モブおじさん
「どうも。……はぁ、そんなじろじろ見られるとおじさん、ドキドキしちゃうなぁ」
『モブおじさん』を名乗る知らないおじさんはもじもじしながら、そう言った。
どこにでもいそうなおじさん。それなのに。どこか雰囲気が異様だった。生気のない頭髪は地肌が透けるほどに薄くて、張りのない肌は妙に色白い。真っ白なワイシャツは染みひとつないけど、へたっていた。
「電話してくれてありがとね。タカシくん」
タカシもさすがに唖然として、固まっていた。まさか後ろの個室から現れるとは思ってなかったのだろう。だって、そんなのまるで誰かが電話をするのを待っていたみたいじゃないか。
「いやいや、たまたまさ。たまたま、ここにいただけさ」
「……たまたま。あー、トイレだけに?」
かすれた声をもらすタカシ。それに口元を緩めるおじさん。ネチャァという効果音が聴こえた気がした。
「可愛いねー、タカシくん。いつもはもっと元気なのに、人見知りをしてるのかな?怖がらなくていいよ。
とりあえず、おじさんと一緒にお手々洗おうねー」
ヌルっと伸びたおじさんの手がタカシの手をつかむ。ビクッと震えるタカシ。慌てて振り払おうとするが、おじさんはびくともしない。あまりの恐怖に声も出せずただ暴れるタカシを何でもないことのようにそのまま引きずって歩く。
――助けてくれ。
俺の側を通るとき、タカシの潤んだ目が叫んでいるように見えた。だけど、平然と微笑みすら浮かべているモブおじさんが怖くて、俺は立ってるだけで精一杯だった。膝ががくがく震えていた。
「ほらー、腕まくるよ。おじさんと泡々でキレイキレイしようね」
「うわぁーっ!!!」
洗面所にたどり着くと、タカシはおじさんに後ろから抱きかかえられるように立たされる。ようやく声が出るようになった彼の悲鳴がトイレに響いた。
「あら、ゴツゴツと大きくて可愛いお手々。節くれだった長い指が素敵。深爪してて可愛い。奥までしっかりごしごししようねー」
「やめっ、うわっ、手が?手が!あっ、あぁ、あっ!……えっ、嘘?あっ?待っ、あっ!あっ、あっ」
後ろからでは、タカシに何が起きているのか分からなかった。彼に覆いかぶさるようなおじさんの体勢は、エロ漫画だと“完全に入っている”という状態で、だけど、それはただ一緒に手を洗っているだけのはずで……。だんだん色っぽくなっていく友だちの声を聴きながら、俺はただ突っ立って見ていることしかできなかった。
――何時間経ったのだろうか。
いつの間にか、タカシの声は止んでいた。なぜかおじさんと抱きあうような体勢になっていた彼は、おじさんのワイシャツの背中でこすりつけるように手を拭くと、そのまま気を失うようにうなだれた。……いや、ちゃんと自分のハンカチで拭けや。
「おまたせ。次は君の番だね」
モブおじさんは振り向くと、あのイヤな笑みを浮かべた。
逃げようと思うのに、足が動かない。
どうして、俺まで?もう手は洗ったのに、知らないおじさんと洗わなきゃいけないのか。というか、何これ?何で手を洗っただけなのに、タカシは気を失ってんだよ。
頭の中でぐるぐるめぐる。そのとき、タカシのスマホがカツンっと落ちた。同時に俺の足がやっと動いて、トイレから飛び出した。
――たすかった。
そう思ったのも、つかの間。目の前に別のモブおじさんがいた。
「こんにちわー、可愛いね。おじさんと鬼ごっこしよっか」
服の上からでも分かる鍛え抜かれた身体。黒光りするほど焼けた肌。タカシのモブおじさんとは全然違うのに、一目でモブおじさんだと分かる異様なオーラ。
――もうおしまいだ。
とうとう足の力が抜けて、ペタンっとその場に座り込む。地面はヒヤッと冷たくて、お尻の穴がひゅっと締まる気がした。やけに晴れた青空が明るいのが憎く思えた。
「すとーっぷ!!!」
ふいに響く聴き慣れた声。妙に落ち着く高い声。振り向くと、息を切らしている女の人がいた。
「その子はあたしの弟なんで!攻め依頼はキャンセルです!キャンセル!」
姉ちゃんの言葉に、ムキムキモブおじさんが黙ってトイレの方を振り向くと、最初のモブおじさんがうなずいた。『キャンセル』はあるしてもらえたらしい。タカシはモブおじさんにお姫様だっこをされて、幸せそうに眠っていた。
「ねぇ、なんで俺がモブおじさんに襲われてるってわかったの?」
帰り道。眠ったタカシを起こすの気の毒で背負った俺は、意識のない人体のあまりの重さに後悔しながら、気を紛らわすために姉に問いかけた。
「へへへ、ナイショー。姉の愛のパワーやと思っといて」
意味が分からない。でも、いろいろ考えすぎると、気づかなくていいことに気づいてしまいそうなのでやめた。
「そうそう。首を突っ込まない方がいいことってのはあるんよ。
あ、今回のお礼は次回のコミケの荷物持ちってことで!よろしく☆」
ニッコリ笑う姉。何にもいえず、ため息を返す。ふと空を見上げると、日が傾いて淡い黄色に染まっていた。
総攻めをお求めならば“モブおじさん”へ おくとりょう @n8osoeuta
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます