ブルー症候群

筆入優

 信号を見ないようにする。青空を見上げないようにする。人の服装が、水たまりに映った透明感のある青空が、目に触れないようにする。俺は世界の『青』から目を逸らして家路を辿る。


 日本初のブルー症候群患者と診断されてから、俺は毎日こんな生活を送っている。

『青』を見ると、腹の底で虫が蠢くような耐えがたい不快感に襲われるのだ。それは『青』が濃くなるほど強さを増す。サングラスで色を遮断してもそれは襲ってくる。脳内で『青』を思い浮かべても、襲ってくる。文字の『青』を見た時も、その内側に潜む濃度や姿は想像しない。


 ちなみに青春も駄目だ。高校時代にこの病気にかかってからは、友人とか恋人とか、そういった概念は全て遠ざけるようになった。高校を退学した後は在宅ワークで食いつないでいる。諦念はずっとあるのに、生き延びる術が存在するせいで今日も生きている。


 家に着いた。ドアを開けて中に入る。内装の壁が白いのはもちろんのこと、家具や衣料品などの生活用品全てを白に統一している。家の中が寒く感じるのは、きっとそのせいだ。真っ白な部屋を見るたびに、まるで中に雪が積もってしまったかのような錯覚に陥る。

 ベッドに寝転がる。『青』に限らず、視界に入るもの全てが疎ましく思えて、俺は目を閉じた。


  *


 それから数日後。突然ブルー症候群の症状が襲ってきた。家に青い物はないのに、何故? 疑問だけが思考を埋め尽くして、理由を考える空き容量が失われた。

 耐えがたい不快感。居ないはずの虫が体内で蠢く感覚。俺は震える手で携帯を掴み、救急車を呼んだ。


  *


 目が覚めると、ベッドの上に居た。家の中と同じ、真っ白な部屋。ここが病室だと気づくまでにそう時間はかからなかった。


「起きましたか」


 いつも世話になっている総合病院の医者の声が聞こえる。左側の丸椅子に座る彼に、首だけ向けた。そこには、喋っていないだけで福井先生も居た。俺が鬱病を発症してから世話になってる先生だ。


「早速、今回の症状について説明しますね」


 医者の言葉に俺は頷く。


「先ほど検査しましたが、身体に異常は見られませんでした。なので、一応精神科の福井先生にも相談してみたんです。そしたら、あくまでも推論ですが、一つ結論が出たんです」


「どんな結論ですか?」


 俺が尋ねると、福井先生は苦笑しながらこう言った。


「鬱病だし……気持ちがブルーになったんじゃないかな」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ブルー症候群 筆入優 @i_sunnyman

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