とりあえずワインを造ってみよう 後編
「今日は皆さんに、ちょっと殺し合いをしてもらいます」
ワイン学科の担任講師・チャラおじ風ブレントが、いつものニチャッとした笑顔ではなく、わりと真顔でそんなセリフを言うものだから僕は固まってしまった。
角の席に座るぽっちゃりブロンドの若者女子メリッサが、ガタッと机から立ち上がらんばかりに手を挙げる。
「はい! あたし、シュナン・ブランがいい!」
という発言を皮切りに、みんなそれぞれブドウ品種の名前を答えていく。
何を寝ぼけていたのか、どうやらワイン造りの実習で自分の担当するブドウ品種を選びましょうという話だった。
最後になった僕は、余り物の赤ワイン品種メルローをやることになった。
とはいえ、ワインを造ると言っても準備は当然必要となる。
まずはどのようなワインを造るのか、そのレシピを考える。
どのような特性のあるブドウ品種が、その年にどのようなブドウで収穫されるのかを考慮し、様々な醸造方法から好みのタイプのワインになるように選んでいく。
どのようなブドウになるのかは、その年の気象条件やその土地の地形に土壌、過去のデータ等からある程度は予測できる。
が、自然というものは無情なものである。
これまで順調に育っていても収穫直前に突然の長雨となって台無しになったり、反対に早い時期に晴れ間が少ないために結実がうまくいかずに収穫量は減っても、その後天候が持ち直して良品質となる場合もある。
そのため、臨機応変に対応できるように、レシピ作りはキッチリし過ぎない方が良かったりする。
しかし、前提条件となるブドウを知らなければ話にならない。
というわけで、それぞれが選択したブドウのある畑を見に行くことになった。
学校の畑はすでにお亡くなりになっているので……
NZは本州と北海道を合わせたよりもやや小さい面積の島国である。
だが、人口はわずかに500万人であるため、広大な緑の大地があるのだ。
ギズボーン郊外もまた、キウイフルーツを始めとする広大な果樹園、ブドウ畑も当然スケールが大きい。
田園風景ならぬ果樹風景の中をブレントの運転する学校のマイクロバスが風を切って走る。
中心部を一歩出てしまえば、制限速度100kmの高速道路と化すのであっという間に目的地へと到着だ。
誰が持ち主の畑だったのかは忘却の彼方に行ってしまったが、様々なブドウ品種が植えられている実験区画であった。
ギズボーンでメインで植えられている品種も当然あったが、ソーヴィニヨン・ブランの変異種ソーヴィニヨン・グリや地中海沿岸に多く栽培されるヴェルメンティーノ等、他にも様々な無名品種たちが植わっていた。
サンプルの取り方は簡単、畑全体を見て、その中で平均的な熟し具合のブドウの粒を房の上中下と広範囲から回収するだけだ。
ここにある品種を選択した学生たちは、100粒ほどのブドウサンプルを回収し、またみんなで次の畑へと向かった。
次に到着したブドウ畑にはぽつんと佇む民家、その駐車場に降り立ち、もふもふとした小型犬が尻尾を振り回しながら駆け寄ってくる。
が、僕の脇を通り抜けていく。
「よしよし、チャーリー(仮)良い子ね。……うふふ、ここ、わたしの家なのよ!」
と、人妻熟女ジャニーンがニカッと明るく微笑む。
ジャニーンは、ここのブドウ畑を管理しているイングランド人の夫の仕事を手伝っていたが、さらに専門知識を得るために学校に入ったという。
3児のママでありながら学生をやり直すというタフさも併せ持つ。
それにしても、学生宅からブドウを買うワイン学校という不思議な図式であるが、細かいことは気にしないでおこう。
まさに、学生の学生による学生のためのワインとなるようだ。
僕が選択したブドウはここから取られることになったが、ジャニーン曰く「好きにサンプルを取っていいよ」とのことだった。
それもそうだろう、面積は4ヘクタール程、NZの平均値で換算すると3万本以上のワインを生産できる計算になる。
1回のサンプルはせいぜいが数百グラムにしか過ぎないから、誤差にも満たない量なのだ。
こうしてサンプルを取り終わり学校へと戻ってきた。
目でただ見て数粒ブドウを食べた程度では、大した情報量ではない。
ここから実験器具を用いてブドウの状態を数値化してデータを取っていく。
ブドウの粒を潰して、糖度、総酸量、PHを計測する。
その推移が熟していく過程となるのだ。
それから絞った果汁の味見をしてみる。
大概、初期は酸っぱい青りんごのようで、熟すにつれて何かの甘いフルーツみたいになってくるので面白いものであった。
やることはそれほど多くはないので慣れてしまえば難しくはないが、この当時は初めてのことだったのでかなり手こずった。
こうして、ブドウが熟していく間に、レシピを考えていく。
学校のカリキュラムであるので、基本的には醸造学のセオリーに基づいて工程を進めていくことが前提だ。
野生酵母で自然に発酵させ、酸化防止剤無添加というものは、以ての外である。
学校で扱っている乾燥酵母の種類、どこのメーカーの木樽に入れるかそれともステンレスタンクにするか、酸化防止剤の添加量とタイミング等、限られた範囲内ではあるがワインの設計を考えることは、僕の肌に合い、あれこれと考えるだけで胸のワクワクが止まらなかった。
