バスが出るまで一時間、私は彼とフードコートにいた
石田徹弥
バスが出るまで一時間、私は彼とフードコートにいた
平日とはいえフードコートには家族連れや中高生が多く訪れていて、広い空間を埋める声々はひとつのBGMのようでもあった。
「そこ空いてる」
岡本
両手はトレーを持っているために塞がっている。上にはサブウェイで買ったサラダチキンサンドイッチが乗っていた。
時雨の後ろを歩く中江俊介が「ほんとだ」と言って席に座ろうとした。
だが一歩遅く、高校生カップルが席に座り、俊介を睨んだ。どちらも髪のインナーを明るい色に染めており、耳にはピアスが光っていた。
その彼女のほうが時雨の存在に気付くと、すぐに笑顔に変わった。
「時雨じゃん。サボり?」
彼女は時雨の二つ年上の地元民だ。そこまで仲良くはないが、狭い町であるために顔を合わす機会も多い。隣にいる俊介が時雨の彼氏であることも知っているし、二人がこの夏に初体験を済ませたことすら知っている。それだけ情報は筒抜けなのだが、その程度ではもう時雨は驚かなかった。
「うん、そんなとこ」
「うちらも。またカラオケいこ」
時雨は高校生カップルに愛想笑いを浮かべると、俊介とその場を離れた。
「ごめん」
座る場所を改めて探しながら、俊介は時雨に振り返って小声で謝った。
「別にいいよ」
そんなことはどうだって。
それよりも、すぐに謝る癖をやめてくれた方が時雨は嬉しい。
結局ほかの場所はどこも空いておらず、しかたなく二人は柱に飛び出すように生えている、立食用のテーブルにトレーを置いて向かい合った。
二人ともが肩にかけていた大きなバッグを地面に置くと、ようやく息をついた。
二人とも私服だ。先ほどトイレで学校の制服から着替えていた。かといって平日のこの時間に中学生二人が私服で歩いていれば補導される可能性もある。先ほどの高校生カップルは堂々と制服で過ごしていたが、それは〝そういう人間〟であると、この町での自分の生きる位置を定めているからだ。
時雨にはそのような生き方はできなかった。
時雨は不安をかき消すためにも、サンドイッチを頬張った。
ふと見ると、時雨とは違って俊介はあたりを警戒している。余計に怪しまれるだろうと時雨は心の中でため息をついた。
「食べないの?」
俊介は照り焼きチキンサンドイッチ。
だけど野菜嫌いの俊介は、野菜を全部抜いてもらっていた。
それじゃもう別の食べ物だから、他の店にしようかと時雨は言ったが、「時雨と同じ店でいい」とつっぱねられた。
俊介は「食べるよ」と言うと一気に頬張って、むせた。
時雨は自分のアイスティーを俊介に飲ませた。
「ありがとう」
俊介は一気に時雨のアイスティーを飲み干すと、しまったという顔を浮かべて自分の飲み物を差し出した。
しかし時雨は断った。ジンジャーエールだったからだ。
時雨は炭酸が嫌いだった。もう何度も俊介には言っているが、覚えてくれない。
まぁいい。時雨はスマホで時間を確認する。
午前十一時半を過ぎた。
「バス、何時だっけ」
俊介はポケットからぐしゃぐしゃのチケットを取り出すと、時間を確認した。
「あと一時間」
「忘れ物はない?」
時雨は足元のバッグを見た。
中には着替えと化粧品、何度も読んだ「星の王子様」と充電器が入っている。
バイトで溜めた十万円は盗まれないように、今着ている下着の中に隠してる。
俊介のバッグは、時雨よりも一回り小さい。女性の方が持ち物が多いとは言え、男子中学生の生活必需品はあれだけで足りるのだろうか。
「大丈夫……」
俊介はバッグを見ずに、答えた。
そうしてふと、時雨は気づいてしまった。
あぁ、そうか。
そういうこと。
あと二口ほどだったサンドイッチは唐突に喉を通らなくなり、包み紙で包んだ。
「あっち着いたら何時だっけ」
話題を変えるように時雨は言った。フードコートに目をやる。何人かは見知った顔だ。狭い町ではそうなる。行く場所も、行き着く場所も、大体同じ。
