第5話 紀元前47年、古代ローマの家父長制と婚姻


アルファ    :純粋知性体、Pure Intelligence、質量もエネルギーも持たない素粒子で構成された精神だけの思考システム。出自は酸素呼吸生物。

ムラー     :フェニキア人奴隷商人、純粋知性体アルファのプローブユニット

森絵美     :純粋知性体アルファに連れられて紀元前世界に来た20世紀日本人女性、人類型知性体

アルテミス/絵美:知性体の絵美に憑依された合成人格、ヴィーナスの二卵性双生児の姉

ヴィーナス   :黒海東岸、コーカサス地方のアディゲ人族長の娘、アルテミスの二卵性双生児の妹


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「私とヴィーナスのこの世界での立場がだんだんわかってきたわ。でも、とにかく、私とヴィーナスは解放奴隷になれるんでしょう?自由民になれるのよね?」

「話はそれほど簡単じゃないんだ。女性が一人で自由民になれるわけじゃない。あくまで、家父長というパトロヌスの庇護下にあるクリエンテスというのが女性の立場だ」

「ちょっと待って。パトロヌスとクリエンテスというのは、塩野七生の小説では、パトロヌスは保護者で、クリエンテスはパトロヌスの被保護者だったわよね?それは、貴族と平民の間の話じゃないの?」

「確かに塩野先生の書き方はそうだ。 経済的に苦しく社会的に力のないものの面倒をみる側(親分、貴族や裕福な平民の商人とか)をパトロヌス、面倒を見てもらう側(子分、平民の小作人とか)をクリエンテスといった。パトロヌスがクリエンテス対して政治(法律)的、経済的な支援するのと同じく、クリエンテスもパトロヌスに対して様々なことを支援し、互いに助け合う相互扶助の関係だ。クリエンテスがパトロヌスの邸宅へ毎朝の表敬訪問して町の噂話などの情報を提供するとか、パトロヌスが外出するとき付き従う随行員(用心棒)の役割をするとか。パトロヌスがローマの行政機関の役職に立候補する選挙活動を応援する選挙後援会を組織するとか」


 それが、単純に貴族と平民だけじゃなく、貴族と貴族、平民と平民でもパトロヌスとクリエンテス関係が形作られる。ピラミッドのような社会階層になる。国、民族同士もそうだし、地中海の海賊を一掃したポンペイウスは、地中海の沿岸都市のパトロヌスとなって、クリエンテスとなった諸都市から様々な形で助力を得た。ジュリアス・シーザーとポンペイウスが闘った時、地中海の沿岸都市はポンペイウス側についた。


 同様に、ガリアを征服したシーザーは、ガリア全域のパトロヌスとなった。そして、彼らから支援を得た。シーザーのクリエンテスとなったガリアは、ポンペイウスとの闘いで、シーザー配下にガリア人兵士を提供した。


 地中海の沿岸都市やガリアは、共和制ローマに負けたので、ローマに忠誠を誓い配下になったが、彼らのパトロヌスは、抽象的な共和制ローマではなく、実際に彼らと闘ったローマの将軍のポンペイウスやシーザーという個人なんだ。


 これが大きいパトロヌスとクリエンテス関係だが、家族・親族・小作人や農奴という村単位でも言える。


 さて、紀元前1世紀のローマ一般庶民の平均年収は、500~1,000デナリウス、約250~500万円程度だったということ。ローマ市民権を持つ平民ですらこの収入だ。適齢期でも結婚できる経済力のある男性は少なかった。


 そして、3人に1人が奴隷の社会だ。結婚するのは非常な贅沢だった。となると、20世紀と同じく、結婚できないあぶれた未婚者の男性は増える。結婚できない女性も増える、相手のいない女奴隷も増えるってことだ。


 ところが、ギリシャ社会(アレクサンダーの出身国のマケドニアは除く)、その後に来る共和制・帝政ローマは一夫一婦制だったってことなんだ。この一夫一婦制は、ローマのあとに来る中世キリスト教時代の宗教的理由、イエス・キリストさんが言ったから、という宗教的な意味合いじゃあない。


