電車に乗っている彼を私は気になっていて……。
雨宮悠理
電車に乗っている彼を私は気になっていて……。
部活の後、私はヘトヘトになりながら毎日同じ時間、同じ車両の電車に乗り込む。
座席に座り、疲れた身体を背もたれに預ける。
車内はだいぶ空いているが、いつもと変わらず、定刻である20時ジャストに発車した。
10分ほどの間、脱力して身体を休める。
鉛のように重たい体がシートにずぶずぶと沈んでいくようだった。
『次は~、西花。西花です。お降りの方は……』
私の家の最寄り駅の四つ前、小さな駅だ。
毎日同じ電車に乗っているのに、降りたことはない。
(……あ)
数人のお客さんが同じ車両へと乗り込んでくる。
その中には見覚えのある、すらりとした容姿の男子がいた。
彼は私の真正面の席に座ると、文庫本を開き読書に
その向かいに座る私。
(今日の彼、何を読んでいるんだろう)
電車の中で彼を見かけると、つい目で追ってしまう。
これが俗に言う恋愛感情というものなのかどうかは正直分からない。
だって会話すら一度もしたことがないのだから。
でも何かこう……上手く言えないけど気になるのだ。
名前も知らない。
平日はいつも同じ電車に乗り合わせる彼の姿を、私はいつしか、こっそりと見るのが密かな楽しみになっていた。
不思議なことに彼を見ている間は電車の揺れや騒音も気にならなかった。
たまに彼の手元がよく見えて、読んでいる文庫本のタイトルを知ることができた。
それは私も読んだことのある有名作家の作品だった。
(この人もこういう小説を読むんだ)
と、何だか親近感が湧き、嬉しくなったのを覚えている。
今日も私は、さり気なくを装って彼の姿を盗み見る。
本を読むことに熱中しているのか、彼は私が盗み見ていることに気付いていない様子であった。
それが、やっぱりちょっとだけ嬉しかった。
◇◆◇◆◇◆
ある日。
いつものようにコーチにこってりと絞られて、ヘトヘトの私は電車へと乗り込んだ。
今日も疲れた身体を少しでも癒しながら、彼の姿を見ることを楽しみにしていた。
そして10分後に電車はいつものホームに止まった。が、彼が乗り込んでくる様子はなかった。
(あれ? 今日はいないのかな……)
少しガッカリしつつも、そんな日もあるよね、と私は仕方なしに瞼を閉じた。
そして次の日、また次の日と、日にちが経つが彼が乗り込んでくる様子は一向に無かった。
(どうしたんだろ……)
と、さすがに不安になる。
あれだけ毎日同じ時間帯に電車を利用していたのだから、私と同じくこの電車に乗らないという選択肢はないのだ。
何かあったのだろうか? それとも私の存在に気付いていて、迷惑がっているのかもしれない。
そんな考えが一瞬頭を過ぎるが、それを決めつけるのはまだ早い、と思い直す。
ただ単にこの電車の時刻に来ることが出来ないだけなのかもしれないのだから……。
それに彼がどうしようと、無関係の私が詮索していい道理はないはず。
(大丈夫……だよね?)
少しの不安と、そしてそんな自問自答を繰り返しながら、私は彼を待ち続けた。
そして、数日が経ち……。
ついに彼が姿を見せることはなかった。
それでも諦めきれずに私はその日もいつものように同じ時間の電車に乗り込んだ。
もしかしたら今日は彼が乗っているかもしれないという淡い期待を抱きながら……。
しかし彼の姿はやはりなかった。
毎日同じ時間の電車に乗っていた彼は急に乗り込んで来なくなったのだ。
それはつまり私の存在が彼の迷惑になっているという何よりの証拠ではないか……。
だからもう電車を一緒に利用することは出来ない。それが私に課せられた罰なのかもしれない……と、私は勝手に思い込んだ。
そんなショック状態のまま、私は彼がいつも乗ってきていたホームで降りていた。
そして重い足取りで駅の改札から外へと出た時、そこで私は見覚えのある姿を目にした。
(…………あ)
そこにいたのは私がいつも盗み見ていた彼だった。
彼は駅前にある桜並木の道で自転車に乗っていた。
久しぶりに彼を見れたことに心躍る自分がいたが、これではまるでストーカーではないかと思い直した。
流石に彼に話しかけるのはやめておこう。一目見れただけでもラッキーだと思わなきゃ。
そう思い、名残惜しくも降りてきたホームへと引き返した。
「あ、あの!」
しかし私の足は、踵を返す直前に止まることになった。
何故なら彼が私を呼び止めたからだ。
彼は自転車を止めて降り、私のもとへと近付いてきた。
「あ、あの……その……」
私は突然のことで動揺し、ごもごもと口籠もってしまった。
いつも部活で大きな声を出しているはずなのに情けないにも程がある。
「急にごめん。君、いつも同じ電車に乗っていた子だよね」
「……え」
彼はずっと私の存在に気付いていたのだ。
だから私は彼が電車に乗って来ないことに不安を感じたのだ。
「あ、その、ごめん……盗み見るつもりはなかったんだけど、その君の視線を僕は知ってたというか……」
彼はどこか申し訳なさそうにしていた。
私は慌てて彼から顔を背ける。
「ご、ごめんなさい! そんなつもりじゃなかったんです! あ、いやでも少しはあったかもだけど……そ、そうじゃなくて! いや、あるにはあったんですけども!」
