悪役令嬢の俺、お姫様とサウナバトルをする

図科乃 カズ

悪役令嬢の俺、お姫様とサウナバトルをする


 謁見の間の大窓から入り込む太陽の光が貴族や大臣たちを照らす。皆、蔑んだ目でこちらを見ている。

 広間の奥に目をやれば一段高い場所に王子とヒロインが険しい顔でこちらを睨んでいる。

 悪役が糾弾されるのに充分な舞台が整った。そう、これでいいわけ。


「君との婚約を破棄する」壇上の王子が大衆の前で高らかに言い放つ。


 いただきました、この台詞。この瞬間をどれほど待ったことか。


「ひ、ひどいです! どうして突然そのようなことをおっしゃるのですか、よよよ」


 よよよ、は余計だったかなと思いつつ、それらしく俯いて涙を流してみせる。

過剰な反応だったかもしれないが王子にはちょうど良かったらしく、指を指して聞き飽きた言葉を口にした。


「まさか君がエカテリーナをいじめていた張本人だったとは! しかも調べてみれば私を助けてくれていたのはエカテリーナ。君はその邪魔をしていたそうではないか!」


 そう言って傍らの少女を抱きよせると、少女は王子を見上げて頬を赤らめる。

 どの世界でもこの流れは変わらないよな。まあ、そうなるように仕向けてたんだけどね。

 どよめく聴衆の声をうるさく思いながら、完璧を期すためもう少しだけ付き合うことにする。


「そ、それは違います。私はその子があなたをたぶらかそうとしていたのを止めようとしていただけです!」

「もういい! それ以上嘘を重ねないでくれ。かつて愛した女性、大衆の面前でこれ以上みじめな思いをさせたくない」


 だったらこんなところに呼ぶなよ。とは口にしなかったが顔には出ていたかもしれないので頭を更に下げて誤魔化す。


「そしてこれが一番重要なのだが――」


 一呼吸置いた後、もったいぶりながら王子が口を開く。


「君にはすね毛が生えている。それはどういうことなんだ?」


 その言葉に一層ざわめく観衆たち。見なくても好奇の目が向けられているのが分かる。

 いいねぇ、ここまでやればもう大丈夫。


「――それはですね」


 ゆっくりと顔を上げ、これまで聞かせたことのない低い声を吐き出す。ぴたりと、謁見の広間の喧噪が止まる。

 スカートの端をつかんで周りをにらみつけると次々に顔をそむける貴族や大臣たち。折角だから最後まで見て欲しいんだけど。

 つかんだスカートを一気にたくし上げ、その中に隠れていたものを全員にお披露目した。


「それは、俺が男だからだーー!!」


 そこには、立派な黒いすね毛がびっしり生えた、自慢の2本の足があった。



     ※     ※     ※



 俺たち一族は大小様々な異世界が存在する異空間の端で暮らしている。一族、とはいっても今は俺と執事のセバスチャンしかこの館にいないけど。

 そんな俺たちの生業なりわいはバカップルを誕生させること。

 国同士の婚姻ともなれば、成立すれば平和、不成立ともなれば国が滅ぶなんてこともざらにある。

 当然失敗はできないわけで、どの異世界のどの国のエラい人たちもあの手この手でどうにか馬鹿息子・馬鹿娘の婚姻を画策する。それで最後に泣きついてくるのが俺たち一族というわけ。


「一昔前はなあ、二枚目爽やか優男、とにかく歯を光らせて姫を口説くパターンばっかりじゃったよ。そうすると王子の方がだんだん焦ってきてなあ、姫を賭けて勝負だ! となるわけじゃ。後はうまく負けてやればいい。な? 簡単じゃろ。ししし」


 これを言ったのは先代当主、つまり俺の爺ちゃん。「万の数の国々を救ったわ」が口癖だったけど、さすがにそれは話を盛ってると思う。

 その爺ちゃんが死の間際に俺を呼んで言ったのが、


「いいか良く聞け。これからは悪役令嬢の時代じゃ。だからお前は女になれ。そうすれば食いっぱぐれん……ワシ、若い頃、数人の異世界神も助けてるからそれらに頼めば簡単に女になれる。いいか、探して女にしてもらうんじゃ……ガク」


