第3話 俺の飼い主
俺が生まれ育ったのは、一日中薄暗くて埃っぽい街の片隅だった。そこには俺みたいな奴が大勢いて、みんなで寄り添いながら生きていた。
ある日、見たことがない大きな人たちが何人もやって来た。大人たちや一部の子どもたちは逃げることができたものの、俺を含めた十数人はあっという間に捕まってしまった。そうして連れて行かれたのは、綺麗で温かくておいしいご飯が食べられる施設だった。そこで俺は何年も過ごすことになった。
「きみがリュウノスケ?」
初めて会ったときのルルスは、満面の笑みを浮かべながら優しい声で俺の名前を呼んだ。俺は初めて見る真っ白で綺麗な顔にびっくりして、俺よりずっと大きな体に二度びっくりした。
その日からルルスは毎日俺に会いに来た。俺のくだらない話もニコニコしながら聞いてくれる姿に「この人が俺の飼い主になってくれたらいいのに」なんて思ったりした。
(あのときは、まさか本当に飼い主になるなんて思ってなかったな)
しかもやたらと俺のことを心配する飼い主だ。いまも「本当に怖くない?」なんて眉尻を下げながら俺の様子を窺っている。
「おまえを怖いなんて思ったことは一度もねぇよ」
「でも、僕は……」
ルルスは根っからの心配性らしい。それにでかい体からは想像できないくらい繊細で優しかった。そんなルルスに心配をかけたくない俺は、こいつにだけは絶対に嘘をつかないと決めていた。
「俺は嘘は言わない」
そう言うとルルスの白い肌が虹色に光った。感情で肌が光ることがあると聞いていたから、そういう姿を見ても怖いと思ったことはない。それよりも不安そうな顔でキョロキョロと視線をさまよわせているほうが気になった。叱られた子どもみたいな表情に、本当に俺より三十年以上も長く生きているのかよと笑いたくなる。
(たしかにルルスは地球種じゃないけど、だからって怖くなんてねぇよ)
俺は“地球種”と呼ばれる生き物だ。昔は地球という星の固有種だったらしいが、地球がぶっ壊れたいまでは十以上の銀河系に散らばっているらしい。しかもあちこちで爆発的に繁殖するから害虫みたいな扱いを受けていると聞いた。いわゆる嫌われものの種族ってやつだ。
そんな地球種の俺をルルスは好きだと言ってくれた。毎日たくさん話をして、何かするたびに褒めてくれる。大きな体で優しく抱きしめてもくれた。そんなルルスのことを俺はすぐに好きになった。
「リュウノスケ、先に話しておきたいことがあるんだ」
「何だよ」
まだ何か言うことがあるというんだろうか。念には念をということかもしれないが、そこまで心配しすぎるのは正直どうなんだと思わなくもない。俺がそう思っていることに気づいたのか「大事なことなんだよ」と慌てたようにつけ加える。
「じつは僕、リュウノスケに隠していたことがあるんだ」
神妙な表情と声に、一瞬嫌な想像が脳裏をよぎった。
「……何だよ」
固くなった俺の声に、ルルスの顔まで堅くなる。
「変だと思わないでほしくて黙ってたんだけど、でも隠したままじゃいけないと思ったんだ」
「だから何だよ」
「冷静に聞いてほしいというか見てほしいというか、怖がらないでほしいんだけど」
「はっきり言えって」
「……僕、じつは腕が六本あるんだ」
「は……?」
強張っていた体から一気に力が抜けた。
(なんだ、そんなことか)
てっきり「リュウノスケ以外に保護したい地球種ができたんだ」なんてことを言われるのかと思った。
(だから俺を可愛がってくれないのかと思ってたけど、違ったのか)
俺より気に入った地球人が見つかったから可愛がってくれないんじゃないかと何度も思った。そう考えるだけで腹が痛くなって、食べる量も少し減った気がする。それに比べたら腕が六本あるなんて大したことじゃない。
