エピローグ
和夏が眩しい笑顔を湛えている。その姿を見ながら歩くことにはもう慣れていて、歩調を意識することもない。
「なんつーか、めちゃくちゃ変な感じだな」
「お前がいるのが一番だろ」
「珠莉ちゃんもでしょ」
「それはそう」
和夏とクラスでも話すようになったのは、もういいと話した翌日からだ。和夏の動きは迅速だった。
今までちらとも話すことのなかったもの同士が会話すれば、当然人目を惹く。だが、それはあくまでも遠巻きで、大騒ぎというほどでもない。ちょくちょく恨みがましい目を向けられることはあれど、実害はなかった。
それよりも、苦慮させてくるのは、徹平と東という友人コンビのような気がしている。俺と和夏のことをあっさり受け止めてくれはしたが、その分からかう視線というか。盛り上げようという気概が節々で滲み出ていた。
和夏がそれをどう受け取っているのかは、さっぱり分からない。確認する覇気もないので、こんなふうに四人でいることにもうやむやに同行していた。
二条には解決だけを伝えておいたが、どこかで四人でいるところを見かけたらしい。大変そうじゃん。やっぱ、馬鹿。と短い感想がきていた。
売り子はさておき、イベントに来るようにとは言われている。そのことについて、和夏は前向きだ。二条がどうこうというよりは、イベントにだろう。フィンを見せろとおねだりされている。
「和夏ちゃんと一緒にいる分には、変じゃないんだな」
「……それは、まぁ」
徹平には身バレの相手が和夏だったとざっくばらんなことしか教えていない。情報量は少ないだろうが、そんなものは俺をからかうのに何の問題もないようだった。
「わだかまりはすっかりなくなったのか?」
「和夏のおかげで」
いくら、いいと言われたところで、感情がすぐさま切り替えられるものでもない。
だが、翌日速攻で突撃してきた和夏を引き剥がす時間なんて寸刻もなかった。そのまま和夏の勢いに押されて、ここまで流されている。根底にそばにいたいという気持ちがあるので、流されているといっても自発的ではあるけれど。
「で? それ以上はどうなってんの?」
さも当然のように、先を促されて眉を顰める。先を全般的に拒絶したいわけではない。俺だって、和夏の可愛さに頭を抱える夜がある。
だが、だからって、徹平にけしかけられたくはない。
「そっちこそ、見境ないんじゃないのか」
「はっはー。お前と違うからなぁ」
誤魔化す気があるんだか、ないんだか。半端な笑いを上げた徹平が肩を竦める。そうして、前方を歩く二人の元へと突っ込んでいった。
東に声をかけて隣に並んだところで、和夏がこちらを振り返る。徹平と入れ替わるように、歩調を緩めた和夏が隣にやってきた。
これは東を狙っているのか。和夏がこういう気遣いをするのを計算して動いているのか。どちらも満たしていそうだ。
東に彼氏がいるの知っているだろうに。
「大八木くんって珠莉狙いなの?」
「あれはあらゆる女子を狙ってんの」
「え、普通に引くし、珠莉彼氏いるけど」
「横恋慕はしないから、ひとまず話しておきたいだけじゃないか。徹平を相手にするには流すことが一番。あと、多分あれは、」
そこまで口走って、余計なことだと気がついた。
言葉を区切った俺に、和夏がフクロウのように首を傾げてくる。下から見上げられる距離感は近い。元々、パーソナルスペースはおかしかった。だが、それは女同士という認識の上だと思っていたのだ。
けれど、和夏は俺だと知ってからも、距離感が変わらない。むしろ、容赦がなくなったような気もしている。そして、その距離で詰め寄ってくる和夏に抵抗できることなどない。
「……気を遣われてんだよ」
「何それ。どういうこと?」
和夏は俺が一緒にいたいというのを、友人の感覚として捉えているだろう。だからこそ、こんなに簡単に疑問を投げられる。
「まぁ、だから、俺と和夏が仲良くできるように?」