 これが遺言。

 男孫おとこまごに向かって「女になれ」だなんて最後の言葉、本当、勘弁して欲しい。

 いくら爺ちゃんの願いでも男をやめるつもりはない、立派なすね毛は俺のアイデンティティってわけ。


「坊ちゃま。また仕事の依頼が来ております」


 ソファに座りながらすね毛の手入れをしているところにセバスチャンが報告に来る。


「今度の依頼は婚約中の王子と姫の成婚ですが、どうも姫様の方が結婚に乗り気でないようです。困り果てた父王が依頼主となります」

「じゃ、王子に言い寄ってお姫様を嫉妬させればいいわけだ」

「また女装、でしょうか?」


 セバスチャンが探るような目を向けてくる。この白髪の老執事は俺に仕えて100年になるが、その前は爺ちゃんに300年仕えていた。そのためか隙あらば爺ちゃんの遺志をねじ込もうとしてくる。


「お前も知ってるだろ、俺の変装術。わざわざ神様に女にしてもらう意味がないわけ」

「先代の先見の明は確かなものです。その先代がこれからは女性がよいと言い遺されたのです」

「セバス!」


 毎回繰り返されるこの話にうんざりしつつ、俺はいつもの締めの言葉を口にする。


「爺ちゃんは男役も女役も両方こなして依頼の成功率は100パーセント、ただの一度も仕事に失敗したことがなかったそうじゃないか。俺は爺ちゃんより劣っているかい?」

「お戯れを。この老体をいじめないでやってください」


 慌てて頭を下げるセバスチャンを見て、俺は早速この依頼の準備を指示した。



     ※     ※     ※



「まぁ、なんてタプタプで艶やかなほっぺ。思わず頬ずりしたくなりますわ。贅肉ではちきれんばかりのたくましい腕で抱かれたらワタクシどうなってしまうのかしら! あぁ、なにかが詰まって膨らんでいるそのふくよかなお腹に触れる権利を、どうかワタクシにだけくださいませ、ほほほ」


 ほほほ、は違うかと思いつつ、きらびやかな衣装をまとった豚にしか見えない王子にしな垂れかかる。王子もまんざらではないのかこちらの腰に手を回してくる。

 思わず声が出るのを堪えながら愛想笑いを続ける。あぶない。仕事だと意識してなかったら声より先に手が出ていたところだ。


「むほ、むほ。オフィーリアはほんと可愛いのねぇ」


 王子は吹き出物でいっぱいの頬を俺の頬に押しつけてくる。頬ずりしたいとは言ったが頬ずりしてくれとは言ってない。それに言っただけでする気はなかったわけ。


「王子様、私を愛してくださって嬉しいわ。でもこれ以上は待って。だって、ほら――」


 両手で王子の顔を挟むと、笑顔のまま力任せに右に90度変えた。変な悲鳴が聞こえたがきっと気のせい。

 示した先には今回の仕事の標的、ジュリエッタ姫がひとり、不安げな表情をこちらに向けていた。


 今回の仕事はこうだ。

 俺は貴族令嬢のオフィーリアに変装して馬鹿王子を誘惑する。馬鹿王子が釣れたらジュリエッタ姫の前でイチャイチャして嫉妬心を芽生えさせる。

 今回の馬鹿王子、お姫様に何度も甘い言葉をささやいて振り向かせようとしていたことは調査済み。そこだけは偉いと思う。自分に好意を寄せていた王子が他の女に夢中だと分かればお姫様も心中穏やかではないはず。

 後はお姫様の気持ちが変わってきたところでいじめれば悪役令嬢の流れに乗せて仕事完了。


 馬鹿王子が俺の色香で鼻の下が伸びっぱなしになったので、お姫様を王宮の中庭に呼び出してイチャイチャぶりを見せつけることにしたわけ。


「い、いや、待て、待て。これは誤解なのねぇ。僕はジュリエッタ姫一筋なのねぇ」


 王子は俺を突き飛ばしてお姫様にひざまずくと懇願するよう言い訳を始める。

俺はといえば隣の生垣に盛大に尻もちをついてしまっていた。計画どおりとはいえなんて馬鹿力してるんだ、あの馬鹿王子は。


 はじめは顔を真っ白にして困惑していたジュリエッタ姫だったが、俺と馬鹿王子の顔を何度も見比べるうちにだんだんと状況が理解できたようでいつしか視線は俺で止まった。そして、顔を赤くさせると見上げる馬鹿王子を素通りして俺の前まで進み出た。


