後編

 ところで……あなたは何か飼ってらっしゃいますか?

 犬とか、猫とか。最近だと爬虫類なんかを飼う方も増えているみたいですよね。

 あぁ、ワンちゃんが。わぁ、すごく可愛いですね……。


 私も、ずっと飼いたかったんです。

 近所に庭で柴犬を飼っている家があって、幼い頃から家の前を通る度に手を振って。野良猫なんかも町で見かけると可愛くて、でも、動物は私を嫌がります。


 いえ、動物たちにソレが見えているわけではないのです。

 吠えられたりもしますが、彼らはソレに向かって吠えるわけではなく、ただ私に向かって吠えてくるので。

 ハムスターやうさぎ、亀、そういう生き物たちもダメで、小学校の頃は飼育委員にもなれませんでした。


 母は潔癖のきらいがあり、動物園にも行きたがらないほどでしたから、幼少期の私は動物との触れ合いがほぼ皆無でした。まぁ、そのおかげで動物たちから拒絶されているという悲しみも最小限で済んだのでしょうが。


 動画投稿サイトやSNSでは動物ネタが人気ですよね。大学生になった頃から、必然的に目にする機会も増えました。大学進学を機に一人暮らしを始めていたので、ますますペットが飼いたくなりました。

 ペット不可の物件でも、ハムスターや、匂いの少なく鳴かない動物であればこっそり飼えるという話も見たりして、余計に。

 なのでいくつかペットショップを回ってみたのですが、ダメでした。

 犬猫小動物、爬虫類に鳥類魚類、全部ダメです。私が店内に入ると、一斉に吠えだし、暴れだし、隠れるのです。


 五店舗目のペットショップを逃げるように出てからは、もう行くのをやめました。

 動画を見るだけで我慢しよう。そう思いました。


 ソレがまとわりついているような人間ですから、きっと良くない気配を漂わせているのだろう。そしてそれを感じ取って拒絶されるのだろう。

 全ては私が悪いのだと。

 そんなふうに考えている最中でも、ソレは私の隣に立っていました。


 そうして私は思ってしまったのです。

 ソレを、ペットのように思ってはどうだろうと。


 あぁ、だから、私は、あの日、あの日、いつも更新を楽しみにしている白猫の動画を見た後で私は、私はソレに、…………ソレに、名前を、付けたんです。


 オ、オカルト雑誌の記者さんですもんね、馬鹿だと思いますよね、名前を付けるなんて、絶対やったらダメなんですよね? 

 でもそんなの、知らなかった。それに、ソレは、だって、何も、ただ立っているだけで、誰にも見えていないし、ソレは、霊能者に知覚できないならソレは、霊ではなくて、だから、私にだけ見えていて、だったらイマジナリーフレンドにも名前はあるし、ソレにだって、名前があっても、いいと。

 全部、全部言い訳です。すみません、ごめんなさい。ソレはソレでなくてはならなかったのに私はソレに名前を、はい、名前を付けました。言いませんよもちろん、当たり前じゃないですか聞きたいんですか?

 嫌です、口にも出したくありません。自分で付けたのにって思いました? 思いますよね。馬鹿みたいですよね。だってペットみたいに思おうって、そのために名前を付けようって、そう思って行動したのは自分なのに、そのせいで……あぁ……そう、そのせいで、私がソレにあんな名前を付けたから、みんな……。


 …………私、名乗りましたっけ。

 え?

 あ、そうか、そうですよね、最初に……名刺もらって、その時に自己紹介しましたもんね……。

 ミサって、私、みーちゃんみーちゃんって呼ばれてた時期があって、でもほら、分かりますかね、なんか女の子って、大人ぶりたくなる時が結構早く来るじゃないですか、お化粧してみたいとか、ネイルしてみたいとか、そういうのの一環で、あだ名で呼ばれるのを嫌がったんですよね。

 だからもう幼稚園の先生にもミサちゃんって呼んでもらいたがって、友達にも、家族にも、ミサちゃんって。でも、今になって思うと、みーちゃんって呼ばれ方も可愛くて好きだったなって。ワガママですね、人間って。


 すみません、すぐに話が脱線して……いえ、その、はい……名前を付けて、そのせいでソレは自我を持ちました。私が名前を呼ぶと、ニタニタと嗤うんです。全部の口が、歯茎が見えるくらいに、ニタァって。気持ち悪くて、私、よくないことをしてしまったのではと、怖くなって、そうしたらソレが、消えました。


 ずーっと。産まれてこの方ずっと見えるところにいたソレが、見えなくなったんです。私はパニックに陥りました。慌てて母に電話を掛けても繋がらなくて、父とも、友人とも、誰とも連絡が取れなくて、途方に暮れました。

