悪くなっちゃってね。自分のせいだしカツ男さん何も悪くないのにそんなこと思ってる自分も気持ち悪くてね

第三者が「カツ男さんが依存しすぎだから離れて」って言って関係はなかったことになったんだけど。なかったことにしたいよ。』


『あとね。色々ネットの紛争も見てきた。

ブロックする人。される人。両方がフォロワーの自分。板挟みで苦しくてさ。どっちが正しいんだろうと思って。どっちの味方をするのもやるせなくてさ。

今は陰で色々悪口言ってる人の枠にいる。被害妄想なんだけど、自分は悪く思われてないかなって思って聴いてる。嫌われるの怖いから、「別のアプリで話したらリスナーはいりませんよ」って助け船を出した。

抜けた瞬間に悪口言い出すんじゃないかと思って。今も抜けられない』


『被害妄想持ってるのばれたらもっと嫌われる気がして、ネガツイもできない。言霊がある気がして、悪口言えない。他責も自責もできないよ』


『でも、今聴いてたら、そのスペースの人が心配してくれたから。本当に自分の被害妄想だったとしたら、間抜けすぎる。一人で勝手に病んでて、惨め』


『自分が迷惑かけるんじゃないかと思って、人と会話するの怖くてね。ネガツイのためのアカウントだったのに。そういえば最初のフォロワーのツイートが「誰にも見られてない病み垢が一番おもしろい」だったなあ。もう人のしんようどだださがり』


『聞いてくれてありがとう。カツ男さんにも相談できないからね』


『でも嫌いじゃないんだよ。誰も』


『楽になった。有難うね。本人たちに直接迷惑かけてごめんなさいって謝りたいけど、事が大きくなる気がしてさ』


『SNSで泣くなんて、馬鹿みたいだ』


家族に泣いていることがバレないよう画面の外へ顔を逸らしながら涙を流す。なんで泣いているかなんて、話しても理解されるはずがない。


「ななちゃん、なの腹ちゃん、どっちか話さない?」


ユウコが話している。


『わかる。とてもわかるよ。自分のこと責めないでね』


なの腹のダイレクトメッセージが濡れた視界の中で揺らぐ。


「じゃあ、またね」


ユウコが言う。


『自分のこと、褒めてあげてね』


メッセージはそれで途絶えている。

私はユウコたちにコメントを送った。




なな@XXXXXXXX・5分前が返信しました

『またね』




私がYを始めたのはネガツイするためだったのに

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市場のイドラ 冷奴 @momo0620

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