「あ、あなたはオフィーリア様、ですよね?」


 見下ろすお姫様は小さな体を小刻みに震わせながら俺を睨み付けてくる。ちょっとだけのつもりがかなり怒らせてしまったか。可愛らしい見た目よりも嫉妬深いお姫様なのかもしれない。

 生垣に埋まったまま黙ってうなずく俺に、ジュリエッタ姫は感情を押し殺した声で言い放った。


「あなたに決闘を申し込みます」



     ※     ※     ※



 異空間の館に戻った俺はすぐにセバスチャンを呼んだ。


「脱毛スライムと保湿スライム。それと。そうだ! マッサージゴーレムも。ゴーレムは小顔、痩身の2体だからね」

「いかがなさいましたか、お坊ちゃま」外套を受け取りながらセバスチャンが怪訝そうな顔をする。

「あのお姫様とサウナで決闘するんだよ」

「左様ですか。あの世界の貴婦人たちは自分の矜持を賭け、どちらがより長くサウナに入っていられるか勝負をすると聞いたことがあります。古来からの習わしだとか。受けられたのですか、姫様との決闘を」

「成婚を賭けてきたからね。うまい具合にこちらが負ければ仕事完了だろ」


 ふと気づくと、付いてきていたセバスチャンが立ち止まって目頭を指でぬぐっていた。


「坊ちゃまにお仕えして100年。ついに身も心も女性になる決心がついたのですね。爺は嬉しゅうございます」

「……冗談でもやめてくれ」


 女装してサウナなんて普通の人間ならバレるのが怖くて受けられるわけがない。けれど俺は爺ちゃんの孫、完璧な変装で絶対に仕事を完了してみせる。



「この決闘、私が勝ちましたらオフィーリア様には諦めていただき、私と結婚します」



 王宮の中庭でジュリエッタ姫ははっきりと俺に宣言した。こんな好機を見逃す手はない。

 それにあの時のお姫様の目――殺気を感じさせるあんな真剣な目をされたら、こちらも全力で挑んで敗れないと俺の誇りが許さない。


「それはつまり。坊ちゃまがこれまで大切になさってきたすね毛を処理する、ということになりますが」


 書き上げた注文書を伝書コウモリに結びつけながらセバスチャンが確認してくる。

 ホントずるい老執事だ、ワザと質問して俺の心を揺さぶってくる。


「――仕事の誇りと男の意地、どちらを取るかなんてそんなの考えるまでもないよ。男の意地なんて俺にしか関係ない。けれど仕事の誇りは一族のものなわけ。爺ちゃんだってそうだったんだろ?」


 セバスチャンは優しく微笑むと伝書コウモリを窓から飛ばした。



     ※     ※     ※



 さすがに王宮の敷地内にあるサウナ殿となると造りは別格だった。

 サウナルーム自体は木製だったが、大理石の建物がサウナルーム全体を覆うように建てられている。中はサウナストーンを利用した蒸し風呂形式、この石は発熱効果がある魔石らしい。

