新生児担当の看護師

浅賀ソルト

新生児担当の看護師

私は看護師で新生児を担当している。現代においては新生児はほぼ死なないと言っていいのだけど、死ぬときはよく分からない原因で死んだりする。そして同じ看護師が担当しているところで連続してしまうとジンクスのようなものも生まれてしまう。呪われてるとか憑かれているとかそういう類の噂だ。原因不明なだけに縁起が担がれやすい。

そしてこういうのは周囲の人間にとってもそうだけど、呪われた当人としてもショックだ。

私は一週間で2人の赤ん坊の死に遭遇した。

イギリスでの新生児死亡率は大体0.3%である。1000人のうち3人が死ぬ。日本だと0.2%。統計と確率とその他のあれこれを考えて同じ看護師が担当している一週間以内で2人が死ぬというのはないことはないし珍しいとは言えないのかもしれないけど、人の心には強烈な印象を与える。担当医やその他もそれほど数が多いわけではないので、新生児の死に立ち会う可能性というのは低くはない。

理屈は分かっていても精神的にやられてしまった。ああすればよかったんじゃないかとか、自分に何か悪いことがあったんじゃないかと考えて、ぐるぐると思考のループに入り込んでしまった。私自身は普通に仕事ができていたつもりだったが、気がつくと空中の一点を見ながら考えごとをしていたり、人の話を聞きながら脳内で冷たくなった新生児の姿がフラッシュバックしたりした。新生児の死体というのは肌が異様に白い。土気色と呼ばれる独特の死体の色だ。生命力に溢れたピンクですべすべの赤ちゃんばかり見る職場では、呼吸も心肺も停止したそれは強烈なインパクトだった。脳内でフラッシュバックすると、早く蘇生措置をしなくちゃと焦り、うわーと叫びそうになってから、自分がみんなと一緒にブリーフィング(立ったままの引き継ぎ会議)の最中だったと気づく始末だった。心臓がバクバクいっていて、完全な不審者だった。

上司に呼び出されてしばらく休暇を取った方がいいと言われた。場合によっては職場を変えた方がいいとも、その場合の推薦状は書いてやるとも言われた。そんなにミスをしたつもりはなかったので「ちゃんと仕事はやれてます」と反論したのだが無駄だった。ミスをしてからでは遅いとも言われた。この仕事をしているとそういう状態になることは普通にある。あなたの能力を疑っているわけじゃない。誰でもこのショックを経験し、乗り越えていくのだ、と。

そして急に二週間の休暇になった。これは医療現場の決まりになっている。

そもそも専門学校でこういう看護師のメンタルケアについても習ったのだけど、自分がそういう状態になっても、自分が周囲からメンタルケアされてると自覚はできないものだ。「あ、これが自分が習ったメンタルケアなんだ」と気づいたのは休暇を一週間消化したあとだった。

そのあいだは、起きて、食事をして、スマホを見て、なんだかそんな風にして時間を過ごした。ネットを見ていると子供の死というのはどうしても目にすることになって、よくないと思いながらもそれらを見るのがやめられなかった。

自分は悪くない。これは確率の問題である。こういうことは誰の身の上にも起こり得るのだ。もちろん、呪いのせいでもなければ私のミスのせいでもない。みんなもそう言ってくれたし、自分で自分にもそう言い聞かせたが、心の底、深層心理の深層ではそれを信じきれなかった。自分のせいで子供が死んだのだという感覚が消えなかった。

ニュースで自分のいないところで死んでいく子供を見ることでその感覚を消すことができた。自分に関係のない子供の死は、自分に関係がない子供の死だった。自分のせいではい他人の死だった。自分のせいではないというのが私にとって重要なことだった。それをたくさん見ることで少しずつ心は軽くなっていった。

復職はした。新生児の看護に戻った。周りは歓迎してくれた。しかし、見回りをしているときの悪夢は消えなかった。新生児を右から左に見ていくとき、その中に土気色の赤ん坊がいるような気がした。それどころか積極的に死んでいる新生児を探していた。みんな生きていると安心すると共に、誰も死んでいないことが不安にもなった。いつかまた自分は死んだ新生児を発見することになるだろう。いつか発見することになるのに、それは今日じゃなかったということがストレスになった。発見するのが一年後なのか十年後なのか、それが分からないのが不安だった。

