晴明百鬼夜行

夢のうつつに、最近よく思い出すことがある。

 親子三人で、鴨川の桜を観に行ったときのことを。

 それから間もなくして、あなたは逝ってしまった――



「なぁ、式部殿。百鬼夜行でもしませぬか?」

 夜中も夜中。御簾の向こう側にいる老人の言葉に、式部はあんぐりと口を開けていた。そんな式部にかまうことなく、老人は眼を細め笑ってみせる。

 ここは道長の屋敷である土御門だ。式部は壺庭の見える自身の廂にいて、物語を執筆中だった。灯台の炎が御簾の向こう側にいる男を不気味に照らしている。文机に手を置き、式部は立ち上がっていた。

「晴明様……こんな夜更けに何の御用でしょうか?」

 御簾に近づき、式部は老人に問いただす。老人は笑みを深め、式部に応えてみせる。

「ほれ、最近都では百鬼夜行が盛んでしょう? 私らも、ちと混じってみませんか?」

「はいっ?」

 老人の言葉に、式部は盛大に顔を顰めていた。

 百鬼夜行――

 物の怪や怨霊の類が列をなして練り歩くさまを意味する言葉だ。特に百鬼夜行を見たものは憑り殺されるという逸話から、貴族たちは夜の都に出ることはない。

 その百鬼夜行に目の前の老人は加わろうと言っているのだ。

「仮にも名高い陰陽師である安倍晴明さまのお言葉とは思えませんね? 何より、文も寄越さずこんな夜更けにおいでになること自体、無粋な行為だと思いますが?」

 笑う老人に冷たい視線を向けて、式部は言い放つ。

 この老人、名を安倍晴明という。式部の雇い主でもある菅原道真公が信頼を寄せる、稀代の陰陽師だ。

 噂によるとこの老人の母は化狐だという。それゆえ強大な力を持つというが、天衣無縫というか自由奔放というか、いい年をして何を考えているのか計りかねるときがある。

 曰く、呪符を使って蛙を押しつぶした。曰く、双子倚子――倚子とは天皇や高官の公卿が立礼の儀式中腰かける座具のこと――と呼ばれる奇妙な倚子を帝に贈り、帝を怨霊から御守りした。曰く、師の賀茂忠行の共をしていたときに百鬼夜行がやってくるのを予見し、難を逃れた。

 宮中は真かどうか分からない彼の噂話で溢れかえっている。それほどまでにこの老人は京の都で有名なのだ。物語を書くにあたり、式部も晴明には何かと世話になっている。

 陰陽寮の様子を聴いたり、晴明の物の怪退治を面白おかしく書き立てて、主の彰子に読み聞かせてみせたこともある。

 だが、式部は目の前の老人が苦手だった。何より狐に似たその面差しに不気味さを感じてしまう。

 それなのにこの老人ときたら、式部のことを妙に気に入っているらしい。何かと理由をつけては道長のところにふらりとやって来て、酒の席に式部を呼ぶよう催促してくるのだ。

 去年も目の前に広がる壺庭で、式部は道長と晴明の酒盛りにつき合わされた。壺庭に咲く小ぶりな山桜が白い花を咲かせ、なんとも美しい情景を描き出していた夜のことだった。

 式部は、美しく咲き誇る桜から目が離せなかった。

 亡き夫と見た鴨川の桜を思い出して、式部は何とも言えない感傷に浸っていたのだ。そんな式部に晴明はとんでもない話をしてきたのだ。

 曰く、桜には女の生霊が乗り移りやすいと――

 道長から秘かに夜這いを受け、それを黙殺していた式部にとって晴明の話は空言とは思えなかった。その出来事があってからしばらく、奥方様の接し方がよそよそしかったのだ。 

 彰子は変わらずに式部を慕ってくれたが、親しかった他の女房たちも式部と少しばかり距離を置いていた時期があった。

 それに奇妙な夢を見た。

 壺庭の桜に女の首がたくさんなって、それが式部に襲いかかる夢だ。その首をどこからともなくやって来た一匹の狐が退治する夢。

 酒の席でうっかり眠ってしまった式部は、そんな夢を見たのだ。その夢を見てから、皆の態度が元通りになったのだ。奥様は元通り式部に優しく接してくれるようになったし、同僚の女房達も式部を避けることはなくなった。