 サウナルームの扉の前に設置されている貴賓席にはジュリエッタ姫の父王とその妃、それに大臣数名が見届け人として着座している。


「お二人とも前にお進みください」


 ラウンジに響く審判官の声にうながされ、俺は右から、ジュリエッタ姫は左から扉の前へと進む。

 こうして改めて見るとこのお姫様、高いとは言えない俺より更に小さい。そのせいか長い髪を結い上げていても幼さが残って見える。


「オフィーリア様。私が絶対に、勝ちますから」


 そう言いながらもバスローブの襟をもじもじと弄っているのは、今更ながらみんなの前でタオル1枚の姿になることが恥ずかしくなったのかもしれない。


「ジュリエッタ姫、なにやらお顔が優れませんわね。なんでしたらワタクシの不戦勝にして差し上げてもよろしくてよ、ほほほ」

「ち、違います。これはこれからの勝負に、高揚しているだけですっ」

「それはよかったですの。ワタクシもそれなりに準備いたしましたのでそれが無駄にならずにすみそうですわ」


 言い終わると同時に勢いよくバスローブを脱ぎ飛ばして俺は仁王立ちになる。

 貴賓席から漏れる感嘆の声が俺の誇りをくすぐる。タオルに包まれた俺の体に見とれて時の流れを忘れてしまうがいい。


 この潤い、なめらかさ、張り、艶を。ここまでピチピチの肌に恐れおののくがいい。ふくらはぎも太ももも、お腹に二の腕、肩から背中までどれだけ揉み出しマッサージをしたことか。顔に至っては小顔効果を高めるため拷問器具のような小顔ベルトを四六時中装着。食事や運動で調整しつつ、胸やお尻など盛らなければいけない部位は俺の変装術で100パーセント自然な形に完成させている。


 ここまで仕上げるに6ヶ月。異世界へは好きな時間に入れるからこそここまで完璧な体にできたわけ。

 つまり今はお姫様に決闘を申し込まれた翌日。


 妃の鋭い肘鉄に父王がもんどりうって奇声を上げたことでようやく時が動きだす。ジュリエッタ姫も俺の体に見とれていたようだったが目が合うと慌ててバスローブを脱ぎ始めた。

 露わになった体はピンクのタオルに包まれ年相応の可愛らしさをかもしだしていたが、やっぱり予想どおり小さい。

 俺の小さな溜め息に気づいたのかお姫様は胸を押さえてそっぽを向く。


「王国に伝わる由緒正しきサウナバトル。同時にサウナルームに入り、最後まで居続けた方を勝者とします。王国の伝統に従い、この名誉ある決闘、正々堂々と戦われんことを祈念します。それでは決闘開始!」