一体私は何を言っているんだろう。もう良く分からない。
「ごめんなさい!」
と、私はまた深々と頭を下げる。
すると彼は慌ててそれを制止した。
「い、いや! そんな謝らないで! 別に君を責めているわけじゃないから!」
彼は私へと気を遣ってくれたようだ。なんて優しい人なんだ……。
そしてそんな彼に私は一つの疑問が浮かんだ。
「あ、あの……」
「ん? 」
私はその疑問を口にした。
「……私のこと、責めないんですか? なんで私が貴方を見ていたのか気にならないんですか? 気味が悪いとか、怖いとか……思わないんですか?」
私は彼に聞きたかった。
何故彼が私が盗み見ていたことに対して咎めることもなく、そしていつもと違うホームに来ているストーカーみたいな女に気味悪がる様子もなく話しかけているのか。
すると彼は少し戸惑った様子を見せながらこう答えた。
「え? なんで? そんなの思うわけないじゃん」
「……え?」
彼の言葉に今度は私が驚いた。
だって私の行為は明らかに『普通』じゃなかったから……。それがたとえやましい気持ちがなかったとしても、どこかストーカー的な部分があると思われて
「別に、君が僕を見ることって悪いことじゃないでしょ? まぁ、確かにちょっとは変な人なのかなぁって思ったけど……」
「ですよね!?」
私は思わず彼の言葉に反応してしまった。
そんな私を彼は優しい顔で見ていた。
「でも君はそんなことしないでしょ?」
「……え」
その彼の言葉に私はハッとした。
『そんなことしない』という彼なりの根拠があるわけではなく、『君にはそんなことをする度胸はない』という意味にも聞こえてしまったから……。
それに気が付いた時、
「あ……うぅ……」
私は恥ずかしくて顔を真っ赤に染め、涙目になって俯いてしまった。
「わわっ! ご、ごめん!」
そんな私を見て彼は慌てた様子で謝った。そして慌てて言葉を続ける。
「いや、今のは言い方が悪かったかも……いやでも僕が言ったのは悪い意味じゃなくて!」
そんな言い訳にもなっていない言葉を彼はつらつらと並べるが、もはや後の祭りだった。
「……え、えっと」
彼はポリポリと頬をかいた。
「実は、電車に乗らなくなった理由なんだけど、最近うちの親が転勤で引っ越しちゃって。そこが電車だと中々都合が悪いとこでさ、自転車通学に変えちゃったから、なんだよね」
私は涙目のまま、目を見開いて彼を見た。
「でもさ、実は僕も君のことがなんとなく気になっていて、事実を伝えたいと思ったけど『話したことも無いのにいきなりなんだよ』って思われると思って。いつもこのホームまで来ては、引き返してたんだよね」
「そ、そうだったんだ……」
私は心底安堵する。良かった。私が理由では無かったんだ。
「だけど今日君に声を掛けることができて、少し勇気をもらった気がする」
「勇気?」
彼は、コクリと頷いた。
「うん。こんな僕を気に掛けてくれて、本当にありがとう」
そう言って彼は頭を下げた。
「そ、そんな……こっちこそいつも電車で元気を貰っていたというか……」
そこまで言って私はハッとする。
そんなことを言ったら余計にストーカーっぽいじゃないか!? 私が慌てた様子を見せると、彼はアハハと笑い飛ばした。
私も彼に釣られて笑い出す。
なんだかおかしくなってきちゃったな……。
それから私と彼はしばらく笑い合った。そしてそんな楽しい時間はあっという間で……。
もう次の電車の時間まであと5分になっていた。
「あ、もう時間だ……」
彼は発車時刻の表示を見て残念そうに呟いた。
「そうですね……」
折角こうして話をすることが出来たのに、もうお別れだなんて……。
「じゃあ、行くね」
「………はい」
もう彼と会うことは無いだろう。でもこうやって話が出来て本当に嬉しかった。
彼は自転車に跨り、ペダルに足をかける。そして私へと振り向く。
「あ、あの……、もし良かったら、連絡先を交換しませんか?」
「え?」
突然の彼からの提案に私は驚きの声を上げる。
「その、もっと君と話がしてみたいと思ったんだけど……ダメかな?」
「……だ、ダメじゃないです!」
こうして私は彼と連絡先を交換した。
◇◆◇◆◇◆
部活の後、私はヘトヘトになりながら毎日同じ時間、同じ車両の電車に乗り込む。
座席に座り、疲れた身体を背もたれに預ける。
車内はだいぶ空いているが、定刻である20時ジャストに電車は発車した。
しばらくすると電車が次の小さな駅に停車する。
そこで数人のお客さんが同じ車両へと乗り込んできた。
その中には見覚えのある、すらりとした容姿の男子の姿があった。
彼は私の姿を見つけると優しく微笑んで、真横に腰を下ろした。
匂いのケアは万全にしたはずだが、それでも彼が近くに来るとちょっと心配になる。
でも私はそれ以上に幸せな気持ちでいっぱいになっていた。
文庫本を読む彼の肩に頭を預けると、電車はいつもと変わらない帰路を辿っていった。
電車に乗っている彼を私は気になっていて……。 雨宮悠理 @YuriAmemiya
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