第2話 僕のペット2
「ただいま」
玄関を開けると中は静まりかえっていた。昼過ぎには帰ると伝えておいたけれど、リュウノスケが出迎えてくれる気配はない。
「もしかして本格的に嫌われたとか……?」
思わず出てしまった言葉にブルッと震えた。居ても立ってもいられなくなり、慌てて家の中に入る。
驚かさないようにと静かに歩くようにしていたことも忘れて、ドタドタとリビングダイニングに入った。正面と右側を大きな掃き出し窓にしたから部屋の中は驚くほど明るい。それなのに部屋のどこにもリュウノスケの姿はなかった。
キッチンかお風呂か、いや、暑くないのにこんな時間からシャワーを浴びるとは思えない。料理ができないリュウノスケはキッチンに長居することもないだろう。もしかして体調を悪くして寝室で休んでいるのかもしれない。
あれこれ考えた僕は、とにかく寝室を確認しようと急ぎ足でソファの後ろを通り過ぎようとした。そのとき視界の端にこんもりした影が映った。座面を覗き込むと、見慣れた姿が小さく丸まっている。
「なんだ、寝てただけか」
窓のほうを向いているリュウノスケの寝顔は穏やかだ。出かける前には少し眉を寄せていたように見えたけれど、寝顔は以前と変わらない穏やかなものだ。寝ている姿にホッとしつつ、こんな時間から眠くなるくらい寝不足なのかと思うと心配になった。
(やっぱり僕のせいなのかな)
最近のリュウノスケの様子を思い返す。前よりも賑やかに話さなくなった。笑顔も減ってきた。代わりに僕の前で気難しい顔をするようになった。つまりはそういうことなのだろう。
これまで僕はリュウノスケのあらゆる行動に細心の注意を払ってきた。毎日話を聞いて不満がないかも確認した。触れ合いが大事だと聞いたから、褒めるときは頭を撫でて抱きしめることも忘れないようにしてきた。
(でも、それだけじゃ駄目ってことだ)
地球種は寂しがり屋が多いらしい。どこに住んでも大勢で群れを成し、一人きりになると肉体的にも精神的にも弱ってしまう。
代わりにどんな環境にも適応できる潜在能力を持っていた。どんな場所でも爆発的に子孫を増やす繁殖力もある。そのため星によっては駆逐対象にされているくらいだ。
それでは駄目だと声を上げたのが地球種保護団体だった。各銀河に団体ができてから数十年、いまではファトファトのような専門家やフィーンのように進んで地球種を引き取るものも増えている。
そんな地球種に僕は少しだけ憧れていた。この星でしか生きられない僕と違い、地球種はとても強い。僕たちよりずっと脆い体をしているのに、どこにそんな強さが潜んでいるのか興味を引かれた。
地球種のことが知りたかった僕は地球種学を専攻することにした。そこで出会ったのがファトファトで、気がつけば地球種について熱く語り合う仲になっていた。六年かけて地球種について学んだ僕は準備に時間をかけ、ようやくリュウノスケを迎えることができた。
そんな大事なリュウノスケに嫌われるなんて耐えられない。嫌われたくない。嫌いにならないでほしい。
(……そうじゃない。本当は好きになってほしいんだ。でも、地球種とは違う姿の僕を好きになってくれるかなんてわからないし……)
窓から入ってくる光が眩しく感じる。きっと僕の目が生まれたままの状態に戻っているせいだろう。
僕の目は光りに弱く、日光に当たっているときは黒色の膜が目の表面を覆うため黒一色の目になる。それでも強い光が苦手で、以前は家の中に日の光が入ってこないようにしていた。しかし地球種には日の光が必要だと知り、何年もかけて虹彩だけ黒色でいられるように訓練してきた。
それでも気が昂ぶると黒一色に戻ってしまう。こんな目を見られたら気味悪がられるに違いない。
(それに腕のこともきっと気味悪がられる)
地球種は自分たちと違う姿にひどく怯える。だから六本ある腕のうち触手状の四本は隠して生活する訓練もした。元々六本は多いんじゃないかと思っていたくらいだから、こちらはそれほど不自由していない。
(リュウノスケに好きになってもらいたい。でも、本当の姿を見られるのは怖い)
そのせいで可愛がるための一歩を踏み出せないでいる。でも、可愛がらないせいで嫌われるなんて嫌だ。それにリュウノスケが病気になってしまうなら元も子もない。
「僕を好きになってくれたらいいのに」
僕だって本当はたっぷりと可愛がりたくて仕方がないんだ。でも、僕みたいな姿は怖いんじゃないかと思って抱きしめるのが精一杯だった。それ以上のことをすれば元の姿に戻ってしまうだろうし、そうしたら気味悪がられて嫌われるんじゃないかと思うと何もできなかった。
「お願いだから、僕を嫌いにならないで」
気がつけば祈るようにそう囁いていた。ソファの正面にしゃがみ込み、穏やかに眠っているリュウノスケの頬をそっと撫でる。