 あの奇妙な夢が何であったのか、式部は考えることがある。

「式部殿、式部殿、いかがいたしますか?」

 晴明に話しかけられ、式部は我に返っていた。御簾の向こう側にいる晴明は好々爺然とした笑みを浮かべるばかりだ。

「あの、百鬼夜行に加わると言いましても……」

 憑り殺されたくないとは言いにくく、式部は晴明から視線を逸らしていた。

「いやはや、みなさま乗り気なのに、稀代の文筆家である紫式部ともあろう方が、まさか凡人のようなご返答をなさりませんよな?」

 顔を曇らせ、老人は白い顎髭を撫でてみせた。晴明の言葉に驚き、式部は彼に視線を戻す。

「なんですって……」

 百鬼夜行に加わりたい物好きがいるという彼の発言が信じられず、式部は声をあげてしまう。

「えぇ、母様は物の怪さんたちに会いに行かないのですか?」

 突然聞き覚えのある愛らしい声が聞こえて、式部は眼を見開いていた。老人の後ろからひょっこりと被衣姿の少女が顔を覗かせている。

「賢子っ!?」

 実家にいるはずの娘の名を式部は大声で叫んでいた。

「うるさいぞ式部、皆が起きてしまうっ」

「そうですよ、静かにしないと物の怪も逃げてしまいます……」

「道長さま、彰子さま……」

 壺庭に佇む屋敷の主と仕える女主人を認め、式部は二人に視線を向けていた。

 もはや、あきれて声も出てこない。

「皆様お揃いで、何を企んでいらっしゃるんですか?」

 はぁっと盛大にため息をついて、式部は皆に問う。

「なに、素敵な物の怪たちに会いに行くだけですよ」

 狐顔に笑みを浮かべ、晴明は得意げに答えてみせた。





 平安京はその成り立ち自体が奇妙な都だ。蒼龍、玄武、朱雀、白虎の四神相応の土地に造られたこの都は、早良親王の祟りを避けるために造られたという。

 桓武天皇が崩御されたさい幼帝が立つことを防ぐために早良親王は立太子された。だが、長岡京の造長岡宮使・藤原種継を暗殺したとして無実の罪を着せられ憤死したのだ。長岡京ではその後災いが立て続けに起こり、人々はそれを早良親王の祟りだと恐れた。

 そして、その祟りから逃れるため新たに作られた都が平安京だ。

 だがこの平安京、魍魎が住まう魔の都でもある。

 平安京には陰陽師たちにより様々な魔除けや結界が施されている。だが、その結界に囚われてしまい、都から出られなくなる間抜けな妖たちがいるらしい。

「だからねぇ、百鬼夜行は迷子になった妖たちが、出口を求めてさまよっている現象なんですよぉ」

「そうだったんですかっ! 晴明さまは妖にお詳しいんですねっ」

 式部は頭に被った笠を手で触りながら、前方を歩く二人を睨みつけていた。娘の賢子と晴明は仲睦まじい様子で会話をしている。

「いやぁ、式部の娘は快活で良い娘だなぁ」

「そうですね、お父様っ」

 式部の後方から、呑気な男女の声が聞こえて来た。道長と主の彰子だ。ぐるりと式部は後方へと顔を向ける。

 虫垂れぎぬ姿の彰子と白い狩衣に身を包んだ道長が、晴明と喋る賢子を微笑ましげに見つめている。

「なに、まだ幼いがなかなかの美人じゃないか。式部には袖にされたが……」

「うぅぅん!!」

 道長の意味深な発言を、式部は大きな咳払いで遮っていた。びくと道長が肩を震わせ式部へと顔を向けてくる。きっと式部は雇い主であるはずの男を睨みつけていた。

「すまん……」

 弱々しく式部に謝る道長の横で、彰子が笑い声をあげる。

「ほれほれ、着きましたよ」

 そんな一向に晴明が声をかけた。式部は晴明へと顔を向ける。彼は、前方へと指を向けた。

 月明かりに照らされた平安京は存外に明るい。だが、路の先は夜闇で閉ざされているのが常だ。そんな路先が淡い光に包まれていた。

 式部は眼を凝らして前方の光を見る。その光の中にいる者たちを見て、驚愕に眼を見開く。

 妖だった。

 鬼がいる。一つ目の子供がいる。眼の生えた琵琶やら、単衣を羽織った骸骨まで、この世のものとは思えない珍妙な妖たちが、せわしなくあたりを行ったり来たりしているではないか。

