青年は龍神に舞を捧ぐ

青川志帆

青年は龍神に舞を捧ぐ



「兄さん、夏織かおり兄さん!」


 呼ばれて、浅い午睡ごすいから覚醒する。


「……なんだ、伊代いよ


 畳に手をつき身を起こすと、目も顔も丸い幼い少女がのぞきこんでくる。


「郵便だよ。多分、仕事!」


「ああ、はいはい」


 夏織は伊代の手から茶封筒を受け取った。


 差出人は警察の「崎島さきじま」となっていた。


(あらら、本当に仕事だ)


 夏織は封筒を開けて、中身を確かめる。


「……ずいぶん遠方だな。伊代、旅支度をしろ。明日には出発するぞ」


「はいっ!」


 伊代は着物のすそをからげて、狭い家のなかを走る。


「うう、寒い」


 傍に火鉢があるが、それでも一月の寒さはしのげない。


 くわえて眠りから覚めたときは、どうしてかことさら冷えるものだ。




 翌朝、夏織は鏡台の前で支度をした。


 切れ長の目に、長いまつげ。


 叔母からよく褒められた顔だが、自分では「美しいかどうか」など、わからない。


 軽く白粉をはたき、紅を差す。


 仕上げに目尻にほんのり赤い色を乗せた。


 道中で「なんで男が化粧を」と白い目で見られることもあるのだが、到着した先ですぐに仕事に取りかかるために、夏織はいつも化粧してから出発していた。


 化粧をしている間に、伊代が櫛で長い黒髪をくしけずってくれた。


「兄さん、きれい!」


 伊代が褒めてくれたので、「ありがとよ」と素っ気なく答える。


「さあて、行くか」


 立ち上がり、気合いの声を入れる。


 普段は着流し姿だが、仕事に赴くときはきちんと袴をはいて羽織も着る。


 更にその上にコートを羽織った。和洋折衷だが、妙に調和するのが不思議だ。


 伊代にも上等の赤い着物とコートを着せている。


 伊代はにこにこして、見上げてきた。


 夏織は屈み、少し緩んでいた伊代の帯を締め直してやる。


「兄さん、ありがとう」


 無邪気な笑顔に、時折苦しくなることがある。


「……行くぞ」


 促し、夏織は伊代と共に家を出た。




 朝一番の汽車に乗り込む。


 時間帯のせいか、汽車は空いていた。


 ふたりでボックス席の片側に座る。


 伊代は窓辺に座り、流れゆく景色に夢中になっている。


 ふたり並んでいると、兄妹だとは思われないだろう。


 実際、兄妹ではないのだが。


 夏織は、伊代と初めて会ったときのことを何気なく思い出した。








 あの日も、冬で――凍えるように寒かった。


 伊代は、夏織の住む町で行き倒れていた一家の娘だった。


 仕事の帰りに、見つけたのだ。


 道端に座り込み、器をひとびとに差し出して、金を恵んでもらおうとしている、ひどく痩せ細った一家を。


 夏織は足を止め、違和感に気づいた。


 両親は、既に死んでいた。


 娘だけが生きていて、器を手に夏織を見上げる。


「お兄さん、お恵みを……。父ちゃんも母ちゃんも、ずっとなにも食べてないの」


 少女は、両親が死んでいることに気づいていなかった。


 つまり、彼女には両親の幽霊が見えているのだ。


 その事実に驚きながらも、夏織は厳しい声を出した。


「そこを離れろ。お前の両親は死んでいる」


 夏織がなにを言っているかわからなかったらしく、少女は首を傾げるのみ。


 娘が心配で、この世を離れられないのだろう、と夏織は察した。


 夏織は商売道具の扇子を取り出し、朗々と告げる。


「とどまりし霊に告ぐ。極楽浄土に導かれますように――。これより、鎮魂の舞を捧ぐ」


