第34話
「……確かに、ビックリしたし、どうしてって思った。でも、ハルさんは私を変に扱うことは一度だってなかったし、ナンパから事前に助けてくれたし、痴漢からも守ってくれてたでしょ?」
気がついていたのか。
ナンパのほうは、手を引いているときのことだけを言っていると思いたい。いつだって眼力で牽制していたのは、何様って感じだ。そうするのもやむを得ないと、自分では分があると思っているけれど。
「……そりゃ、まぁ、一応」
「だから、気をつけてくれたことは嬉しいし、話が盛り上がったのもすっごく楽しかった。私には趣味仲間いなかったし」
「一人で凸してたくらいだしな」
「そうだよ。そのくらい一人で活動してたから、ハルさんが一緒に遊んでくれて嬉しかったし、仲良くなれて本当に嬉しかった」
「俺だって、ナツと一緒にいれるのは楽しかったよ。コスプレにも前向きに付き合ってくれて、一緒に楽しんでくれる友だちってのは貴重だから」
「……だから、ハルさんといれたのは楽しかった。だからこそ、混乱してる」
「……そうだよな」
こうやって、落ち着いて話せているのが不思議なくらいだ。もっと感情的に責め立てられてもいいことだった。
「ハルさんかぁ」
しみじみと零されて、視線が俺を撫でていく。
ハルキのときは、フェミニンにしていた。それは自分との不和もあるし、男であることをぼかすならば、女性っぽさを優先して個性を消す方法しか思い浮かばなかったからだ。
「珠莉はすごいね。首筋のほくろひとつで分かっちゃったんだもんね。私、何を見てたんだろう」
「性格とか趣味だろ」
ナツが重視していたのはそちらだろう。
外見を褒めてくれることもあった。フィンをやっているときなんかは鮮烈だ。けれども、それは特例というか異例というか。コスプレのファンという例外的なものだった。俺自身の姿には、それほど頓着していなかったはずだ。
「……そっか。私、ハルさんの外見に惚れたと思ったんだけど、もうそんなレベルじゃなかったんだ」
けろっとした顔で、腑に落ちたとばかりに、とんでもないことを言い放つ。
惚れた。
言っている意味は分かる。自分だって、コスプレイヤーに見惚れることなんて山のようにあった。それは惚れるという表現で間違っていない。
だが、制服を着た同級生に言われると、ざわめきがあった。今はナツと御影の違いを切々と感じているから余計に。
「河辺にほだされてたんだなぁ」
「ほだされてんのは俺のほうだと思うけど」
他はどうしたって後ろめたさがまとわりつくが、こればっかりは心の底からの見解が出た。
御影は長い睫毛を瞬く。そこで疑念が湧く理由が分からない。ハルキに突撃をかましてきたのはナツだ。ほだされていなければ、付き合いが深くなることはなかった。リスク回避に走っていたはずだ。
そんな雑な対応ができなかったのは、自身の弱腰の面も否定はできないが。
「御影は……可愛いし、楽しそうにしてくれるし、もっと楽しませてやりたいと思うし、周りの変な男に邪魔されたくはないと思う」
こっぱずかしさが胸の中で渦巻いている。
それでも、御影に対してこれ以上取り繕うことはできなかった。言葉を尽くす以外に、誠意の見せ方はない。この先の言動で見せることはできるが、この場で言えば、これ以上はなかった。
「河辺ってそういうこと言えるんだ」
「何だよ、それ」
とはいえ、キャラでない自覚はある。気恥ずかしさがその証拠だ。
「告白みたい」
「それだけ親身に思ってるよ」
告白だと認めるのは度しがたい。自分でも認められていないものを吐露するのは、早計だろう。再びの過ちになりかねない。そんな轍を踏むつもりはなかった。
それに、告白するのであれば、こんな片手間やついでにこなすつもりはない。これは理想を抱いているだけに過ぎないので飲み込んだ。
「……じゃあ、明かしてくれればよかった」
「嫌われたくなくなったんだ。ごめん。すみませんでした」
ごめん、だけでも、友人同士なら真剣味は付随するものだろう。
だが、俺たちの関係は据え置きになっているし、簡易的に済ませていいものでもない。改めた敬語に、頭を下げた。
ここまで正式な謝罪をする機会など、そうない。下げてしまうと上げるタイミングが分からなくなって、じっと足先を見下ろしていた。御影の反応がない。死刑宣告を待つような時間に炙られた。息が上手くできない。
「……もう、いいよ」
胃の中に氷をぶち込まれたような気がした。ひゅっと喉が鳴る。目の前が真っ暗になった。
覚悟していたって、絶望しないわけじゃない。
瞬間、がしっと頭を両手で掴まれて、ぎょっとする。強制的に戻ってきた視界と自我をよそに、ぐっしゃぐしゃと髪の毛を撫で回された。
「え、ちょ、は? ナツ?」