 審判官が高らかに宣言した。



     ※     ※     ※



 入った瞬間に感じた熱気と蒸気は、今では体の芯にまで到達し体内から俺たちを苦しめていた。

 部屋の広さは8人が利用できるぐらい。左右に作られた横長の腰掛けにそれぞれが座り、真ん中に置かれたサウナストーンが赤黒く光っているのをお互い黙って見つめていた。


 相手を挑発するように言葉をぶつけ合っていたのは初めの10分まで。

 長期戦になると悟った俺たちは声を出して無駄に体力を消耗するより口を固く結んでできるだけ熱気と蒸気を吸わない作戦に切り替えていた。


 ここまではお互い同じ作戦、だけど。

 見ればジュリエッタ姫は顔を赤くしてのぼせ上がっているのが分かる。なんか目の焦点が定まっていないようにも思える。

 きちんと挑んで頃合いを見て負ける、しかけるなら今だ。


 俺は桶を手に取ると水をくんでサウナストーンにぶちまけた。水が蒸発する激しい音とともに熱気をはらんだ水蒸気の雲が俺たちに絡み付く。


「なっ!」


 突然の湿度の上昇に思わず立ち上がったお姫様にさらなる攻撃を加える。


「ワタクシのアウフグースをくらいなさいっ」


 隠し持っていたタオルを両手に広げて力一杯にあおぐと熱波がお姫様に直撃する。熱気と湿気の直接攻撃を食らっては体温の急上昇は防げるはずもない。

 か細い腕で顔を守るお姫様――だったが、片手を背中に回すと緑色の扇のようなものを取り出した。


「私は絶対に勝ちますっ! 私のヴィヒタをおみまいしますっ!」


 バシッ! ジュリエッタ姫が振りかぶった緑の扇が俺の顔面に直撃する。


「ちょっ。葉っぱ痛い! 葉先イタイ! 直接攻撃なんてサウナバトルではありませんわ!」

「ヴィヒタは立派なサウナ作法ですっ!」


 なおも打ち続けるお姫様に防戦一方の俺だったが、ふと気づくと扇攻撃がやんでいた。

 薄目を開けるとお姫様が扇を頭上に掲げたまま目を回してふらついているのが見える。あまりには激しく動いたせいで一気にのぼせたんだ。


 ぐらり、と倒れるジュリエッタ姫を慌てて抱きしめる。お姫様は俺の胸に顔をうずめながらなにやら呟いた。


「……また会えたのです……ですから、ですから……私はどうしても勝ちたいのです……」


 少し追い込みすぎたのかもしれない。

 こんなに無茶するまで本当はあの馬鹿王子が好きなのだ、だったらそろそろ潮時かもしれない。俺はゆっくりとジュリエッタ姫の頭を撫でた。


「ジュリエッタ姫のお覚悟、ワタクシ感服いたしましたの。この決闘、姫様の勝ちですわ」

「それじゃ私と結婚してくるのね、オフィーリア様!」


 はい? いまなんて言った!?


「この決闘、私が勝ちましたら『私と結婚』というお約束です」

「それは姫様が王子様と――」

「いいえ。オフィーリア様は王子を諦め私と結婚と言ったのですっ!」


 ジュリエッタ姫が顔を上げて瞳をうるませる。顔が赤いのはサウナのせいだけではなさそうだ。

 待て待て待て待て、俺は中庭の出来事を必死に思い返す。



「この決闘、私が勝ちましたらオフィーリア様には諦めていただき、私と結婚します」



 ――俺を見下しながら言ったお姫様の言葉、紛らわしい、俺が馬鹿王子を諦めてお姫様と結婚すると言いたかったわけか。

 だけど、俺は、


「ジュリエッタ姫、昨日今日会ったような人間にいきなり求婚だなんて乙女としていかがなものかしら」

「やはりそうですか。オフィーリア様は覚えていませんでしたか」


 俺に背中を向けるとお姫様は顔を伏せた。本当に悲しそうにしている横顔に俺の心臓がズキンと痛くなったが、知らないものは知らない。


「オフィーリア様と初めてお会いしたのは5年前、お兄様の婚約破棄騒動のとき。あのときオフィーリア様はあえてお兄様から婚約を破棄させ、ご自身は涙を堪えながらひっそりと王宮を立ち去りました」

「あ、あのー。そのお兄様ってどんな方だったかしら、ほほほ」

「あの頃オフィーリア様はお兄様のことを『ワタクシの明星あかぼし様』と呼んでいました」

「…………あの若ハゲ王子っ!」


 頭のてっぺんだけが見事にはげ上がり、その上に小さな冠を乗せた馬面王子の顔が脳裏に蘇った。

 俺が当主になって最初の仕事。悪役令嬢として若ハゲ王子に取り入ろうとしたのだが。あまりに強烈な頭に目が釘付けになってなにも褒め言葉が浮かばなかった。頭も冠もただただ眩しかった。それでとっさに口にしたのが「明星あかぼし様」だったのは今でも苦い思い出として覚えている。

 それにしても何十年前の仕事だと思ってんだ――まあ、お姫様にとっては5年前なんだろうけど。

 だけど、時間軸のずれはともかくとして、


「ジュリエッタ姫。ワタクシ、ご覧のとおり『女』でございますわ」

「そんなこと関係ありません! 居並ぶ王侯貴族を前にしながらひるむことなく本性をさらけ出したあの凜々しきお姿。それはお兄様と婚約者を仲直りさせるための大芝居。オフィーリア様が王宮を立ち去るときに涙を隠すのを私は見逃しませんでした」

「あれは仕事が簡単すぎたのであくびが」

「ごめんなさいオフィーリア様っ。古傷に触れてしまった私をお許しください。けれど、いつも自信に満ちあふれていたオフィーリア様の悲しそうな横顔を見て私は全て悟りました。オフィーリア様はだらしないお兄様のため、いいえ、この王国のためにあえて憎まれ役を買って出たのだとっ!」

「そんな勘違いをそんな長舌に語られましても」

「もう偽らなくてもいいのです。オフィーリア様の、万物を包む無償の愛に触れて私は真実の愛に気づきました。ああ、こうしてまたお会いできたことは運命なのです。お慕い申しておりました、オフィーリア様っ!」

「な゛あ゛ーーーー!!!!」


 抱きついてこようとするお姫様の頭を思わず両手でつかんで止める。手をバタバタさせてなにか口走っているが聞いてなどいられない。

 こいつ、嫉妬したんじゃなくて俺が目当てだったのか、思考がまったく分からん。

 サウナのせいで頭がクラクラしてきた。この場をすぐにどうにかしないと。


「つまりこの勝負、姫様が勝ちましたらワタクシと結婚、ということなのですわね?」


 タコのように唇を突きだしていたお姫様がコクコクと頷く。


「では、ワタクシが勝ちましたらその求婚はお断りしてもよろしくて?」

「私、絶対に負けませんからっ!」


 キッと睨んで真剣な表情をするジュリエッタ姫。すまないお姫様、俺は最後の切り札を使わせてもらう。

 俺は自分の体を隠しているタオルに手をかける。


「分かりましたわ。それではジュリエッタ姫、これをご覧くださいませ!」


 言うが早いか、俺は軽やかにタオルを放り投げる。お姫様の前で俺の体が露わになる。

 驚くお姫様の目の前で二つの乳房をつかんで力を振り絞ると、


ポンッ。


 いい音がして俺の胸が取れた。


「へっ?」目が点になるお姫様。


 点になったお姫様の目は、はじめは真っ平らな俺の胸を見ていたが、やがて下の方へと動いていき、そして、下半身のある地点で止まると、


――――バタン。


 完全に目を回してその場で崩れ落ちた。


「おい大丈夫か!」


 しまった、刺激が強すぎたか。悲鳴を上げてサウナルームから出て行くと思ったんだが。

 俺はお姫様を抱きかかえるとサウナルームの扉を蹴り開けた。



     ※     ※     ※



「いつまでもそのようなお顔をされては次のご依頼に支障を来しますぞ」


 そう言いながらセバスチャンがティーカップをテーブルに置く。俺はと言えばソファに寝そべったまま顔をそむける。セバスチャンがフフと笑ったような気配がしたのが更に腹立たしい。

 腹立たしいといえば初めて失敗したあの仕事だ。



 サウナバトルの最後、サウナルームから出た俺は悲鳴と怒号に迎えられた。それはそうだ、頭だけ女装した真っ裸の男がお姫様を抱っこして飛び出してきたんだ、驚かないはずがない。

 父王が衛兵を呼び寄せたせいで慌てて帰還の呪文を唱えてしまったのだが。



「オフィーリア様。次の仕事は私もお手伝いいたしますので絶対成功しますよ」


 ソファの後ろから現れたジュリエッタ姫がのしかかってくる。やめろ、重い、苦しいんだよ。


「だ・か・ら。オフィーリアってのは俺の変装で、存在しないって何度言えば分かんだよ」

「男装している姿も素敵ですわ、オフィーリア様」

「男装じゃねー!」


 纏わり付くジュリエッタ姫を押しのけると、諦めたお姫様はちょこんと俺の隣に座ってセバスチャンからティーカップを受け取る。

 そう、あのとき俺はこいつを抱きかかえたまま館へと転移してしまった。


 澄ました顔をして紅茶を口にしたお姫様は視線を向けるとくすりと笑った。


「セバス様に伺いました。オフィーリア様はいずれ身も心も女性になると。その時が本当に待ち遠しいですっ」

「絶対にならない!!」


 セバスチャンを睨むと「ああ、こんなところにほこりが」などと言ってわざとらしく花瓶を拭き始めた。お姫様が今もこの館にいるのはこの老執事の差し金だ。


「一族の誇りに賭けて、次は絶対に失敗できませんものねっ!」

「今回の失敗に懲りて坊ちゃまも女性になることを真剣に検討していることでしょう。一族の誇りに賭けて、ですな」


 ジュリエッタ姫の後にセバスチャンがひとり言のように呟く。こうやって二人は結託して俺を陥れようとしている。けれど、


「俺は男だ! オフィーリアなんかじゃない!!」

「でしたら――」


 グイッとジュリエッタが顔を寄せてくる。長いまつげに覆われた緑の瞳に見つめられて心臓が跳ねる。


「本当の名前をお教えくださいませ。そうしましたら私、本当のあなたを愛してみせますから」

「お、俺の名前? 俺の名前は――」


 俺は無意識のうちに口を動かした。



 おしまい



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