「嫌いになるわけねぇだろ」
「リュウノ、スケ」
急に両目が開いて驚いた。僕をじっと見ている目には、驚いて目を見開いている情けない顔の僕が映っている。
「『僕を好きになって』とか、いまさらだろ」
「え……と、もしかしてずっと聞いてた?」
「玄関が開く音で目が覚めたんだよ。その後いつもしない足音がしたから、何かあったのかと思って狸寝入りしてた」
まさか独り言を聞かれていたなんて、少し恥ずかしい。
「つーか、『嫌いにならないで』とかマジで言ってんのか?」
「それは……」
少しむくれた顔で起き上がったリュウノスケがジロッと僕を見る。
「俺はとっくの前に、その、なんだ、おまえたちが言うところの“可愛がる”ってことの覚悟はできてんだよ。それなのに嫌いにならないでって何だよ」
「でも、」
「あっ、勘違いするなよな。施設でそう説明されたから可愛がってほしいって思ってるわけじゃねぇぞ? そりゃあ最初は“それが引き取られる条件なんだ”って思ったりもしたけど、すぐにそんなこと気にならなくなったっつーか……あぁ、くそっ」
悪態をついたリュウノスケが、なぜかぷいっとそっぽを向いた。やっぱり嫌われているんじゃないかと心配になって見ていると、段々とリュウノスケの顔が赤くなっていく。それにチラチラと僕の様子を窺っているようにも見えた。
「リュウノスケ?」
「……俺だって、おまえのこと好きなのに」
ぼそっとつぶやかれた言葉が一瞬理解できなかった。「好きって、リュウノスケが僕のことを好きってこと?」と理解できた途端に隠している触手がぶわっと膨らむ。
「……ええぇぇ!?」
思わず叫ぶと「なんで驚くんだよ!」とリュウノスケが真っ赤な顔で睨みつける。
「俺がおまえのこと好きだとおかしいかよ!」
「そ、そんなことはないけど」
「おまえだって毎日何回も『好きだよ』って言ってるじゃねぇかよ! そんなこと言われて好きにならない奴なんでいないだろ!? っていうかそのくらい気づけよな!」
「ええと、それってつまり、リュウノスケは僕に可愛がられたいってこと?」
「そうだって言ってんだろうが!」
ますます顔を真っ赤にしたリュウノスケが、そばにあったクッションでぼふっと殴ってきた。もちろん僕は痛くないし、クッションをぼふぼふ振り回しているリュウノスケの可愛い仕草に段々と頬が緩んでいく。
「毎日好きだって言うくせに、おまえ全然可愛がってくれねぇじゃん。施設じゃ初日から可愛がることもあるって聞いてたのに、一緒に風呂に入ってもベッドに入っても何もしてこねぇし……」
「リュウノスケ」
「俺、ほんとに好かれてんのかわかんなくて、ずっと不安だったんだよ」
握っていたクッションを僕の胸に押しつけたリュウノスケが、そのままぼふっと体を預けてきた。
「毎日、今日こそは可愛がってくれるのかなって期待してさ。でも何もしないし、そんなんばっか考えてる俺が変なのかと思ったりして……。ルルスの馬鹿野郎」
ぼそっとつぶやいた「馬鹿野郎」が、僕にはなぜか「大好き」に聞こえた。
見下ろした視線の先にはリュウノスケの後頭部と背中がある。僕の胸に押しつけたクッションに額をくっつけているから、どんな表情をしているのかはわからない。でも、黒髪からのぞく耳とうなじが赤くなっているのはよく見えた。
リュウノスケはほかの地球種より体が大きいけれど、感情表現が豊かで可愛いところがたくさんある。こうして耳や顔を真っ赤にするのを初めて見たときは、あまりの可愛さに鼻血が出そうになったくらいだ。
(いまも少し危なかったけど)
僕はリュウノスケを怖がらせてしまうと思って本当の姿を見せられないでいた。でも、リュウノスケなら大丈夫かもしれない。
「リュウノスケ」
「なんだよ」
「僕はリュウノスケが大好きだ」
「知ってる」
「リュウノスケは僕のこと、どのくらい好き?」
「……んなの、いちいち言えるか」
「僕は聞きたい」
少し強めに言うと、リュウノスケの頭がゆっくりとクッションから離れた。そうして見上げてきた顔はりんごのように真っ赤で、あまりの可愛さに服の中に隠している触手が暴れ出しそうになる。
「俺だって、おまえのこと……その、可愛がってほしいって思うくらい、好きだよ」
あぁ、駄目だ。嬉しすぎて服の中の触手がこんがらがりそうになった。それにここまで言ってくれるなら、きっと大丈夫。
「リュウノスケ」
「何だよ」
「僕にたくさん可愛がらせてくれる?」
首まで真っ赤にしたリュウノスケがこくんと頷いた。僕は隠している触手がもぞもぞ這い出ようとするのを何とか抑えながら、二本の腕でリュウノスケをギュッと抱きしめた。
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