第五話「憶潜み」

 子どもの頃に体験した奇妙な出来事というのは、ほとんどの場合において「何かの見間違い」や「記憶の混濁」などで片付けられがちです。それは、その体験した出来事が「奇妙だった」と認識されるのは基本的に体験した本人がある程度大きくなってからであり、その際に根拠となる「本人の記憶」が非常に不確定なものだからです。人間の記憶というのは、いとも簡単に本人の無意識下で改ざんされる場合があります。過去の楽しかった記憶が過剰に美化されて「あの頃は良かった、戻りたい」と現状を否定する原因になったり。あるいは過去の辛かった記憶から精神を守るために、その記憶が丸ごと抜け落ちてしまったり。これらの理由から、子どもの頃に幽霊や妖怪を見たという記憶があっても「怖い人や怖い動物を見た記憶が誇張されているだけではないか」「自分の想像が実際にあった事として間違って記憶されているだけではないか」などという指摘が常について回ることになるのです。


 これらの指摘はもちろん至極真っ当だとは思うのですが、そう考えると別の可能性も浮上してくるのです。


 つまり「現実のものが間違って怪異として記憶される」ことが起こり得るのなら「怪異が間違って現実のものとして記憶される」ことも起こり得るのではないか、ということです。そして……そういう「人間の記憶の不確実性」に漬け込んで、干渉してくるような怪異もいるのではないでしょうか。いつの間にか記憶の中に入り込み、さも最初から存在していたかのように振る舞う。あるいは他人に話したくなるように「奇妙な存在」として敢えて記憶されることで、その話を聞いた人の記憶に入り込む。そして「そう言われれば自分も変なものを見たことがある」と思い込ませ、さらに他人に話させて増殖していく。そんな存在がいても、不思議ではないのです。






 ……子どもの頃の記憶を、いくつか引っ張り出してみてください。


 人でも、物でも、場所でも、なんでも。


 その中に、少しでも引っかかるものはありますか。




 子どもの頃によく見かけた人、そういえば今どうしてるんだろう?

 子どもの頃によく遊んでた玩具、そういえば今どこにあるんだろう?

 子どもの頃によく行った場所、そういえば今どうなってるんだろう?











 それらは、本当に存在していますか。
















 絶対に存在していると、言い切れますか。

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ひとくち怪談─子ども編─ 双町マチノスケ @machi52310

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