3.象徴と絆
それから六日間、ロティアとフフランは夜に家を抜け出して、あちこちからインクを集めた。
昼は、日に日に物々しい雰囲気になる家族と顔を合わせなければならない上、時々両親が「ロティアの行き先が……」と話しているのが聞こえてきて、その度にロティアは悲しくなった。
それでも、夜になればフフランと一緒に空を飛べる、自分の魔法で誰かの役に立てる、と思うと、前向きになることができた。
そして七日目、まだ星が瞬き、肌寒い風が吹きすさぶ中、ロティアが用意したビンの七本目がようやくいっぱいになった。
ロティアの顔と同じ大きさのビンいっぱいのインクに、フフランは羽を広げてヒラヒラと喜びの舞を踊った。
「ありがとう、ロティア! 最高だよ!!」
「お礼を言うのは、わたしの方だよ。この七日間、たくさんほめてもらえて、うれしかった」
フフランは優しくほほ笑んで、ロティアの肩にとまると、羽を広げてフワフワと頭をなでてくれた。
「自分の魔法、少しは好きになれたか?」
「うん。フフランと出会った日よりはずっとね」
ロティアがほほ笑むと、フフランは心から安心したみたいな大きなため息をついて、「よかったあ」と言った。
「それじゃあ、そろそろキャンバスに向かおうか。ここからすぐだぞ」
「わあ、ついに描いているところが見られるんだね!」
「ああ! 最高の絵を描くから、期待しててくれよな! ……なんとか間に合いそうで良かった」
「何か間に合わせたいことがあったの?」
ロティアが首をかしげると、フフランはハッとして、ぴょこっと宙に浮かび上がった。
「えっ、オイラ、今、口に出してたか?」
フフランはまた豆鉄砲を食らったみたいな顔をしている。
「うん。でも聞かないよ。聞かない方が良いんでしょう?」
フフランは少し申し訳無さそうな顔をして、小さくうなずいた。
いつも明るくて優しいフフランだから、困らせちゃだめだわ。たとえ、話してもらえないことが、少しだけさみしくても。
ロティアはそう言い聞かせ、できるだけ明るい声で話しかけた。
「さあ、案内してよ、フフラン。キャンバスに」
「……ああ。ありがとな、ロティア」
ロティアとフフランは隣り合って、まだ朝の気配がない空を飛んでいった。
渡り鳥ってこんな気持ちなのかな。
誰かがそばを飛んでいるだけで、すごくうれしくて、安心する。
それとも、フフランだからかな。
フフランをチラッと見ると、フフランもロティアの方を見ていた。二人は言葉を交わさず、フフッと笑いあった。
✒
「ここがオイラのキャンバスだ」
ロティアとフフランの目の前には、横にも縦にも大きな、バゲットのような形をした塔が建っていた。ただし、形がバゲットに似てるだけで、色はこんがり小麦色ではない。金色だ。しかし古い建物なのか、表面の金色は少しはがれていたり、うっすらと苔が生えたりしていた。
辺りを見回すと、家の一つも、農園すらも見当たらない。ただずっと先まで、野草の草原が広がっているだけだ。
なんだか、さみしい場所。
ロティアは#外套__がいとう__#の中で、手をこすり合わせた。
「ここって、なんの建物なの?」
「さあ。オイラも知らないんだ。知ってるのは、こいつも忘れ去られたものの一つだってことだ。昔は意味を持っていたんだろうが、時を経て、人の記憶から消えていったんだ」
フフランは小さい足でチョコチョコと塔の方へ歩いていった。
その背中は、いつもよりも小さく見える気がした。
「……フフランは、一人ぼっちをほっとけないんだね」
小さな後ろ姿にロティアがそう声をかけると、フフランは顔だけをこちらに向けて、また照れくさそうに「へへっ」と笑った。
「そんなほめられるようなことじゃないぞ。オイラはハトらしく、自分のために生きてるだけだ」
「でもフフランが自分のために生きているだけで、わたしや、忘れ去られた文字や建物の役に立ってるんだよ。やっぱりフフランは優しいよ」
フフランはバサッと翼を広げて、ロティアの前まで飛んできた。
「そんな風に言ってくれて、ありがとうな、ロティア。」
「どういたしまして。さあ、描こうよ、フフラン。朝が来ちゃう」
フフランはハッとして、「そうだな」と答えた。
フフランが絵を描いている光景は、不思議だった。
口にくえた一本の羽だけで絵を描いているはずなのに、一筆がすごく大きいのだ。
塔の周りを飛び回りながら、穂のようにグンッと伸びる曲線を、いくつもいくつも描いていく。
最初は、何を描いているのかわからなかった。
少しずつ、羽らしいものが見えてきた。
くちばしらしいものが見えてきた。