私は結局のところ転職を希望した。うまく説明できなかったので、とにかく環境を変えたいということを伝えた。看護師というのは元々流動性がある仕事なので簡単に受理された。環境を変えた方がいいかもしれないと上司や同僚も賛成してくれた。

新しい職場で心機一転頑張ってね。

そして私は別の病院に元の病院からの推薦状と共に転職し、そこで新生児を看護するようになった。

環境が変わると悪夢が収まるというのは確かだった。いつ死ぬかいつ死ぬかと看ながらビクビクするような毎日からは抜け出すことができた。

そして少しずつ、新生児たちを巡回しているときに怯えるのではなく、巡回を終えてからの落胆に変わっていった。

端から順に見ていくときに、大丈夫、大丈夫、次の新生児も大丈夫、とストレスを感じて、最後に誰も死んでいなかったと安心するのがこれまでだった。順番に見ていくときに強いストレスがかかるのだけど、何十人もいる新生児室を見ていくときの時間というのは長い。長時間のストレスというものに人間は慣れてしまうものである。巡回の過程でいちいちビクビクすることがなくなると、最後に安心する瞬間というのもなくなる。しかし最後の瞬間だけは慣れることがないので、そこが安心するのではなく、翌日への恐怖にすりかわったのである。

ああ、今日も死んでいなかった。いつになったら死ぬんだろう。

私はその日々の安心とか落胆とか、気持ちの浮き沈みがしんどくなった。一日一日を乗り越え、それを一週間続けて、さらに一週間を何事もなく過ごした。これを十二ヶ月続けるのかと思うととても無理だと思うし、看護師という職業を続けていると一生やるのは不可能だと思った。急に額がかゆくなりむしったり、何か背後に視線を感じて小声で「こっちを見るな」と呟いたりした。そういう変な行動をすると気持ちが楽になった。

新しい職場で新しい同僚と世間話をしながら一ヶ月が経過した。仕事にも慣れたし、人間関係も問題なかった。

道具の置き場所も教えてもらったし、薬品棚のインスリンの場所も覚えた。

楽になりたかった。ほっとしたかった。

私はインスリンを持ち出すとポケットに入れた。

夕方の18時、自分の当番のときに未熟児の集中治療室に入った。3人の未熟児がいた。早産のために呼吸器や点滴もつけられていた。未熟児そのものはケースに入っていて無菌状態にあり隔離されていたが点滴のチューブから先は外に出ていた。看護師が未熟児の点滴を調整することは普通のことだ。私はその点滴にインスリンを加えた。2000グラムにも達していない未熟児の致死量などほんのわずかだ。注射器の針を点滴の中に刺して注入したが少なすぎるようにも感じた。なんとなくそれっぽく酸素飽和度を見てその場を離れた。

新生児室は集中治療室と違い個別にケースなどはない。ベッドが並んでいてそこに10人の新生児がいた。廊下のガラス越しに見舞客が見れるようになっている。そちらを見ると一組の若い夫婦が立っていた。夢中になって一つのベッドを見守っている。私はガラスのこちら側を歩き、ベッドの間を通って、適当にその夫婦とは関係なさそうな新生児の横に立った。腕も足もぷっくりしていた。まだ人間らしさより猿っぽさの方が強い。あまりかわいくない新生児だとその死体を見たい気持ちになれなかった。しかし、その腕に注射を刺した。新生児の痛覚はいい加減なので注射しても泣くことはない。インスリンの液を全部中に押し入れてすぐに抜いた。押さえないとさすがに出血が目立つ。私は血が止まるまで数分待って、そこから離れた。三人はやりすぎかと思ったので、ほかの新生児には手を出さなかった。

ナースステーションに戻った。

「異常ありませんでした。かわいいですね」

「ありがとう」同僚が声を掛けてくれた。

私はモニターをちらちら見ながら時間が経過するのを待った。ポケットの中のインスリンの瓶はそのまま持ってきていた。不自然なタイミングで戻すとバレてしまうので、自然なタイミングで戻す必要があった。ポケットの中の重さと硬さが意識から消えなかった。

