銀の靴を履いて踊れ

真朱マロ

銀の靴を履いて踊れ

 恋は人を愚か者に変えるらしい。

 ならば感情で動く今の私は、激しい恋に落ちている。


 金の靴を残して消えた、金の髪と青い瞳の美しい乙女に恋をした。

 彼女は魔物を倒し囚われた私を開放すると、あっという間に姿を消してしまった。


 あの日からずっと。

 月の輝く星のない夜に現れ、金の靴を残した不思議な彼女を、ただひたすら追い求めている。


 どこから来て、どこに消えたのか。

 彼女の全てが謎めいていた。


 華麗に戦っている最中は銀の靴に見えたのに、残ったのは片方の金の靴だけ。

 なぜ? と思ったが、金の靴を手にすれば、一つ謎は解けた。

 履くだけなら何の変哲もない夜会用の金のハイヒールだが、魔力を通すと聖属性を帯び銀色に変わる。


 なるほどと理解した。

 だから彼女は花びらが風に舞うような軽さで、魔物を倒せたのだ。


 未来の王としてあるまじきことだが、一人の女を探し出すために布令を出すなど、正気の沙汰ではない。

 けれど為政者にあるまじき衝動が、私を突き動かす。

 国中に放った伝令の白い鳥が知らせを持ち帰るたび、金の靴を手にして馬車を走らせる。


 あれは、つい先日のことだ。

 突如現れた闇の魔物に、私は存在を奪われた。

 それなりに長い間、意識はあるものの肉体を絵画に封じられ、私自身が本来得られるすべてを魔物が饗していた。


 大広間の絵画に封じられた数か月。

 夜な夜な封じられた私の前で、私の姿で立ち振る舞い、遊興に興じ、煽る言葉を紡ぐおぞましい魔物を見るだけの日々。


 何故、我が国を狙ったのかはわからない。

 しかし魔物が、私のすべてを奪った理由はすぐにわかった。

 王太子の立場があれば、極上の餌を手に入れられる。

 人を魅了して血肉をむさぼる魔物の姿は例外なく美しく、獲物を思うが儘に操る能力も高い。

 なによりプライドが高く、人を餌と断じ、魔物と呼ばれるのを嫌い「闇の貴族」と名乗るほどだから、王太子の立場は彼の自尊心に足りたのだろう。

 仮の姿を得るにしても、王族ならば我慢の範疇だが、庶民などありえないと高慢に語っていた。


 両陛下を手始めに城の者たちを魅了した魔物は、私の姿を模し王太子としてふるまった。

 そして、気まぐれに麗しい娘たちをその牙で喰い千切りむさぼるその所業を、ただ見つめる事しかできなかった。

 私に出来る事は何も出来ぬ自分を恥じ、悔しさに歯噛みすることぐらいだった。

 

