第2話
「……おじいさん。大丈夫ですか、おじいさん!」
目が覚めたらバスに乗っていた。そう認識するまでにも、恐らくそれなりの時間を要している。曖昧な表現になるのは、夢現で頭がぐにゃぐにゃとしている間の体感など正確でないからだ。
「俺は……どうしてバスに」
思わず声が出たことで、意識から霞が取り払われた。首をぐるりと回す。中程の一人席に座っていた。今度はたくさんの乗客がいた。指をやわりと動かせば、息子にもらったハンドバッグを抱えているのがわかった。
「よかった、返事がないから……。覚えてないですか、揺れでグリップに頭を強くぶつけたんですよ。ちょうど次が総合病院前です、一緒に降りましょ」
「そうか、だから、痛っ……すみません寝ぼけていて。そう、仕事帰りで……」
間違いなくそうだ。ここはいつも通りの世界で、日常で、普通のバスの中だ。日はまだ高く、春らしい穏やかな気候が窓越しにもわかる。帰ってきたのだ、あの恐ろしい乗り物から。徐々に安堵しつつ、まだ背筋の寒さが薄らと残っているのも本当だった。
「頭はホント恐いですよ。私付き添います。今日の面接全部終わったとこだし」
顔をあげると、話していたのはスーツを着た若い女性だった。急に目の前で老人が動かなくなるなど、恐い思いをさせてしまった。
「そんな、大丈夫ですよお嬢さん」
「いやいやいや、絶対行った方がいいです。ほら着きましたよ。すみませーん、降りるので通してくださーい!」
あっという間に道が開く。いよいよ断れなくなって、お嬢さんと並んで停留所へ降りることになった。歩き出しながら
「タテハシさんですね。私、
「ノリコ、さん……?」
「古風ですよねぇ、花の女子大生なのに。あ、タテハシさんは連絡の取れるご家族っています? ……タテハシさん?」
「あ、いや、それなら息子がいます。ええと、
ハンドバッグを探ろうとして、ふと頬に暖かな陽射しを感じた。本当に今日は良い天気だ。帰って来れた実感も持てる。いつだったか、こんな陽気の日があった──
(……則子)
携帯電話を探す手が止まった。後悔に紛れて記憶の彼方へと消えていた光景。そうだ、俺が気を取られた理由はこれだった。
則子の過ごす最期の日が、こんな
窓の向こうに輝く陽光、その温もりを頬に感じ、顔を上げたのだ。目を離した悔いは変わらないものの、先ほどの異常事態で考えたことを思い出す。則子は間違いなく異形のもとになど居ない。あの日の“温かな日向”に迎えられたのだ。得られた確信が俺の中で、唯一の救いだった。
結局、怪奇の正体はわからない。夢だと片付けるにはあまりに恐ろしすぎた。せっかくの得物、あの絶叫が耳を未だ不快にする。もしどこかへ到着していれば、現実で目覚めることも出来なかっただろうと思った。俺を引き戻してくれたのは心優しいこのお嬢さんと、そして。
「タテハシさん? 大丈夫ですか、やっぱり意識が……?」
「いえ、いえ。すみません。問題ありませんよ。連絡ですが、息子の武と繋がります。今日は休みのはずですから」
慌てて応えつつ、最愛の人の笑顔を思い浮かべる。見つめ続けてやれなかった俺を許してくれているのか、しっかりしなさいと叱ってくれているのか、もしくはその両方なのかもしれない。
(帰ったら線香をあげよう)
則子。どちらにしても、きっと、お前が日向から守ってくれたんだな。
日向が繋ぐ 藤咲 沙久 @saku_fujisaki
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