同僚はスマホを見ていた。

まだか。無意味だったのか。量が足りなかったのか。次第に私は不安になってきた。追加の投薬が必要かもしれないと思ったとき、ナースステーションに警報が出た。全員に緊張が走った。

「集中治療室で異常です」

こういうときの救命セットを揃えて看護師と医師が新生児室へと急いだ。もちろん私も一緒だった。

低血糖になって死にかけている新生児がそこにいた。全身が震えて痙攣を起こしていた。おそらくは意識障害も発生しているが新生児では外からは分からない。肌の色はまだピンクのままだった。体温が低下しているのは計器に出ていた。

原因が分かっている人間は私だけだった。適切な対応方法を知っているのも私だけだった。

なかなかすぐに低血糖とは特定できるものではない。そしてすぐにもう一人の未熟児でない新生児にも低血糖の症状が出て現場では焦りが発生した。

このままでは死んでしまうのに何が起こっているのか分からない。医師と看護師たちが必死で二人の新生児を看ているが、全員に絶望的な表情が浮かんだ。心肺が停止するピーという音がほぼ二箇所で同時に響いた。駆け付けた応援の医師と二人で新生児への蘇生が始まった。呼吸ボンベと心臓マッサージが始まる。未熟児への心臓マッサージというのは慣れていないと奇妙な光景に見える。もちろん、私も含めて現場にいた人間はみんな慣れていた。夕方の病院内にまだ残っていた他の病気の患者や数々の新生児の関係者たちが何事かと廊下の向こうに集まってくるのが見えた。

個人的に見たかったのは未熟児より新生児の方だったので私はそちらの救命措置に動いた。集中治療室の新生児はケースの中なので視覚の間にガラスがある。見たいのは間に何もないダイレクトな新生児の死体の姿だった。もちろん集中治療室の子供も救命措置においてはケースから出されるが医師が中心になるし、より専門性が必要になるので私は遠くでしか見ることができない。新生児の方が近くで見れる。

ちょっと窓の外を見るとさきほどの夫婦が心配そうにこちらを見ていた。そのそばに看護師がいて離れるように説明をしている。心配なのは分かるがこういう風景を見ることで今後の育児に影響が出ないとも限らない。あまり怖いものは見ない方がいいので離れるように説得しているのだ。

やがてどちらの新生児についても心肺が停止した。蘇生対応も止められ、医師が死亡を宣言した。心臓マッサージが止められると新生児の肌の色はすぐに血の気を失っていった。生命力のない、肉の塊だった。

これをまた見たかった。私は心に安心と安堵、なにか平和のようなものが訪れるのを感じた。大きく息を吸った。空気がうまかった。これこそが死であり、逆説的に生そのものであった。

新生児二人の急死による混乱は非常に好都合で、私はその日のうちにさらに4人の新生児に注射をすることができた。

どれも救命措置をやめて心肺が停止すると見事に簡単に肉の塊へと姿を変えていった。


私は一貫して無罪を主張したが、検察も陪審員も聞く耳を持たなかった。

「子供は何もしなくても急に死んでしまうものです」

何度も主張したが話が噛み合わなかった。検察は新生児の突然死というものには触れず物的証拠の話しかしなかった。何もしなくても死んでいた可能性があると主張したのに、取り合ってもらえなかった。

それでも突然死の可能性が考慮されると信じていた。だから有罪の判決が出たときには泣いてしまった。

「どうして信じてくれないのです? 私は何もしていません」

そう言ってとにかく泣いた。

不本意だったのは、転職前の病院の新生児の死亡についても起訴されたことだ。こちらも突然死だと主張したのだが、検察は物的証拠があるという。物的証拠とか言われても私は知らない。新生児の無防備な姿には、簡単に殺せちゃいそうで、殺しちゃいそうになる誘惑はある。

崖の上に立っていると飛び降りたくなるような、あの誘惑だ。あの誘惑には逆らえない。

傍聴席では何人もの大人が泣いていたが、私の方が話を聞いてもらえず、その何倍も不幸だ。誘惑に逆らえないのは誰だって分かっているはずなのに、誰もその話を聞いてくれない。こんな不幸があるだろうか。

私は有罪判決を受けた自分がかわいそうでただただ泣き続けた。

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新生児担当の看護師 浅賀ソルト @asaga-salt

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