終章 空白に還る(2)

「え……?」


 アミラが目を見開いた。

 ギールは彼女から視線を外し、全員に向き直る。


「エフィーの遺体が見つかっていないのだとしたら、行方不明者の届出がされていないとおかしい。ですが、ネットでどれだけ調べても、あの子らしき情報は出てきませんでした」


 行方不明者は情報を集めるため、本名などが公開されているはずなのに。


「まともな環境だったら、そんな事はあり得ないはずです。だとしたら——エフィーは両親と死別していて、引き取られた先で監禁されていた。そう考えた方が自然なんです」


 全員が息を呑んだ。ギールは説明を続ける。


「外部との接触を断たれ、きっと酷い虐待も受けていたはず。だからこそ耐え切れず、エフィーは死んで両親のところに行こうとした」


 ギールは感情を抑えて語る。そうでないと、怒りで頭が爆発しそうだった。


「そんなときに、あの子は霊体を奪われたのでしょう。そして昏睡し、衰弱死した。だけどエフィーはずっと監禁されていたから、周りにあの子を知る人はいなかった。だから引き取り手によって、あの子の死は隠蔽いんぺいされた」

「隠蔽って……」


 アミラが絶句する。フラッドたちも悲痛な面持ちで口を閉ざしていた。


(例え記憶を失くしていても、心に刻まれた傷は消えない。あの子の心はずっと、味方を求め続けていたのだろう)


 ギールは拳を握り締めて目を伏せる。


(だからこそ、手を差し伸べた俺の事をあんなにも……)


 自分を救おうとしてくれた人がいた。

 それだけで、孤独だった少女にとっては何物にも替え難い「救い」だったのだろう。

 ギールは唇を噛み締めた。自分は、全然あの子を救えてなどいなかったのに。

 それでもエフィーは救われたと、幸せだったと。そう言って微笑んでいた。

 ギールはゆっくりと顔を上げる。レマに顔を向けて口を開いた。


「レマさん、検索条件の変更をお願いします。両親が既に亡くなっている少女を」

「……ええ」


 静まり返った室内に、カタカタとキーボードの入力音が響く。

 やがて結果が画面に表示された。一人だけ、該当する少女がいた。




「——エフィーリスト・ノエル」




 ギールはその名前を心に焼き付ける。涙が頬を伝っていた。

 両親と死別したとき、エフィーは十三歳であったらしい。今生きていれば、彼女は二日前に十五歳になっていたはずだった。

 隣からアミラの嗚咽おえつが漏れ聞こえる。


「最後のミルクティーは……死ぬ前に取り戻せた、唯一の思い出だったのかな……」


 泣きながらアミラはそう言った。ギールは目元を拭って彼女を見る。


「最後のミルクティー?」

「あ……ごめん、話し忘れてたかも」


 アミラも涙を拭って、胸元で両手を重ねた。


「前に遊んだときにね。エフィー、幼い頃に両親とミルクティーを飲んだ事を思い出したの。両親に会いに行く前にも、温かいミルクティーを買って一人で飲んだんだって。この優しい味が大好きだったって言ってた」

「そうだったんだ」


 ギールは目を伏せる。知っていたら、幾らでも飲ませてあげたのに。

 後から次々と湧き上がる哀切に、はいを抉られるような想いがして——。




「……ちょっと待って」




 ギールはすぐに強烈な違和感に襲われた。ドクンと心臓が跳ねる。


「アミラ……今、『ミルクティーを買って一人で飲んだ』って言った?」

「え、あっ!?」


 アミラも気がついたようで、ぱっかり開けた口を手のひらで覆った。


「ギールの考えじゃ、エフィーは監禁されてたはずだよね? どういう事……?」

「まさか……エフィーはそのとき、逃げ出したのか?」


 カチリ、と頭の中でレールが切り替わったような感覚。初めから切り捨てていた可能性に今、思考が繋がった。


「そうだ……そうだよ。エフィーは両親に会いたいと強く願っていた。だからこそ死ぬときも——そして死んだ後も、両親の傍にいたいと考えたんだ」


 新たな仮説が組み上がった。鼓動が加速し、身体が熱を帯びる。


「監禁状態では逃げ出す準備なんてできなかったはず。きっとエフィーは、お金だけを掴んで懸命に逃げたんだ。両親のお墓まで行くために」

「その途中でエフィーは、自販機かどこかでミルクティーを買ったって事なんだね」


 アミラが納得したように呟く。彼女が言う通り、これで矛盾は解消された。

 だが、ギールの心臓は激しく暴れ回って収まらない。

 ギールはフラッドに視線を向けた。


「フラッドさん、『魔法犯罪被害者データベース』に接続していただけませんか?」

「あ、ああ。構わないが……?」


 フラッドが困惑した表情でこちらを見た。

 だが、ギールが答えるよりも先にマガリーが大声を上げた。


「そっか、そういう事なのね!? っ!」

「ええ、その可能性に賭けたいと思っています」


 ギールは緊張を湛えて答える。

 マガリーも期待と不安が入り混じったような顔で頷いた。


「ギール、どういう事?」

「エフィーは外に逃げ出した。つまり、人の目がある場所に行けたんだよ。だからね」


 当惑するアミラに、ギールは語る。




「——霊体を奪われたとき、あの子の近くに誰かがいた可能性があるんだ」




「あっ!?」


 アミラが身体を震わせた。


「もしかしたら、病院に運び込まれたかも知れないって事!?」

「そう。だけどエフィーは逃げ出す事に必死だったから、恐らくはお金しか持っていなかった」


 今度はカイスがパチンと指を打ち鳴らした。


「そうか! 身元の特定に繋がる所持品がなかったから、病院側もエフィーちゃんの名前が分からなかったんだ!」


 ギールは頷く。


「ええ。だからデータベースで『エフィー』と検索しても、あの子の情報は出てきませんでした。だけど『原因不明の昏睡』という症状で調べれば、もしかしたら——」

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天使がゼロに還るまで 初霜遠歌 @hatsushimo_toka

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