 家族制度と相続が理由なのだ。


 古代ローマ法における家族法の大きな特徴は、強い家父権の制度といえる。家父には家族に対して強い権限が認められていて、親子関係においては、子は家父に対する絶対的服従が求められ、夫婦関係においては、妻は夫に対する服従が強いられた。このように、家父は、子や妻などの家族構成員に対して絶対的な支配権を持っていた。


 そして、ローマにおける家父権の特徴は、家族内ではすべての権限が家父に集中し、家父が絶対的な権力を有していたし、社会や国家などの公的領域では、国王または皇帝が強い権限を有し、両者の構造は同じビラミット型で構成されていたということだ。


 つまり、家の家父は家父というくらいだから男性で(例外も少しはあったが)、一夫一婦制の正夫人は、いわば、家父というパトロヌスに仕えるクリエンテスみたいなものだ。嫡子も妾もそうだし、家の農園の小作人もクリエンテスみたいなものだ。


 家父権の対象は、適法な登録された一夫一婦制の婚姻から出生した子や、養子など法律行為により地位を取得した子である。ローマ市民法上適法な婚姻を行った父母から生まれた子は、父親の家父権に服した。


 家父権に服することは、ローマ市民権の取得のために不可欠であった。ローマ市民でない者は、家父権に服しない。そのため出生時にローマ市民でない子が、出生後にローマ市民権を取得するには、家父権の成立を認める命令が必要であった。


 家父権の内容は、生殺与奪の権利である。具体的には、勘当など家族構成員から遺棄する権利(身分がローマ市民でなくなる)、子供を奴隷身分に落とし売却する権利、財産権である。


 財産権に関して、家族の財産について、権限を有するのは家父のみだった。子供は自分の財産を何ももたなかった。


 なにかの裁判が必要となって、ローマ行政府に訴えでることができるのは、原告個人ではなく、原告の所属する家の家父長だけが訴えられた。裁判権も家父長だけが持っていた。


 そして、家父が死亡し、子供(正式な婚姻から産まれた嫡出子か正式な養子。妾の子の庶子は対象外)が家父となる。家父が存命中は、家父が望もうと家父の地位を子供に継がせることはできなかった。家父は遺言により相続人を指定する。夫と妻(正夫人)はお互いを相続した。相続人がいない場合には、相続財産は国庫に帰属した。


「さて、そこで、話は戻るが、初潮の始まる妊娠可能な12歳ぐらいからアラサーぐらいまでの女性が、嫁ぎ先がないからあぶれる。ローマ市民の女でもあぶれる。となると、奴隷女はもっとあぶれるわけだ。あぶれて子供を産まないと、妊娠可能年齢の12歳ぐらいからアラサーぐらいまでの女性が合計特殊出生率5~7人くらい以上を維持できない。そうなると人口は減る」

「答えは見えてきたけどね。共和政ローマはその問題をどう解決したの?」


「絶対的家父権を持っていた男性が経済力がある。女性は正規の妻で夫から譲られる財産がある人間だけが経済力を持つ。だから、男性が子種をばらまくしかないわけだ。もちろん、女性は妊娠したら出産するまでアウトなんだから、ばら撒くのは男性だ。それから、一夫一婦制とは言っても、妾を持っちゃいけないとはローマ法は書いてない。これは一夫多妻制とは違う。正式な婦人と婦人の了承を得た妾、または婦人に内緒の妾は持てるわけさ」


「やっぱりね。いつの時代でも男は男だ!」

「この社会に対して20世紀の道徳観、倫理観を振り回すなって言っただろう?いいか、絵美、もしもローマが一夫一婦制を法制化しなかったら、嫡出子も妾の子の庶子もあったものじゃない。相続はメチャクチャだ。一夫多妻制だとすべての子供は嫡出子だ。相続争いが泥沼化する。だから、一夫一婦制で家族と国家のシステムを保ちつつ、妾に子供を産ませて、人口維持をはかる。それの何が悪い?そうしなければ、一夫一婦制も一夫多妻制も関係なく、ネズミのように子供を産むゲルマン民族に歴史で起こったよりも数世紀も早くローマ帝国は滅ぼされていたことだろう」

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奴隷商人ー補足編 フランク・ロイド @A_piece_of_rum_raisin

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