「もうハルさんとは呼ばない」
「お、あ、ああ、うん?」
「晴明でしょ?」
「は?」
「そっちも、和夏でいい」
「いや、ちょっと待って、え? もういいんだろ?」
「だから」
ぐしゃぐしゃとした手荒いやり口は続いている。心まで一緒に引っ掻き回されているようだ。混乱の渦に巻き込まれて、抜け出せない。
御影はそう言うと、頭を掴んで俺の顔を引き上げた。至近距離で目が合う。近い。心臓が止まった。
「仲良くしてたのは本当でしょ」
端的で平らに聞こえる。けれど、御影の表情は硬かった。瞳だけが、ゆるゆると揺れている。
「当たり前だろ」
「だから、いいの」
「でも」
「うるさい!」
ここ一番。鬱陶しそうに叫ばれて、ごちんと額をぶつけられる。
「いって……!?」
勢いで頭が後方に逃げたが、御影が捕まえているので離れられない。そして、そのまま額を合わせて上目遣いに捉えられる。
いや、近い。ハルキとして接していたときよりも、パーソナルスペースがおかしかった。どういう心理状況なんだ。
「そりゃ! 最初っから男だって分かってたら、会わなかったかもとは思ったし、めっちゃ普通にスキンシップしてたし、なんか女子特有のノリとかやっちゃってなかったかなとか、色々考えたけど! でも、男だったとしたって、河辺だって分かってたんだったら、私は多分、結局会ったと思うんだよね」
「は、はぁ……」
責めることもさしてなかったし、理由を追及するときでさえ荒ぶることはなかった。それが、捲し立てられて面食らう。
「だからね! いいっていってんの。過ぎたことじゃん。河辺は私と過ごしてるつもりで仲良くしてくれてたんでしょ!?」
……そっか、と目からうろこが落ちた。
いや、当たり前過ぎて、見落としていたかもしれない。ナツはナツだと思っていた。でも、御影だと認識していた。そうでなければ、教室とのギャップなんて考えやしない。御影にしては意外だと思いながら、ナツと呼んでいただけに過ぎなかった。
俺が楽しんで相手していたのは、正真正銘御影だ。
……そうか。
「だから、もういいの。そりゃ、まぁ……ちょっと、照れくさい? というか。そういうのはあるけど」
「……そうか?」
「手を繋いいだり、腕を組んだり、したでしょ!」
「すまん」
「いいよ。ナンパ避けでしょ。そうやって気遣っての行動だろうし、だから、そういうのぜーんぶひっくるめていいって言ってる」
「ありがとう、御影」
「和夏でいい」
「何の提案なんだよ」
得心いけば、ぎこちなさは解れてきた。額を合わせたままなことに心臓の悪さが巡ってくるくらいには、冷静さが戻ってきたのは考えものだったが。
「これからも、仲良くしようってこと!」
わっと叫んだ御影が、俺を手放してよそを向く。その頬がほのかに桃色に染まっているようで、じわっと頭の奥から熱波が襲ってきた。
こいつ、こんなんだっけ?
と何度だって思った感情が過る。
いつだって、ひとつひとつ御影の顔を見てきた。今までと同じことだ。そのひとつがまた増える。
じんわりと御影が許してくれた実感が胸に広がり始めた。
「……いいのか」
こういうのは、無粋と呼ぶのかもしれない。不器用ながらに認めてくれる彼女に再確認なんて、間が抜けている。それでも、そう簡単なことなのか。その感情を拭うことは難しかった。
御影はそっぽを向いたまま、視線だけをこちらへ寄越す。
「だから、しつこいってば。晴明が嫌じゃないならいい」
「嫌なわけないだろ。御影とい」
「和夏」
「……和夏と一緒にいられるなら、嬉しい」
口にして初めて、その意味深さに気がついた。
けれど、どうしようもない本心は引っ込めることもできない。御影……和夏に倣うように視線を逸らしてしまったことも、余儀はないだろう。
「……だったら、今まで通りでいて」
「ありがとう」
「もういいから」
「ああ」
俺の相槌を、物覚えが悪い子どもような目で見る。仕方ないだろうと不貞腐れてしまえば、それこそガキのそれなので分が悪い。
思えば、最初からずっと和夏のペースでやってきた。分が悪いのも何もかも、何も変わらないような気になる。
俺は随分、チョロい。ほだされている。その通りだ。
和夏はそんな俺の心中を看破しているのか。ふっと表情を緩めた。広がっていく紺色に街灯の光に薄らと照らし出される。薄暗い夜の入り口で、和夏の笑顔が輝いた。
「よろしくね、晴明」
自分の名前など霞んだ。遠くにぽつぽつと姿を見せている星すらも茫洋として、焦点から外れる。
今まで見たどの笑顔もよりも爽やかで真っ直ぐな剥き出しの和夏に、俺は目を眇めた。
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