 扇子を片手に、夏織は舞った。


 すると、両親の幽霊は光の粒になって消えていった。


 残されたのは、少女と――すえた臭いのする遺体が二体。


「ほら、おいで。ひとを呼ぶから、弔ってもらおう」


 夏織が手を差し出すと、少女はわけがわからぬ――といった表情でその手を取った。




 それから、伊代は夏織の家に居着いてしまった。


 夏織はひとり暮らしで、まだ十八歳。


 父親になるにも早い話であるし、女子の世話などできないと思って親戚の家に紹介しようとしたのだが――伊代は


「わたし、兄さんの助手になる!」


 と言って聞かなかった。


 彼女は両親の霊を鎮魂した夏織の舞に、惚れ込んだと語った。


 以来、伊代は夏織の家に住んで、幼いのに家事をこなしてくれている。


 不精者で大根をかじって食事を済ませるような生活だったのに、伊代が来てからはきちんとした料理を取るようになった。


 かつて、伊代の家は旅籠はたごで住み込みで働いていたのだという。


 道理で炊事仕事に手慣れているはずだ。


 その旅籠の経営が傾き、一家路頭に迷い――ああいう事態になったらしい。


 とはいえ、まだ伊代は八歳だ。


 気が変われば、いつでも親戚の家に世話になれるようにはお願いしている。


 夏織の父方の親戚は裕福な商家で、ひとも悪くない。


 間違いなく、伊代の面倒を見てくれるだろう。


 されど、伊代はどうしてか夏織から離れたがらない。


 子猫や子犬が懐いたひとから離れない感覚なのだろうか。








 ぼんやりと考えながら、窓の外を食い入るように見る伊代を、眺める。


「――お前、汽車が好きなのか?」


 何気ない夏織の問いに、伊代はぎゅっと唇をかみしめた。


「……好きだけど、嫌い」


 不可思議な答えに首を傾げると、伊代は涙をこらえていた。


「わたしたちが働いていた旅籠は……汽車が通ってから、さびれちゃったから」


「……悪い」


 辛いことを聞いてしまった。


「ううん。しょうがないって、わかってる。わたしが抵抗しても、時代は変わっていくんだもの」


 子供なのに老成した台詞が、痛ましい。


「ねえ、兄さん。今日の目的地は遠いのね。こんなに遠いの、わたし初めて」


「ああ……そうだな。基本的には、近いところを割り振ってくれるから……今回は、珍しい。他にいなかったんだろう」


 夏織は懐から封筒を取り出した。


 夏織はいわゆる「拝み屋」である。


 悪霊を祓い、呪いを解き、神を鎮める――と、仕事は多岐に渡る。


 共通しているのは、それをみんな夏織は「舞」で行うことだ。


 夏織の母方の家――静原しずはら家は代々、舞をもって霊や神にまつわる事件を解決してきた。


 うそかまことかは知らないが、静原家の祖先は舞踏の女神アメノウズメだったという。


 血が薄まったせいなのか、舞の才能を持って生まれる子供はどんどん減っていって――夏織の母も、その力は継がなかった。


 夏織の叔母は舞の力を持っていたので、夏織は叔母から舞をたたきこまれた。


 彼女のことを思うと辛くて、哀しくなる。


 夏織は五歳のころに両親を亡くし、叔母が夏織を引き取り育ててくれた。


 線の細い、美しいひとだった。


 まだ未婚なのに子持ちになった叔母。


 長じてから夏織は「自分は邪魔だったのでは」と思っては、自分を責めてしまう。


 結婚しなかったのは、子持ちなのが敬遠されたのではないだろうか。


 その叔母も、夏織が十四のときに進路を誤った馬車にはねられ、死んだ。


(――考えても仕方がない)