あまるい頭が見えてきた。
キラキラした目が見えてきた。
「……ハトだ」
フフランがフラフラしていることに気が付き、ロティアはホウキに乗ってフフランを助けた。
ロティアの腕にすっぽりと収まったフフランは、弱々しく笑って「終わったぞお」と言った。
「うん。終わったね、フフラン」
「……これで、明日からも、きっと、平和だ」
「うん。こんな素敵な絵を見せてもらったら、心はいつまでだって平和だわ」
フフランはぼんやりした目で、にっこりと笑った。
「……オイラ、世界を変える力は無いから、ずっと、どうしようって思ってたんだ」
「……うん?」
ロティアはそっと地面に降りて、ひんやりした塔に背中を預けて座った。フフランを太ももの上に寝かせると、フフランはくちばしをゆっくりと開いた。
「……この絵に、意味なんか、無いのかもしれないけど。……ロティアだけでも、守れたら、いいな。ロティアや、小さな子どもが、泣いてるのは、いやだから……。みんなが幸せになれたら、良いのにな……」
フフランは疲れすぎている、とロティアは思った。
話の内容がつながっているようでつながっていない。
それでも、フフランが眠りにつく前に、これだけは言わなければ。
ロティアは震えるくちびるをそっと開いた。
「……フフランのおかげで、この絵を見たおかげで、わたしはわたしを好きになれたよ。わたしの世界は、変わったよ。幸せになれたよ」
「例え明日、父さまと母さまから、家を出ていくように言われても」という言葉は、グッと飲み込んだ。
今朝、ロティアは悪いとわかっていても、両親が自分の話しているのを盗み聞きしていた。
ここから北にある小さな田舎町に送られることになるそうだ。
もうきっと、家に帰ることも、このあたりを飛ぶこともないんだろうな、とロティアは思った。
「……最後に、素敵な思い出を、ありがとう、フフラン」
フフランはほほ笑んで、そのままスウスウと寝息を立て始めた。
やっぱり疲れすぎちゃったのね。
ロティアはマフラーを取って、フフランを包み、ホウキの先にくくり付けた。
そして、白み始めた空をゆっくりと飛んでいった。
ふりかえると、朝日を浴びた夜空色のハトがキラリと光っていた。
✒
フフランは、ロティアの家に着いてもずっと眠っていた。そこで、ロティアは丸いカゴに、マフラーごとフフランを入れてあげた。少しは快適に寝られるだろう。
枕元にフフランのカゴを置いて、ロティアも眠りについた。
眠りについてから三時間も経つと、ドアのノックと、メイドのリタの声が聞こえてきた。
「ロティアお嬢さま、おはようございます」
まだ夢の中にいるフフランを見てホッとすると、ロティアは急いでドアを開けた。
いつも通り、メイド用の深い青色のワンピースに見を包んだメイドのリタは、優しくほほ笑みかけてきた。
「おはよう、リタ」
「おはようございます。本日はよいお天気ですね」
そう言われて窓の方を見る。外は眩しいほどの光であふれていた。
鳥たちがスイスイ飛び回る影が見え、陽気な歌声も聞こえてくる。まるで春が来たような天気だ。
「遠くまでお出かけしたくなるお天気ね」
ロティアの言葉に、リタはにっこりと笑った。
「できますとも、どこまででも」
今日のリタは機嫌が良い。いつも優しいけれど、今日は一段と優しいな、とロティアは思った。
「さあ、支度をして朝食に参りましょう」
リタはロティアが持っている中で、一番良いワンピースを出してきて、髪もきれいに編み込んでくれた。靴もピカピカに磨かれたルビー色のものだ。
今日、誰かのお誕生日だったかな?
ロティアが不思議そうに首をかしげても、リタはほほ笑んでくるだけだった。
眠っているフフランをそのままにして、ロティアは食堂へ向かった。そして従僕にドアを開けてもらったとたん、自分の目を疑った。
「あら、おはよう、ロティア」
「おはよう。寝坊か?」
一番奥の席に、ロヤン父さまとロジーア母さまが向かい合って座っているのだ! それもロティアにほほ笑みかけて。
いつもなら、朝食は兄のロシュとロゼの三人だけで取ることになっている。
本当に今日は何があったっていうんだろう。
ひょっとして、最後の朝食だからかな。
そう思うと、急に心臓がドクドクと大きな音を立てて鳴り出した。
「お、おはようございます」
「ほらほら、早く座りなさい」
ロティアはコクッとうなずいて、ヨタヨタとロシュの隣りに座った。ロシュはニッと小さく笑いかけてきた。
「さあ、いただくとしよう。神に、それから全てのハトに感謝してね」
……ハト?