 声も出せず、身動きもとれず、ただただ囚われるだけの日々。

 それに終わりが見えたのは、魔物に堪え性がなかったからだろうか。


 ある夜。

 この国で最後の舞踏会を行うと魔物は言った。

 私の名と王族の権力を利用して、国中の未婚の乙女を集めて、血の宴を開くと嗤った。

 やめろと叫んでも誰にも届かない。


 禍々しい光が降り注ぐ、星のない夜に舞踏会は始まった。

 夜会の日は、赤い月を城の塔が縫い留めているように見えた。

 庭園は篝火ひとつなく闇が満ちていたが、シャンデリアが照らす大広間だけは眩いほどに明るい、異様な夜だった。


 大広間は楽団により絶え間なく音楽が奏でられ、集まった人々も夜会にふさわしい豪奢な衣装をまとい華やかだ。

 ただ、生気のある表情と鮮明な意識を持つ者は、一人としていなかった。

 ぼんやりと焦点の合わない瞳で、音楽に合わせて操り人形のようにゆらゆらと体を揺らすだけだ。

 父も母も意思を失くして、うつろな目で王座に座っていた。


 大広間に絵として飾られ、成す術もない私を、魔物は嗤った。

 私と同じ顔をして、私よりも青白い肌色を見せつけるように、その手を伸ばし封じられた私の顔をツルリとなでる。


「家畜は屠ふるものだろう? おまえはそこで見ているがいい」


 高慢に嘲笑う魔物が、身をひるがえしたその時。

 大広間の扉が開いた。


 ひとり、令嬢が佇んでいた。

 結い上げられた金の髪が眩かった。

 青い瞳が宝石のようにきらめいていた。

 白銀のドレスが清楚な容貌に良く似合っていた。

 大広間に足を踏み入れた美しい令嬢は淑やかにカーテシーを決めると、シャンデリアの光を受け存在そのものがキラキラと光を放つようだった。


 ほう、と魔物が息を飲んだのがわかった。

 令嬢を獲物と定めてゆるやかに手招くと、彼女は嫣然と微笑んだ。

 妖しく輝き始めた赤い瞳を見つめたまま、とん、と軽やかに床を蹴る。

 流星に似た銀の軌跡を見た気はしたが、ゴッと鈍い音がすると同時に魔物が吹き飛び、私の真横の壁にめり込んでいた。


 瞬き一つの間もない動きに、私は息を飲んだ。

 一直線に駆けた彼女が蹴り飛ばしたとわかったのは、華やかなドレスの裾からのぞく白いしなやかな足が目の前にあったからだ。

 金色のハイヒールはしだいに光を放ちはじめ、ゆっくりと色を変えて、清らかな銀光を放ち始めた。


 疾風の速度で駆けだした彼女が腰のリボンをほどくと、花びらを重ね合わせたようなオーバードレスを脱ぎ捨てる。

 ふわりと天井へと投げられたオーバードレスのやわらかな布地はほどけ、光の糸へと変わっていく。

 その間も靴跡を辿るように伸びる銀光が彼女の動きを追い、踊るような華麗なステップと共に複雑な紋様を床上に描き出す。

 魔法陣の上を覆う膜のように広がった光の糸は、夜会の参加者たちを包み込んだ。

 護りの術がかけられても、魔物に魅了されている人々は正気を失ったままで、夜会の始まりと変わらずゆらゆらと体を揺らすばかりだった。


 蹴り飛ばされた魔物は、自分の身に何が起こったか理解できず、茫然としているようだった。

 理解できないながらも手で身体を支え、めり込んだ壁から身を起こそうとしていたが、軽やかに飛び込んできた彼女の容赦ない廻し蹴りで私から遠ざけられた。


 ゴロゴロと床に無様に転がったところで、目にも止まらぬ連撃で蹴りが叩き込まれる。

 銀のハイヒールが撃つたびに魔物の表面が焼けただれ、私に似せた形がホロホロと崩れて剥がれ落ちた。

 見る見るうちに四肢が縮み、ねじれた身体を持つ矮小な獣に変貌していく。

 

「キサマ、ナニモノだ?」

「私? 私はエラ。でも、そうね……」


 擬態の力も失せた魔物は、石造りの床を力任せに引きはがし盾とした。

 肩で息をする焼けただれた醜い姿に対して、エラは女神のように麗しく微笑んだ。


「おまえたちはシンデレラと呼ぶのでしょう?」


 今日の天気を語るようにクスリと笑うので、魔物は激高して吠えた。

 ギラついた赤い瞳から憎悪が炎のように噴き出し、エラに襲い掛かる。


「キサマが……キサマが、そうか! 忌まわしい灰かぶりめ!」

 

 いつのまにか黒く焼けた猿に似た姿に変わりはて、長く伸びた爪が鋭く光った。

 俊敏に跳ねた魔物の腕もグンと伸びる。喉元に突き付けられた剣のように長い爪を、ドレスの裾をひるがえしてエラは避ける。

 ふわりと身をひるがえし、踊るように螺旋を描く銀光は、確実に魔物の身を捕らえ続ける。

 風に舞う花びらのように軽やかに、エラは魔物の攻撃を避け、いなし、隙をついて蹴りを放つ。

 苛烈な戦いのさなかにあっても、華麗な舞踏を見るよりも銀の螺旋は優雅だった。 


「おのれ、おのれ、おのれ、おのれー!」


 幾度も蹴り飛ばされ床に転がされる魔物は、血飛沫を飛ばしながら怒りに支配されていた。

 激情にかられ大きく振り降ろされた腕を、エラは難なくすり抜ける。

 流れるような動きで後ろに飛んで床に手を衝くと、車輪のようにクルリと回り大きく上に跳ねた。


 銀槍に似た一閃。

 高く上がった右足のかかとが振り下ろされ、魔物の脳天に突き刺さる。

  

 一瞬の停止。

 そして魔物は完全に動きを止め、ハイヒールの下でサラサラと崩れ落ち、灰になって消え失せた。

 叫び声も、悲鳴も、怨嗟も、何一つ残さなかった。


 降り積もる雪のように見える灰を浴びながら立つ彼女は、どこまでも美しく清らかだった。

 けれど、エラはちょっとだけ肩をすくめて「困ったわ」とつぶやいた。

 砕けた床を気にして悩ましい様子を見せていたけれど、ふと気づいたように私を見た。


「ごめんね、お城がちょっとだけ壊れちゃったわ。貴方の解放でチャラにしてくれると嬉しいわ」


 愛らしい微笑みを浮かべ、絵画に封じられている私の頬に、ひとつキスを落とした。

 そのとたん、久々に身体の重みを感じて立っていられなくなり、膝を床についてしまう。


 驚きで、両掌を見た。

 絵画から解放され、人間に戻れたのだ。

 驚きに固まっているうちに、エラは私から離れていった。


「待ってほしい、貴女は何者なのだ?」

「私? 私はエラ。魔物退治の御用命があれば、また会うかもしれないわ」


 風のようにすり抜けて去ろうとするエラを見上げて、手を伸ばす。

 金色を取り戻していたハイヒールに手が触れたのは偶然だ。


 走り去るエラは靴が脱げても振り返りもしなかった。

 それでも「バイバイ、王子様」とだけ残し、クスクスと鈴が転がるような愛らしい笑い声はいつまでも耳に残った。


 あの日から、エラが脳裏から離れない。

 瞼を閉じれば魔物を屠った華麗な彼女の足さばきと、華麗に螺旋を描いた銀の軌跡を、脳裏に思い描ける。


 エラ、強く美しい私の光。

 ひるがえるドレスの裾が、ほどけた金の髪が、しなやかな白い足が、灰をかぶってもなお美しい姿が、心を締めている。


 今日も今日とて、白い小鳥が持ち帰った伝令を頼りに、金の靴を手に私は馬車で国内を走っている。

 シンデレラが「屠った魔物の灰を浴びる者」の総称と知っても気持ちは揺らがない。

 魔物退治を生業としていても、いつか君を捕まえる。


 彼女のつま先に口づけを落とせるならば。

 いっそ魔物に堕ちてしまおうか。


 ほの暗い望みを抱くほど、私はこの恋に狂っている。





『 おわり 』

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銀の靴を履いて踊れ 真朱マロ @masyu-maro

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