 くらい思いに沈みかけて、夏織は軽く首を振って手紙の内容をあらためる。


 普通に依頼を受けることもあるが、最近は警察を通しての依頼が増えている。


 文明開化したあとも、大和には神がおわし、妖怪が跋扈ばっこし、幽霊がさまよう。


 警察には、こういった事件を解決できないため、「怪異がらみの事件」はこうして地方の拝み屋に依頼するのだ。


 時折、神霊もおらず、なんの怪異もなく「依頼人の勘違い」という事件も存在する。


 そういう事件の場合は、拝み屋には交通費と「少しばかりの礼金」が支払われる。


 本当に解決した場合とは支払われる金額が相当違うので、依頼をもらう度に夏織は「空振りじゃありませんように」と祈るのだった。




 汽車に揺られ、夏織はうたたねをする。


 葬式のときの夢を見た。


 誰の葬式だろう。記憶がはっきりしているから、叔母のか――。


 ああ、そういえば。


 父の兄――伯父が言ってくれたのだ。


「夏織くん、うちに来ないか」と。


 だが、断った。


 両親も叔母とも死に別れて――自分が死を呼ぶのだと、思い込んでいたから。


 だから、ひとりで、がむしゃらに拝み屋として生きてきた。




「兄さん」


 軽やかな声と共に、伊代に揺り起こされる。


「そろそろ着くよ」


「……ああ、うん」


 重い頭を振り、夏織は足元に置いた荷物を取る。


 夏織の仕事は危険も伴うのに、こうして同行を許している。


 置いていくのが不安という理由もある。


 伊代は神や霊が見えるので、実際に助手として役に立つという面もある。


 だが――本当にそうなのだろうか?


 ひとりがふたりになって、心強く思う自分がいるのはたしかで。


(甘えているのは、俺のほうなのかもしれない)


 自分はきっと、まだまだ子供なのだ。


 もしかしたら、伊代よりもっと心が幼いのかもしれない――なんて思って、夏織は息をついた。




 午前中に駅に着き、手紙に同封されていた地図を頼りに歩いていく。


 自分が住んでいるところより、ひどく寒く感じる。


 村に着いたときには、昼過ぎになっていた。


 夏織が家々の立ち並ぶ通りを歩くと、ひときわ大きな家から壮年の男がまろび出てきた。


 窓から見て、来てくれたのだろう。


「警察のご紹介で来てくれたかたでしょうか!?」


「……はい。静原夏織といいます。こちらは、助手の伊代」


 自己紹介と伊代の紹介をして一礼すると、伊代も深々と頭を下げていた。


「これはこれは……よくぞ、来てくださいました。村長の岩間いわまと申します。どうぞ、拙宅に……」


 岩間に案内され、夏織と伊代は村長宅に入った。




 囲炉裏の傍に、浅黄色の袴を着た老人が座っている。


「蒼龍神社の神主さんです。ささ、どうぞ座ってください」


 岩間に促され、夏織と伊代は、神主のそばに座った。


「静原夏織です。今回は、警察の依頼で参りました」


「先ほど紹介してもらったとおり蒼龍そうりゅう神社の神主で――水上みなかみと申します」


 夏織と神主は、互いに一礼する。


「手紙には、川が凍りついたとありましたが……」


 夏織は早速、話題を切り出す。


「はい。こんなことは初めてなんです。どんなに冷えても、凍らない川でして。龍神の加護があるからだと聞かされていました」


「……そうですか。それはおかしな話ですね」


 今年は去年より冬が厳しいわけでもない。


「念のため、聞かせてください。祭りや儀式を中止したことは?」


「いえ、それはありません。最近、都会に出ていった村人が多く……村人の数が減っているので、祭りを縮小しましたが、儀式はきちんとしております」


「縮小……」


 夏織はあごに手を当て、首をひねった。


 縮小だけで、神が川を凍らせるほど怒るだろうか。


「他に……なんでもいいので、些細な変化があれば、教えてください」


 夏織が請うと、水上はしばらく考えこんだあとにつぶやいた。


「そういえば……私は腰が悪いので、春と秋に行う神楽の振りを少し変えたのです。でも、それだけで?」


「――元々の神楽の振りを教えていただけませんか?」


「代々伝わる振りなので、巻物に書き残してあります。神社にあるんです。移動しますが、よろしいですか」


「もちろん」


 夏織と神主が立ち上がると、慌てて伊代も続いた。




 蒼龍神社は、村から出て山を登ったところにあった。


 神社のかたわらに、川があった。


 普段はさやさやと流れているのであろう川は、今は固く凍りついていた。


 村長もついてこようとしたのだが、川の凍結に村長は関係ないであろう、と思ったので――夏織は「待機していてください」とお願いした。


 社務所に入って、神主は棚から一本の巻物を取り出した。


「これの、後半の舞の振り付けを変えました。後半は激しいので……」


 説明しながら夏織に渡してくれたので、すぐにそれを立ったままあらためる。


 伊代がつま先立ちをしたので、彼女にも見えるように少しかがんでやった。


 筆で、舞う人間が描かれている。


 数多の舞を習得している夏織には、すぐにわかった。


(これは、変えてはいけない振り付けだ)