そもそも手足が何本もある奴なんて小さいときから見慣れている。巨大な蛇の体になる奴も、額や背中に角が生えている奴も見てきた。むしろ俺たちのような体をしている奴のほうが珍しいくらいだ。
ルルスはそんな俺たちに近い姿をしている。体は大きいものの手足は二本ずつで頭は一つ、目が二つに鼻と口も一つずつだし耳も髪の毛もある。顔は誰もが見とれるくらい整っていて、俺も一発で好きになった。
そこに腕が四本増えたとしても、どうってことはない。
「リュウノスケが怖がるんじゃないかと思って、ずっと隠していたんだ。でも可愛がるときは隠したままではいられないだろうし……腕が六本なんて、地球種から見たら気味が悪いでしょ? だからどうしても言い出せなくて……って、何で笑ってるの?」
大きな体を屈め、不安そうな顔で話しているルルスを見ているうちに段々とおかしくなってきた。笑ったら悪いと思って我慢していたが、頬がひくついているのが自分でもわかる。それなのにルルスが眉を下げたまま「大丈夫?」なんて心配そうな顔をするから、ついに吹き出してしまった。
「ぷっ、ぷはっ、ははははっ。悪ぃ、そんなこと、いまさらって、はははっ。何気にしてんだって思ったら、おかしくて、あははははっ」
「怖がられなかったのはよかったけど、どうしてそんなに笑うんだろう」
「だって、ここはそういう奴らばかりが住んでるだろ? 俺みたいな見た目のほうが変わってるってのに、そんなこと気にしてたのかって思ったらさ」
笑いすぎて出てしまった涙を拭ってから「ルルス」と名前を呼んだ。それから太い首に両手を回してしっかりと抱きしめる。
「腕が六本だろうが十本だろうが、おまえはおまえだろ? 俺は見た目でルルスを好きになったんじゃねぇよ。あ、もちろんかっこいい顔とか渋い声は好きだけど、おまえだから好きになったんだって」
「そ、そっか」
「だから、そんなこと気にしないで俺を可愛がれよ」
そう言って耳たぶにキスをしたら、ルルスの背中がモゴモゴと動いたのがわかった。どうしたんだろうと思って体を離すと、今度は「ふーっ」と深く息を吐く。
「ルルス?」
「うん。いや、怖がられていないたとわかって安心した。ついでに、いまのキスでもう我慢は無理だって痛感したんだ」
「だから我慢なんかする必要ないって言ってんだろ?」
「……そうやって僕を煽って大変な思いをするのは、リュウノスケだからね?」
「おう、受けて立つよ」
ニヤリと笑いながら答えると、惚れ惚れするような男前の顔をしたルルスに「リュウノスケ、好きだよ」とキスをされた。そのときいつもと違う黒一色の目に変わっていたが、やっぱり怖いなんて思うことはなかった。
・ ・
「なんていうか……ルルスのやつ、すごかったな」
何となく予想はしていたものの想像以上だったなと思い返す。
俺は二日前、ルルスにこれでもかというくらい可愛がられた。同時にルルスの体についていろいろ知ることもできた。
四本の触手のうち一本は生殖機能を持っているらしく、股間についている地球種そっくりな形のものはただの飾りらしい。どうしてそういう作りなのかはルルスもわからないそうだ。
(見た目は似てるけど、やっぱり俺たちとはいろいろ違うってことか)
だからルルスは自分とまったく違う地球種のことを勉強したんだろうか。「ずっと興味があって」なんて照れくさそうに話していたのを思い出す。
(そういう意味じゃ、俺もルルスのこと興味津々なんだけどな)
俺たちは自分が住んでいるこの星のことを何も知らない。そういうことを教えてくれる場所も人もいないからだ。それでも以前なら何も思わなかった。でも勉強熱心なルルスを見ていると知らないままじゃ駄目な気がしてくる。
(俺も勉強しようかな……)
そうすればルルスのことがもっとわかるだろうし、お互いのことを知るのは大事なことのような気がした。
(これからずっと一緒にいるなら、知らないより知ってたほうがいいだろうし)