真っ正面に見据えて答える勇気はなかった。そんなものがあれば、端から自分のことを明かせていたことだろう。
視界の隅で、和夏はぱちくりと大きく目を瞬いていた。
「仲良いじゃん」
「……だから、じゃん?」
「何それ。別にそんなに気を回して一緒にしてくれなくてもよくない? ニコイチとかじゃないし」
「徹平の中ではそうなんだろ」
そうしたい、というほうが正しいだろう。
けれど、そこまで馬鹿正直に伝えるつもりはなかった。もう和夏に嘘をつく気はないが、他人の気持ちを代弁するつもりもない。
「ふ~ん?」
不思議そうな顔で、意味深な相槌を零す。そして、にぱっと笑った和夏が、腕に抱きついてきた。
「ちょ、おい」
初めてのことじゃない。以前にもそうされたが、そのときは理性の手綱が硬く握られていた。男だと気取られることを伏せていたのだから、当然だろう。
だが、今やその枷はなくなってしまった。縛るものがない理性は、すっかり弛んでいる。動揺もかつてとは比べ物にならなくなっていた。
「何? だって、仲良しでしょ? 気を遣ってくれてるみたいだし」
「だからって、ここまでする必要はないだろ。東とはやらないくせに」
「珠莉よりも晴明のほうが仲良いし」
「……それは大言じゃないか?」
「今日だって深夜通話して学校来て話して、放課後こうやって一緒に帰ってて? 夏休みだってほとんど毎日連絡取ってたのなんて、晴明だけだよ」
こうして振り返られると、大言でも何でもなく、一緒に行動し過ぎている。
べったり具合を具体的に表現するのであれば、この腕組みも妙ではない。いや、そもそも肉体的接触で示す理由がなかった。ほだされている場合か。
「だからって、こうする理由はないだろ。ほら、離れろよ」
「照れてる?」
「……ハルキじゃないんで」
割り切れるようになっているが、慣れないことも多い。乱暴にはできなくて、半端な言葉遣いと主張になりがちだった。
和夏はそんな俺の態度を面白がってる節がある。俺が意識しているのを、にまにまと相好を崩してこちらを見上げてきた。
「何だよ、仕方ないだろ。自分が可愛いことを自認しろ」
慣れていない。慣れていないくせに、褒めることへのハードルはハルキで下がってしまっている。
文句を零して、腕を引き抜こうとした。比較的手軽に引き抜くことはできたが、引っ掛かりがなかったわけでもない。和夏が俺の動きに釣られてバランスを崩し、自分の足に引っ掛かった。
考えるよりも先に、腕が出る。胸の中に抱きすくめるように支えた。驚いて見上げてくる和夏との距離がいつになく近い。
どっと心臓が爆発して、血流が狂う。耳裏から熱が広がり始めるのと同時に、和夏の顔色が真っ赤に染まりあがった。息を吸った唇が触れてしまいそうで、動かすことを躊躇う。支えようとしたために、腰に回してしまった手のひらを動かすこともできない。
時間が止まっていた。
「おい」
「大丈夫?」
止まったことに気付いたのか。それとも、こちらの様子を捉え続けていたのか。何にしても、前方の二人が声をかけてくれたのは、不幸中の幸いだったかもしれない。
若干の名残惜しさはあったし、ニヤつかれたことには不満があるけれど。
「大丈夫!」
和夏が我を取り戻し、答えて体勢を立て直す。それに倣うように、腰から手を離すことはできた。
それでも、距離は近い。整った白磁の滑らかさも、瞳のつぶらさも、シャンプーの香りもまとわりついて離れなかった。前の二人は和夏の返事でよしとしたのか。前方へ意識を戻していた。
「ありがと」
「……俺が手を引き抜いたからだろ。悪かったよ」
「晴明って人がいいよね」
「和夏が言うことじゃないと思うけど」
「なんで?」
「男だぞ」
「助けてくれたことに変わりはないじゃん。気にしすぎなんだよ」
「反省しているので」
「馬鹿だなぁ。しつこいとリーゼに嫌われるよ」