ロティアがポカンとする一方で、ロシュとロゼは「はい、父さま、母さま!」と元気よく答えた。
「――と、父さま、母さま!」
朝食の後、ロティアは急いで両親を追いかけた。
二人はゆっくりとふり返り、ロヤンが笑顔で「どうした、ロティア」と言った。
「あ、あの、わ、わたし、今日、出発するんですよね?」
「えっ?」とロジーア。
ロティアはドキドキしながら両手をからめた。
「ご、ごめんなさい。昨日、聞いちゃってたんです。二人が、ようやく、わたしの行き先が、決まったって言ってたの。わたしが、ダメなやつだから、家には、いられないんでしょう……」
言葉にすると涙があふれそうになった。
目も合わせてくれない、自分の魔法を見てガッカリした両親だとしても、本当はそばにいたいのだと、今この瞬間に分かった。
涙がポロリとこぼれた瞬間、ロティアは温かい温もりに包まれた。それは、両親の腕の中の温もりだった。
「ああ、ロティア! もう大丈夫よ」
「そうだよ、ロティア。もう疎開する必要はなくなったからね」
「……疎開?」
ロヤンはロティアをゆっくりと離して、「ああ」と笑顔で答えた。
「ハトが我々を救ってくれたのよ。ハトの絵が」
「作者不明だが、そのハトの絵が、相手国の心を打ったんだ、ロティア。だから逃げる必要も、戦う必要も無くなったんだ」
ロティアがすべてを理解するために、両親は時間をかけて話をしてくれた。
「行き先」というのは、
それから、ロティアの魔法に幻滅したわけではなかったこと。
これに関しては、二人とも目を見て謝ってくれた。
「ほったらかしにされたように思わせて、本当にごめんなさい、ロティア」
「お前はまだ十歳になったばかりだっただろう。だから、その「インクが取り出せる魔法」を公にしなければ、まだロティアは魔法の才能が何かわかっていない、ということにできると思ったんだ。役に立つかがわからない魔法は、公表すると不利に働くことが多いんだよ。こと、魔法使いの世界ではね」
「この話をきちんとすればよかった、ごめんよ、ロティア」と言って、ロヤンはロティアの手にそっとキスをした。
ロティアは家族からできそこないだと思われていたわけではなかった。
両親はロティアを追い出したかったわけではなく、戦火から離そうとしていた。
魔法の力が価値を決める魔法貴族の世界で、ロティアが生きづらくならないようにするにはどうしたらよいのか考えていた。
多くのことを一度に教えられ、受け入れるのには時間がかかりそうだった。
ロティアの頭は、まだぼんやりとしていた。
しかし、これだけは聞かなきゃ、とロティアは自分を奮い立たせた。
ロティアは自分よりも大きな二人の手に、そうっと自分の手を重ねた。
「……と、父さまと、母さまは、わたしのこと、愛してくれて、いるんですか?」
両親は泣きそうな顔で、ロティアを抱きしめた。そして「もちろん」と、力強く答えてくれた。
✒
「わあ! すごいね、フフラン!」
「おお、よく描けてるな」
ロティアとフフランは、数時間前に完成させた絵を見に来ていた。
馬車を引き連れた貴族から、鍬を持った農民、魔法学校のローブを着た魔法使い、楽器を持って演奏している楽団など、多くの人が詰めかけている。
下へ降りても人の波に飲まれるだけだ、とフフランが言い、二人は空から絵を見ていた。
フフランが描いた真っ黒いハトは、羽を大きく広げ、空に向かって気高く顔を上げ、凛々しい目を輝かせている。
その絵の前で、人々はみんな歓声を上げていて、抱き合ったり、涙をぬぐいあったりしている。
「フフランのおかげで、みんな笑顔だね」
「……よかった。間に合ったんだな」
フフランは心からホッとした顔をしていた。
「でも、ちょっと違うぞ、ロティア。オイラとロティアのおかげだ。ロティアがインクを集めてくれなかったら、オイラは絵が描けなかったんだからな」
「フフフッ、わかってるよ。今はもう、この魔法がわたしの誇りだから」
ロティアは自分の胸に手を当てて、心の中でそっと魔法にささやいた。
『今まで嫌ってごめんね。これからもよろしくね』
すると、胸の奥から温かいものが流れてきて、全身がポカポカした。
「ねえ、フフラン。わたし、この魔法でフフランを助けられたように、もっとたくさんの人を助けられるように、いろいろ考えていこうと思うの。わたしがこの魔法を良い魔法にしたいって伝えたら、父さまたちも手伝うって言ってくれたの」
「よかったな! ロティアならきっとできるさ」
「うん。それでね、フフランにもそれを見ててほしいの。これからもわたしと一緒にいてくれない?」
フフランはロティアのホウキに飛び乗って「当たり前だろ!」と言った。
「やった! これからもよろしくね、フフラン!」
「よろしくな、ロティア!」
突き抜けるような青空の下、ロティアとフフランはにっこりとほほ笑み合った。
夜空色のインクで描くのは 唄川音 @ot0915
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