正月とカニ

***

 冬の王都は穏やかな時間が流れていた。

 空は晴れ渡り、レンガ造りの街に立ち並ぶ煙突からはモクモクと煙が上がり、それぞれの家でそれぞれの人々が静かに時間を過ごしているのがうかがわれた。

 通りの人々は厚手のコートを羽織り、足早にそれぞれの用事に向かっている。

 オートモービルが馬車の間を抜け、開通したばかりの線路をシティトラムが走って行く。人々はそんな中を商店だの、親しい人の家だのを訊ねていく。

 街は新しい年を迎えたばかりでニューイヤーホリデイのただ中だった。

 そんな街のただ中、外れの3階建てのアパートメントの一室。

「見ろ。カニが届いた」

 1人の女が箱の中をニヤニヤしながら覗いていた。この国では珍しい真っ黒な黒髪だった。

「カニ? 海の?」

「そうだとも」

 女の前に居たのはネコだった。黒と白のブチのネコ。人語を話していた。どうやら魔物の一種らしい。

「なにがそんなに嬉しいの?」

「嬉しいに決まってるだろう。新年といえばカニ、エビ、おせちと決まっている」

「ああ、極東の風習ね。オセチっていうのが何なのか良く分からないけど」

 女は極東の島国からの流れ者だった。

 女は城勤めの警備兵の端くれだった。異国からの流れ者ながら腕を買われてなんとか仕事にありついている。

 城勤めながら無事ニューイヤーズホリデイを手に入れこうして数日間家でゆっくり過ごしているのである。ネコはこの国来る途中で拾った魔物だった。特に害はないので一緒に住んでいる。

「うひょー! 今日は酒盛りだ!」

 女が覗く箱の中にはカニが5杯ぎっしり入っていた。冷却魔術をほどこしてあるらしく、鮮度はばっちりだった。

「なにがそんなにテンション上がるものなのか良く分からないけど」

「バカ言え! カニだぞカニ! カニでテンション上がらないヤツがあるか!」

「全然分からないけど」

 カニはこの国では比較的メジャーな食材であり、よくダシに使われる食材であり、酒場でつまみに平然と出てくる食材だった。つまるところ比較的安価であり、比較的庶民の食材だった。

「いや、この前の任務で助けた漁師さんからだな。故郷の風習を話しておいて正解だった」

 そう言いながら女はかまどに火を付け、でかい水を入れたでかい鍋を煮始めた。

「ええ? もう煮るの?」

「当たり前だろう。鮮度が落ちる」

「じゃあ、昼から飲むの?」

「当たり前だろう。正月だぞ」

 女は鼻歌を唄いながら蒸留酒の酒瓶を取り出し、調味料を取り出し、調理場に並べていった。

 ネコはひょいと箱の中をのぞく。市場でよく見るカニだった。しかし、普通のものよりいくらか大きい。太い手足には身がぎっしり詰まっていることが見て取れた。これが件の漁師のマゴコロというやつなのだろう。安月給の女へのせめてもの報酬というわけだ。

 しかし、カニはカニだ。この国でカニを贈り物にされてあんなにブチ上がるやつはあまり居ない。

「カニだカニだ!」

 女はむちゃくちゃに嬉しそうだった。

 鍋の水が温まり、白い湯気を立て始めたころ女は再びカニの元に戻ってきた。

「いやぁ、ウチの鍋じゃ1杯ずつしか煮れないな」

 女は嬉しそうに言う。隠しきれない食欲が口にはしから溢れていた。

「よだれ出てるよ」

「遠い異国で安月給に堪えてきたかいがあったというものだ。去年一年頑張って良かった」

「まぁ、頑張ってたよね」

 遠い国から身ひとつでいくつもの山を越え、川を越え、はるかな道をやってきた女にとっては毎日が戦いに他ならない。心労疲労、傍らのネコは少なからず目撃してきたところだ。まったくネコには良く分からない風習だったが、女が喜んでいるならなによりなのかもしれない。そう思うことにした。

 その戦いの報酬がこのカニなのだろう。

「さぁて、どのカニから行こうかな」

 そう言いながら女はコップに蒸留酒を注いでいった。もはや我慢ならないらしい。調理しながら始める所存のようだった。

 ネコは呆れるが、わざわざ言うことはしなかった。

 新しい年の始まり。少しハメを外すくらいは多めに見なくてはならないだろう。

 その時だった。

 コンコンとドアが叩かれ、そして開かれた。

「ごきげんよう、ミコトさん。今年もよろしくお願いします」

「団長!?」

 そこに立っていたのは鎧を着た初老の男性。つまるところ女の上司だった。

「ミコトさん。仕事です。城壁の東で魔物が出ました。あなたの腕が必要です」

「で、ですが! 今カニを!」

「申し訳ない。人手が足りません。事は急を要する。来て頂きます」

「そ、そんなバカな! 堪忍してください!」

 そんな女の腕をずいと掴み、上司はぐいぐいと引っ張っていってしまう。

「手当は弾みますから」

「ですがカニが、カニがぁ!」

 そう言いながら女はどんどん引きずられていった。その目はカニしか見ていなかった。

「クソオオオ! 火は消しといてくれハナコぉ!!」

 そうしてドアは閉められた。あとにはネコとカニと煮える鍋だけが残された。

「はいはい」

 ネコがしっぽを一振りするとかまどの火は瞬く間に消えてしまった。

「忙しいご主人様ですこと」

 ネコがもう一振り尻尾を振ると、今度は箱の中に再び冷気が満ち、フタはぴっちり閉じられた。

 あとには静寂だけが残った。

 教会の鐘が鳴っている。正午だった。

「しっかりあんたも待つんだよ。あんなに喜んでくれるのこの国じゃあの人ぐらいだろうからね」

 ネコは箱の中のカニに向かって言った。

 真昼の新年にはまた穏やかな時間が流れ始めた。ネコは残った暖気を求めてかまどの前に行くとそこで丸くなって寝息を立て始めた。

 窓からは隣りの家屋の煙突から登る煙が良く見えた。煙は冬の晴れた空にモクモクと立ち上っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

正月とカニ @kamome008

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