そして、最初のブドウがやってきた。
やってきたのは、僕たち学生用のブドウではない。
醸造設備を持たない地元の小規模ブドウ農家のような委託醸造ワイナリーのブドウである。
学校である故か、醸造設備はそこらの小規模ワイナリーよりもしっかりとしたものが揃っている。
学校の授業だけではもったいない、ということで委託醸造ビジネスも請け負っていたのだ。
学生たちは本業のワイナリー作業員のように実務を実践していくという本格的な授業であった。
とはいえ、学生の経歴は千差万別、どんなミスを犯してしまうのか分からないリスクの大きいワイナリーだ。
そんな素人集団を取りまとめるのが、チャラおじさん風ブレントである。
ここまでのチャラおじさんであれば、誰もが不安になるだろうが、そうはならなかった。
ブレントからニチャッとした笑顔は鳴りを潜め、小柄な肉体が大きくなったかのように錯覚するほどのオーラを醸し出す。
それもそのはずだろう。
ブレントはモンタナという大ワイナリー(現在は吸収合併によりフランスのペルノ・リカールグループとなっている)のギズボーン支社のシニアワインメーカー、つまりは現場のトップにいたわけだ。
一線退いた歴戦の強者が本気を出した図である。
運ばれていたブドウを実習棟の中央に鎮座する大型のプレス機にみんなでとりあえず投入する。
それからプレス機の操作を説明され、機械が絞っている間に次の作業の準備だ。
本格的なワイナリーのように、ブレントは的確な指示書をプリントアウトして、それぞれに役割分担を行う。
バックアップに付くみんなのお母さん的存在のマリーもまた名のあるワイナリーで豊富な経験の持ち主だ。
学校の実習棟がワイナリーとして稼働したわけだ。
そうして幾日、幾週が過ぎていき、収穫期の早い品種を選択した生徒からワインを造り出していく。
活動的な日々が進む。
「イエーイ、ショットガン!」
と、僕と同じ海外組のアメリカ人ブロンド女子キーラが活発に、ブドウを回収しにいく学校のピックアップトラックの助手席へと乗り込む。
どことなくレクシーベルに似ている小柄なロリ系だ。
ちなみにショットガンとは、助手席に乗るという意味のスラングである。
やがて、ギズボーンのメイン生産品種シャルドネの登場だ。
メイン品種となるので当然作業量も格段に多くなり、同じ作業ばかりで単調になる。
しかし、学生とはいえ本格的なワイナリーの仕事をしているわけである。
誰もが疲労を蓄積させていく。
元々悪人面だったウェインは、人を殺めている人相になっていて近寄り難かった。
そして、収穫も終盤、ようやく僕の出番となった。
だがしかし、何ということか、サイクロンが近づいてきているというではないか。
その影響からか、曇天が多い日ばかりになり、糖度の上がりもイマイチとなった。
ここでさらに大雨で水を吸収しすぎたら良いことは無いので、ブレントと相談し適期よりも早く収穫することになった。
こうして、みんなで1樽分になる程度のほんの少しの量だけ収穫し、学校でワインにするために仕込んだ。
ブドウの粒を房から取り除くために機械に投入し、巨大なバケツのように上部の開けているプラスチックタンクに収める。
後日、酵母を投入し糖分をアルコールへと変換させるために発酵させる。
発酵が終わるまで毎日諸々の世話をし、やがて発酵が終わった。
そうなれば、液体部分をステンレスタンクへポンプで移動し、皮部分を小ロット用のバスケットプレスでさらに絞る。
さらに翌日、沈殿した澱を除いた上澄み部分を樽に安置させれば、ワインの赤ちゃんの誕生だ。
しかし、早摘みにしてしまったせいか、軽すぎて薄っぺらい。
とがっかりに思っていると、ブレントが背後からやってきた。
「よう、納得してなさそうだな、んん?」
「はい、何かイマイチで……」
「それなら、良い方法があるぞ」
と、ブレントはニッと笑う。
その方法を説明してくれた。
例の亡くなった学校のブドウ畑に唯一生き残っていたブドウたちが僅かにいた。
それが赤ワイン用品種マルベックだった。
マルベックは濃厚な赤ワインになる品種でボディが厚い特徴を持つ。
このメルローにマルベックをブレンドさせてあげて骨格を出してやればいい。
というアドバイスをくれたのだ。
その比率によって様々なタイプになるが、僕は20%加えることに決定した。
「あ、ありがとうございます!」
格段にワインとして良くなったことで僕は一気に晴れやかな気分になった。
そんな僕を見て、ブレントはサムズ・アップして笑顔を見せる。
「お前が満足なら、オレもハッピーさ!」
ブレントはくるりと背を向けて去っていった。
ハートマン軍曹のような鬼教官とは違い、どこか不思議な大らかさがあった。
学生としての自主性を大事にしてくれ、困った時にはアドバイスもくれる。
何よりもワイン造りの現実や楽しさに触れさせてもくれた。
この当時を振り返り「ブレントは恩師だった」と間違いなくそう思える。
PART2 完
神の血に溺れる~Re:キャンパスライフPART2 出っぱなし @msato33
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