狭い世界で生まれ、育ち、生き、そして朽ちる。
「えっと……何時だっけね」
俊介は時雨とは違い、どこかを見てはいるが、どこも見てないようだった。
「バスで八時間とかだから夜の十時くらい? あのネカフェ身分証本当にいらないのかな」
「たぶん」
「駄目なら野宿。それか……ラブホ?」
ちらりと俊介を見ると、少し顔を赤らめてはいるが、表情は暗いままだ。
気にせず時雨は続けた。
「仕事、どうする?」
「だから、それはあっち着いたら考えるよ」
「うちら中学生なのに、働けるかな」
「新聞配達とか」
「私は、ごまかしてガールズバーとか」
急に俊介が時雨を見つめた。
「は、嫌だよね……そういうことになるとさ」
「え?」と言うしかなかった。時雨はわかっていた。俊介はこういう〝きっかけ〟を探していただけだということを。
「あのさ」
俊介は真剣な表情に変わった。とはいえ、まだ小学生にも間違われるような童顔だ。真剣な顔をすればするほど、泣いているような顔になる。よく見ると口元にサンドイッチのソースがついたままだ。滑稽に見えるが、時雨はこういう俊介の抜けているところが好きだった。
「やっぱり——」
俊介の言葉を最後まで聞く必要は無い。聞く元気もない。どっと疲れてしまった。何日も前から不安と期待の入り混じった感情で過ごし、今日という日は一生忘れないだろうと思いながら、家を出たのに。
本気だったのは自分だけだった。
本気で、この狭くて、つまらなくて、くだらなくて、大嫌いな世界から抜け出したいのは自分だけだった。
それがわかると、どっと疲れたのだ。
「無理かなぁ」
時雨はそう呟くと、まだ残っているサンドイッチをぎゅうぎゅうと手のひらでつぶした。
俊介は不思議そうにその手の動きを見つめている。
時雨はそのまま、あと二口だったサンドイッチをゴミ箱に投げてみた。
全然違うところにぶつかって、床に落ちた。包み紙は広がり、中に残っていたサンドイッチが床に散乱した。野菜増量のサンドイッチ。
時雨は少し笑った。
「二人で生きてくなんてさ」
フードコートを後にした俊介は、時雨と一緒に近くの公園へやってきた。ここは二人で何時間も時間を潰してきた思い出の場所だった。手をつないだまま、ベンチに腰掛ける。
時雨はしばらく無言だった。俊介はその沈黙が怖くて、どうにかしたかった。
「ごめん」
しかし時雨の反応は特に無かった。代わりに、
「それ、何が入ってるの?」
時雨が俊介のバッグを指差した。俊介はファスナーを開くと、中を時雨に見せた。
中には「進撃の巨人」の単行本が十冊入っていた。
「借りたままだったから」
それをみて時雨は小さく笑った。笑い声はだんだん大きくなっていって、しまいにはお腹を抱えて笑い出した。
俊介はホッとした。怒ってない。別れようって言われたらどうしよう、嫌われたらどうしよう。そんなことばかり考えていたから。
俊介は時雨の肩に触れた。
「高校卒業したら、ちゃんと親に話してここを出よう」
正直に。逃げるのではなく。
怒られたって、殴られたっていい。真っすぐに、時雨と歩んでいきたい。
それは俊介の覚悟だった。
時雨は声に出して答えなかったが、小さく頷き、俊介に笑いかけた。
優しく。いつものように。
俊介は、ホッとした。ホッとしたら、喉が渇いてきた。
「ジュース買ってくるよ。何がいい?」
「私の好きなやつ」
「好きなやつって、なんだっけ」
時雨はいつも何を飲んでいたっけ。そういうこともちょっとずつ覚えていかないと。
「コーラ」
俊介は「わかった」と言って自販機へ向かい、二人分のコーラを買った。
戻ってきたときにはもう、時雨の姿は無かった。
バスが出るまで一時間、私は彼とフードコートにいた 石田徹弥 @tetsuyaishida
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