 全ての振りが、意味を伴っている。


 しかし、引っかかることがある。


 ふと、夏織は水上に顔を向ける。


「ここは、あおい龍と書いて蒼龍神社ですよね?」


 依頼の手紙に書いてあったし、鳥居にもそう書かれていたので間違いないとは思いながらも、念のため尋ねる。


「はい。そうですが……」


「この舞は、神を鎮める舞と目覚めさせる舞が混ざっています。龍神は、二柱いるのですか?」


 夏織の問いに、水上は「あっ」という顔になった。


「すみません。わたくしどもは、そういうものと――わかっていたので、説明しそびれました。お察しのとおりです。そうりゅうは、蒼い龍と書きますが、双子のそうと書いて双龍そうりゅうという表記もいたします。こちらにおわす龍神は、双子の龍です」


 水上の問いに、やはりと夏織はうなずく。


「……あの、水上さん。失礼ですが、跡継ぎのかたは?」


「息子がいます。今は帝都に出て、仕事をしているのです。私が元気なうちは、好きにさせてやろうと思って……」


「そうですか。なら、よかった。この振り付けは、片方の龍神を眠りに導き、もう片方の龍神を目覚めさせる舞です」


「眠り……目覚め……?」


 水上は、目を見張っていた。


 年月が経つにつれ、舞の本来の目的が忘れられていったらしい。


「ここの龍神は、秋に眠る龍と春に眠る龍の二柱。水上さんは後半を変えてしまったので、秋に目覚めるはずの龍神が眠ったままになっているのです」


 話しながら、夏織は自分の胸を軽くたたく。


「今回は、俺が舞います。それで龍神が目覚め、氷が溶けるはず」


 夏織の説明を、水上は真剣な顔で聞き入っていた。


「でも、本来はこの舞は冬が始まる前に行われる。そうでないと、効きません。今回、効くのは――俺が特別な舞い手だからです。だから、来年からは息子さんを春と秋だけでもいいので呼んで、本来の振り付けで舞ってもらってください」


 春に目覚める龍が眠ったままでも、おそらく川に影響が出ただろう。


 どういう影響かは、今の夏織には計り知れないが。


「……わかりました」


 水上は殊勝にうなずく。


 夏織は巻物を巻き直し、水上に返した。




 伊代が、夏織の化粧がだいぶ落ちていると耳打ちしてくれた。


 水上の奥方の鏡台を借りて化粧をし直す。


 その間、強い風のせいで髪が乱れていたので、長い髪を伊代がくしけずってくれる。


 夏織が「化粧を直したいのですが」と言うと、水上は驚きながらも、部屋を貸してくれたのだ。


 性別を曖昧にすればするほど霊力が上がる、と叔母に教えられた。


 だから、夏織は化粧をして舞に挑む。


 逆に、叔母は男の着物をまとって、舞っていた。


 彼女の舞姿は、今も鮮やかに覚えてる。


 いつか、彼女のように舞えるだろうか。


 夏織にとって叔母の舞姿は、大事な思い出であり、永遠に届かないような目標でもあった。




 支度を終え、夏織は川辺に向かった。


 コートは脱いできたので、寒くて仕方がない。


 伊代と水上が見守るなか、夏織はたずさえてきた一本の扇子を開いた。


「龍神さまに、かしこみかしこみ申す――。深き眠りから覚め、水のせせらぎを民草に与えたまえ――」


 声を張り、夏織は水上にうなずきかけた。


 彼は笛を吹き、音楽を奏でる。


 本来の神楽で演奏されるときより楽器が少ないようだが、不足分は夏織の舞で補える。


 夏織は扇子を閃かせ、龍神に捧げる舞を舞った。


 扇子に踊る模様は、流水紋。


 水にまつわる神に捧げる舞には、これを使う。


 一発で覚えた振り付けをなぞり、夏織は舞っていく。


 龍神に恭しく語りかけ、眠りに導くように初めは優しく。


 後半は、覚醒を促すように激しく。


 後半には、何度も跳躍する振りが出てくる。


 腰を悪くした水上には、この振り付けが辛かったのだろう。


 舞っていくそばから、扇子が青い光を帯びた。


 驚いて水上が、笛を落としそうになっている。


 伊代はといえば、うっとりしている。


 舞を終え、夏織は扇子を閉じて帯に差し、深々と頭を下げた。


『――――』


 脳内に、声ならぬ声が聞こえた。


 夏織が顔を上げると、ぱきぱきと音を立てて氷が割れて――水が流れはじめた。


「おお! な、なんとお礼を言っていいか……」


 水上は地面に手をつき、頭を下げかけたので、夏織は苦笑して立たせた。


「やめてください。俺は依頼をこなしただけですよ。さっき言ったように、来年からは息子さんに頼んでください。振り付けは変えないでください。あれは完成された舞ですから」