 たったひとり、ぽつんと、部屋の中に座っているのがどうにも落ち着かなくて、立ったり座ったりを繰り返しながら何度も電話を掛けて、やっと母と電話が繋がったと思えば、電話の向こうからはノイズ混じりの、性別も分からないような声がしました。


『○○さんは死にました。食われて死にました。おめでとうございます。ありがとうございます。おめでとうございますありがとうございますおめでででででででででででででででででででで』


 悲鳴を上げて投げたスマホが床に落ちて、電話が切れました。脂汗がわっと吹き出して、私は実家へ急ぎました。

 明かりの付いていない三階建ての一軒家。玄関には鍵がかかっていました。扉を開けると、むわりと嫌な匂いがしました。鉄臭くて、脂臭くて、生臭くて、壁も床も天井も、おびただしいほどの血が飛び散っていました。柱や壁の角、家具などの至る所に歯形が付いていて、リビングの中央に、血溜まりがあって、そこに、肉が転がっていました。髪の毛が散らばっていました。歯が落ちていました。いくつもの肉片の、その全てに歯形が付いていて、半分以上欠けた父と母の頭が、私を睨んでいました。


 あまりの惨状に、ニュースにはならなかったようですね。どこかが規制でもしたのでしょうか。分かりませんが。とにかく闇に葬られたことには違いありません。父と母は警察に引き取られ、今も返ってきません。お葬式もしていません。親族は、全員死んだので。

 はい、みんなソレに、はい……だから、誰も知りません。私も携帯を解約してしまいましたし、引っ越しもしたので、誰も。


 友人もみんな死にました。私が連絡先を交換していた人はみんな死にました。

 ソレの名前を知る人も、みんな死にました。

 え?

 あぁ、あなたとは連絡先の交換はしていませんし……私が一方的に呼び出して、それに応じてくださっただけですから、大丈夫ではないですか?分かりませんけど……でも、これを記事にはしてもらいたいので……それまでは食われないでください。お願いします。


 私がいけないんです。名前なんて付けてしまったから。ソレは、ソレのままにしておかなくてはいけなかったのに。

 実は、昨日まで一人逃げ続けていた方がいたんです。どこから私のことを知ったのか、しつこく付き纏われて、それでまだ解約していなかったスマホの連絡先を仕方なく交換した人が、ずっと逃げていたみたいで。でもその人も、昨日死んでしまって、それで、たぶん次は私なので。

 最後に、せめて家族や友人や、私が生きていたことを記録に残しておいてほしいなって。

 これ、写真です。好きに使ってください。

 ありがとうございました。


(カチッ)


 あ、録音終わりですか。本当にありがとうございました。

 あの、取材の翌日、私も食われて死んだことにしていただいて構いませんので。はい。その方が話題になるでしょう?

 どうでした?

 私、反省している風に話せてました?

 ははは、それならよかったです。音声データも使ってもらって大丈夫です。

 はぁ、疲れた。

 え?

 あぁ、いや別に、何も思うところがないわけではないですよ。でも、特に悲しむとかはないっていうか。

 母はね、いわゆる教育ママだったんですよ。受験だテストだやれ東大だ医学部だって。お前らみたいな馬鹿から天才が産まれるわけないだろって、ねぇ?

 ギリギリ合格はしましたけど、ギリギリって惨めですよ。友人とか言っても、結局私を踏み台っていうか、引き立て役みたいに使うやつらばっかりなんで。

 ミサちゃんよりは、ミサちゃんよりは、成績も、見た目も、何もかも。

 みーちゃんを馬鹿にしやがって、クソが。

 はい?

 ソレについては全部本当のことを話してますよ。どうせ私も死にますしね。プライバシーとかも、もうどうでもいいんで。

 本当に、後悔してますよ。

 ははははは、もっと、ねぇ?

 もっと早くやってたら、楽になれてたのに。

 え?

 いや、だから、もう私にソレは見えてないです。どこかへ行ってしまったんですよ。言ったでしょう。自我が芽生えたって。好きに生きてるんじゃないですか? 生きてないか、別に。

 名前、分かれば見えるかもしれないですね。呼んであげてください。可愛いですよ。

 あ、え、うそ、もうなの、うそでしょ、だってここ喫茶店、ちょ、おぁ、あああ、いだ、ああ、おご、ぐぅぅ……ああああああああ、いだいいいいいい、あああ、ごぶ、や、やめ、ご、み、がひゅ


(悲鳴と咀嚼音の後、遠くからサイレンの音)


「ミサちゃんおめでとうございますミサちゃんありがとうございますみーちゃんみーちゃんみみみみみみみみみみみみみみみみみみみみみみみみみみみみみみみみ(プツッ)

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後悔の日 南雲 皋 @nagumo-satsuki

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