キャラを引き合いに出してくるオタクっぽさを、和夏は隠すことなく使っていた。そのラフさがナツと変わらなくて、気が抜けてしまう。
「……それで黙っちゃうのフツーにキモいな」
「おい。フィンのことを語ってるお前にだけは言われたくないぞ」
というか、俺が黙ったのは和夏にほだされているからであって、リーゼを引き合いに出されたからではない。ただ、それを言うほうがよっぽど恥ずかしいので、趣味の話にスライドさせておいた。
「フィンちゃんは可愛いし尊いし神なの」
「よくそのテンションで俺をキモいと言えたな」
「だって、リーゼ好きはガチじゃん? やっぱ、胸?」
「そうじゃないって前にも言っただろうが」
「そっか。あれは河辺に聞いたんだもんね」
そうか。あれは図書室での出来事か。自然に話が統一されてきている。
改めてイチから、という感覚でないのは、こういう部分だ。すべては和夏がすんなりと受け止めてくれたからこそだろう。いくら感謝してもしたりないし、頭が上がらなかった。
決して、惚れた弱みだとかいうつもりはない。
「でも、実際リーゼの外見好みでしょ? 他のアニメでも同じような子好きじゃん」
「いいだろ。好みは好みで」
「三次元であんなポロポーションの子なかなかいないからね?」
しれっと言ってのける和夏を見下ろす。近い位置にいる姿は、自分でどう見えているのか。
「……ありえない希望を抱くのはやめておきなよ」
俺の沈黙をどう受け取ったのか分からない。はぁと吐息を零すと、和夏は眉を顰めた。
思えば、ハルキ相手ではなかなか見なかった表情だ。クラスメイト男子だから見せる表情ってのもあるのだろう。ハルキには憧れ成分が多かったようなので、その辺りは砕けてくれて嬉しかった。
「何?」
「リーゼをあれだけ可愛くやっておいて、その口でよく言えたな」
「?」
きょとんとした後に、じわじわと視線が自分の身体へ落ちていく。それから、ばっとこちらを見上げてくる瞳は鋭い。俺は咄嗟にハンズアップした。
「待て。俺は何も言ってない。冤罪だ」
「言ったも同然じゃん! エッチ!」
かぁと頬を染めて、胸板を殴ってくる。本気なのかもしれないが、人を殴り慣れているような子じゃない。痛いと言ってもせいぜいのもので、むしろ微笑ましかった。
これはいただけない性癖のような気がしたので心に仕舞う。
「邪な目で見てない!」
「嘘!」
「おまっ」
「だって、そういうイラスト好きじゃん!」
「ぐっ」
「弱っ。分かりやすっ! 抗弁するなら最後まで抗いなよ。馬鹿じゃん!」
「面目ない」
実際、嘘もいいところだった。
純粋にプロポーションを素晴らしいと思っている。リーゼコスプレには惚れ惚れした。それは純度の高いものだ。
だが、だからといって、和夏は生身の友人だった。神聖化するには、友人だった。観念して腕を下ろした俺に、和夏はまだ怒りを頬に残したまま笑う。言葉通りに、馬鹿だとばかりに。そうして、下ろした腕を取られる。
目を見開く俺に、和夏はからかうように笑った。
「バーカ」
そうして、歩みを再開させる。離れつつある前方へ追いつこうかとするように弾むような足取りで、俺を引っ張った。
「あのなぁ」
ハルキなら、まだこの距離が許されているのも分かる。
それを指摘するように零したが、和夏は取り合わない。どこか、意地になっているかのように。新たな関係を構築するためのように。それにしたって、距離はおかしいけれど。俺が文句を言えた義理ではない。
「行こう、晴明」
悪戯っ子のように笑う。
ひと夏をともに過ごした幻影が遠ざかり、和夏の形を成していた。その輝きは眩しくて、俺はそっと目を眇める。その勢いと熱量に炙られて、その後ろを追いかけるのだ。
着飾る俺とひと夏の影 めぐむ @megumu
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