「はい!」


 水上は夏織を神々しいものを見るような目で見つめてきた。




 村長にも感謝され、その日は村長の家に泊まることになった。


 風呂から上がったあと、夏織と伊代は同じ部屋で布団を並べて横たわる。


「兄さん、今日もすごかったねえ」


「……いやあ、別に」


 謙遜ではなかった。


 今回は元々ある舞を再現し、それに夏織の霊力を注ぎ込んだだけで。


 依頼としては、簡単なほうだった。


「わたしも、兄さんみたいになれるかな」


 伊代が無邪気につぶやき、夏織はばつが悪くなりながらも曖昧に答える。


「俺みたいじゃなくても、優秀な拝み屋になれるさ。伊代は。勉強熱心だし器用だからな」


「へへーっ」


 伊代は得意げに笑ったあと、ことんと眠りに落ちていた。


 肘枕をして、彼女の寝顔を見やる。


 夏織の舞の才能は血筋だ。


 どんなにがんばっても、伊代は継げない。


 だが、夏織では他の方法を教えられない。


 やはり、いつまでも伊代をそばに置いておけないだろう――。


 そうはわかっていても、もう少しだけ――この奇妙な絆が続けばいいと願う。


 ひとりで生きていけると思っていた。


 ひとりで生きてきた。


 だのに、転がりこんできた、温かい子供は既に離れがたい存在になっている。


 舞い手が本来、観客がいて完成するように。


 伊代がいるようになってから、前より自信をもって舞えるようになった気がする。


 だから――


「もうしばらく、よろしくな。伊代」


 軽く彼女の肩を叩いてやり、夏織はささやいた。




 寝入りかけたとき、気配を感じて布団から出る。


 窓を開くと、夜空を駆ける龍が見えた。


 ふと、叔母に言われたことを思い出す。


『夏織。あんたには才能があるけれど、無理に継がなくてもいいんだよ。この職業は危険だし、おそれられて孤立することもある』


 あのときは、夏織はまだ幼くて。


 叔母の言葉の意味が、わからなかった。


 だが、依頼をこなすようになって、しみじみとわかった。


 依頼を解決すれば感謝される。


 だが、それは――畏怖いふを伴う感謝だった。


 神や霊を信じないひとびとに、うとまれることもある。


 拝み屋なんてうさんくさい、と。


 時々、嫌になって投げ出したくもなる。


 だけれども、夏織は立ち上がり、扇子を構えて舞う。


(だってもう、俺しかいないから)


 静原家の舞い手は、今や夏織しかいない。


 舞をもって、神を鎮め、悪鬼を祓い、ひとびとを言祝ぐ――そんな舞い手は。


 だから、胸を張る。


 単純に、誰かの助けになれば嬉しいから。


 それと――


「兄さんー。寒いよう」


 伊代の声がかかり、振り向くと彼女は身を起こして目をこすっていた。


「……すまん」


 窓を閉め、夏織は笑う。


「どうして、笑っているの?」


 伊代が不思議そうに問うてきた。


「今回は、気持ちのいい仕事ができたな、と思ってさ」


 夏織は自分のなかで、「花丸」をつけた。


 夜空に龍神を見られたことで、終わりもよし。


「ふうん? 早く寝ないと朝が辛いよ」


「はいはい。なあ、伊代。今回の報酬で、なんかいいもん食べようか」


 再び布団に入りながら、夏織は問う。


「いいね! いい牛肉を買おう! すき焼きにするんだ!!」


 どこまでも明るい声で伊代が応じ、夏織は苦笑する。


 身を横たえ、目を閉じる。


 まなうらに、夜空の龍が浮かんでいた。








(終)


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