アンビバレント

@siganaimono

二律背反

自分が、何かを殺すことが好きだと気づいたのは、9歳くらいのときです。


私は、当時まだ生きていた母親に連れられて、近くの公園に行きました。


そこで、ダンボールに入った捨て猫を見つけました。

それは、自分と同じくらいの子供たちがたまたま発見し、みんなで一緒に育てていた物のようでした。


子供たちが一通りの猫の世話を終え、ダンボールから離れてかくれんぼを始めた頃、私はその猫に近づき、手を近づけ、頭を撫でました。

撫でられた猫が私を、その細い瞳孔で見つめてきた時、

私は急に、何か形容しがたい不快感に包まれるのを感じました。


今思えば、もうその時から、私の心は歪んでいたのでしょう。



そして私は、それを殺しました。

川に流しました。

数時間前に降っていた雨で水位が上がっていたので、とても早く流れました。

鳴き声もあげず、ただ水の中に埋もれ、流れていきました。


その時、私は、とても強い興奮を覚えたのです。


小さな子供の頃の記憶はあまり思い出せないのですが、その時の記憶だけは、明確に、鮮明に覚えています。



そこからは、心の鍵が外れたのか、壊れたのか、

何かを殺すことが癖になりました。


虫であったり、ネズミであったり。

あの時の猫を基準として、それよりも小さいものはどんどんと殺していきました。


しかし、あの時の猫のように、興奮を覚えることはありませんでした。



そして、その嗜好を持ったまま私は高校生になり、初めての彼女が出来ました。


その人は頭もよく、容姿も端麗で、

私とは到底不釣り合いな女性でしたが、

驚いたことに、彼女の方から、私に告白をしてきてくれました。


付き合って一週間が経ち、初めて一緒に、ご飯を食べに行きました。


私に何を食べるのか聞こうと、彼女が私の目を見た瞬間、

見つめられた私は、彼女に、あの時の感情と同じものを感じました。


あの時の。

ダンボールに入った猫に見つめられた時の、あの不快感を。


食べた料理の味は、あまり覚えていません。



そしてその後私は、彼女を殺しました。

その日は、雨が降っていました。

あの頃より水位も上がり、より激しく流れている川に、

あの頃のように、同じ手筈で。


人を殺すのは、初めての事でした。



その後、彼女が遺体で発見されたと、ニュースになりました。

学校中はその話で持ちきりとなり、

自殺なのか他殺なのか、そこかしこで話され、当時彼女と仲が良かった人は学校に来なくなり、いつまで経っても泣く人ばかりで、

学校は、混沌に満ちていました。


しかし、殺した当の本人である私は、それらと同じように、涙を流していたのです。

はっきりと、肩を震わせて泣いていたのです。


ではなぜ泣いていたのか?


人を殺したことによって、れっきとした犯罪に手を染めたことが堪えられなかったから?

警察や色々な人に尋問されるのが怖かったから?


正確には分かりませんが、ただ一つ言えるのは、

私は肩を震わせながら泣きましたが、その震えは、あの時の興奮によって起こったものだということです。


それは、人の死を悲しむ心を持っていながら、

“ここまでの興奮を人間はくれるのか”

という、半ば恍惚に満ちた感情が同時に存在していたからなのでしょう。

そして、私が感じた興奮は、死を悲しむ心が無いと生まれないという事にも、気が付きました。



何かが死ぬ時に思う“悲しい”という感情は、自分がその人自身と何かしら関わりがあったからで、

“もうあの人はいないんだ”

という喪失感から生まれるものなのだと考え、


思えばあの時の猫も、私が不快感を感じるまでは頭を撫でていたのだから、

少なくともその時の私は、その猫に好意的だったはず。


その好意的な猫を川に落とし、殺したからこそ、悲しみが生まれ、何の因果か、そこから興奮が生まれたのではないか。


私はそんな推論を立て、実行に移そうとしました。




そして私は、母親を殺しました。

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