それに、お互いの体の違いも知りたい。そうすれば俺もルルスを可愛がることができるはず。
そこまで考えたからか二日前のことが脳裏に蘇った。全部は覚えていないものの、思い出せる分だけでも顔が熱くなる。もちろんそういうことは一通り施設で教えてもらったが、実際に経験すると随分違うことに気がついた。
(そもそもルルスはいろいろでかいんだ)
そのせいで最初のうちは緊張しきりだった。ところが隠してあった触手は意外と小振りで、内心拍子抜けしてしまった。
触手というくらいだから腕くらい太いのかと身構えていたものの、目の前に現れたのはつるっとした真っ白なものだった。表面がすべすべしていたからか、全身を撫で回されるとすごく気持ちがいい。あれで毛が生えていたら猫や犬の尻尾に間違えそうな感じだ。
(そういやルルス、いつもと違ってちょっと強引だったな)
普段の優しすぎるルルスと違った一面は逆に興奮……もとい、それだけ俺を好きでいてくれるんだと思えて嬉しかった。
(それに俺だけが生涯の繁殖相手だって言ってくれたし)
ルルスたちにとって繁殖相手が何を指す言葉かわからないが、俺たちふうに言うなら結婚相手ということじゃないだろうか。ルルスは何人もの地球種を引き取ることができるのに、俺だけを選んでくれるなんて最高すぎる。
「リュウノスケ、ご飯できたけど起きられそう?」
ドアから顔を覗かせたルルスに一瞬見とれてしまった。咄嗟に熱くなった顔を伏せながら「たぶん」と言って上半身を起こす。昨日は足腰が立たなかったものの、さすがに丸一日寝ていたのだから大丈夫だろう。
そう思いながら立ち上がろうとしたところでルルスが手を差し出した。掴むとひょいと抱き上げられて口がにやけそうになる。同時に「俺って弱く見えてんだろうな」と痛感した。だからこんなにも心配性になったのかもしれない。
「俺、少し鍛えようかな」
「急にどうしたの?」
「そのほうがおまえが安心するかと思って。それにルルスに可愛がられるたびにこれじゃ情けないだろ? それにたくさん可愛がられるためにも体力つけたほうがいい気がするし」
そう告げると、なぜかルルスがいつもより低い声で唸りだした。
「ルルス?」
「健康的になるのは大賛成だけど、いまの言い方はちょっとどうかな」
背中に回した手にモゴモゴと動くものが当たる。これは服の中に隠している触手だ。何だか動きが興奮しているように感じるのは気のせいだろうか。
「そういや可愛がるって言葉、俺たちの言い方だとセッ……」
「リュウノスケ、そういう言葉を昼日中に言うのはよくないよ」
気のせいでなければルルスの白い目元が赤くなっている。
「おまえ、変なところで真面目だな」
「リュウノスケ」
「そんなところも好きだけどな」
そう言って頬にキスをしたら足がぴたりと止まった。しばらく立ち止まった後、壊れたおもちゃみたいにぎこちなく歩き始める。
(ルルスって意外と可愛いことがあるよな)
そう思うと胸がくすぐったくなった。
「なぁルルス、飯食ったらデザートに蜂蜜レモン、食わせてくれよな」
出来心で、ついそんな言葉を耳元で囁いてしまった。
(ルルスの触手から出る液体、まんま蜂蜜レモンなんだよな)
しかも俺が好きな少し酸っぱい系の味だ。ルルスいわく、液体はルルスたちの種族が生殖相手を怖がらせないために輩出する何とかかんとかという成分で、よく似たものだと媚薬があるらしい。そういえば舐めた後、体が妙に熱くなったような気もする。
「リュウノスケ、」
戸惑うようなルルスの声に「おまえ、意外と可愛いとこあるよな」と囁いた俺は、この後ソファに正座させられてこっぴどく説教されることになった。
僕のペット/俺の飼い主 朏猫(ミカヅキネコ) @mikazuki_NECO
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