「うわーん。出られないよぉ!!」

 その中心で、大きな赤い一つ目を持った女が泣いていた。一つ目に涙を浮かべ、女は妖たちと行ったり来たりを繰り返している。他の妖たちも、悲しげな顔をして路をうろうろとしているではないか。

「これは……」

「平安京の結界は、黄昏時になるとあの世との接点が出来てしまい一時的に弱まるのですよ。入るのは簡単なんですが、出るとなると難しいみたいでしてね……。それで、迷い込んでしまう妖が後をたたないんです。最近では、そんな妖たちを呼び寄せる困ったお人もおりましてなぁ。寂しいのでしょう。お気持ちは分かるのですが……」

 晴明の指が、妖たちの中心へと向けられる。そこに立つ少女を見て、式部はあっと声をあげていた。

 艶やかな黒髪を肩で切りそろえた少女が、一つ目女の肩を慰めるように叩いている。泣いていた一つ目女はがばりと顔をあげ、少女を見つめる。少女はにこやかな微笑みを浮かべ、女に抱きついた。

「媄子さま……」

 間違いない。少女は亡き皇后定子さまの忘れ形見媄子内親王だった。

 彼女はすでに現世の人間ではない。昨年、彰子が懐妊したのと同時期にこの世を去ったのだ。帝の嘆きようは酷く、土御門に里帰りしていた彰子を見舞うことすらできないほどだった。

 そんな彼女がなぜ、ここにいるのだろうか。

「迎えのものが都に入ってこられないのですよ。結界を強めすぎました」

 罰の悪そうな声がする。そちらに顔を向けると、晴明が苦笑を顔に浮かべていた。

「迎えの者って、どういうことですか? 晴明さま」

 晴明の隣にいた賢子が、彼の袖を引き問いかける。

「そのままの意味です。最近悪さをする妖が多いいので都の結界を強めたのですが、そのせいで死者の使いが都に入れなくなってしまいまして、只今都は成仏することができない亡者の魂で溢れかえっているのですよ。その亡者たちが、使いを求めて無関係な妖たちを都に呼び寄せてしまうのです」

「つまり、あなたのせいで都に妖と亡者が溢れかえっているということでよろしいのでしょうか?」

「はい、その通りです式部殿っ! さすが、才媛は呑み込みが早い」

「褒められても嬉しくありませんっ!」

 満面の笑みを浮かべる晴明に、式部は怒声を浴びせていた。

「まぁまぁ、そんなに怒ることはないではないか式部」

「そうですよ」

「天然親子は黙ってくださいっ!」

 式部の怒りは雇い主である藤原親子にも容赦なく浴びせられる。道長と彰子はびくりと肩を震わせ黙ってしまった。

「でも晴明よ、策はあるのだろう?」

 こほんと咳払いをして、道長が切れ長の眼に笑みを浮かべてみせる。

「はい、そのために皆にお越しいただきました。今から百鬼夜行をおこないます。あの妖たちを、私たちで都の外に連れ出すのです」

「でも、この人数でどうやって――」

「なに、準備は万端ですっ!」

 ぱちりと晴明が指を鳴らす。

 その音を合図に、暗闇に包まれていた路に光が溢れた。

 屋敷という屋敷から、松明を持った人々があとからあとから出てくるではないか。鬼の面を被ったり、狐の面を被ったり、中には女の着物を羽織った男の姿まである。

 それと同時に、どこからともなく愛らしい狐たちが路へと躍り出て来た。

「これは――」

「都に住む者たちですよ」

 驚く式部に、晴明は好々爺然とした笑みを浮かべて言う。彼は手に持っていた扇を掲げ、集まった者たちに大声で告げた。

「さぁ、妖たち。着いてきなさいっ! 着いてきなさいっ! 名高き陰陽師安倍晴明が、貴方たちを都の外へと誘いましょうっ!!」

 泣いていた妖たちがいっせいにこちらへと振り向く。彼らはきょとんとした顔を一様に向け、扇を掲げる晴明を眺めていた。

「ほれ、晴明百鬼夜行の始まりですっ!」

 扇を勢いよく振り下ろし、晴明は妖たちに告げる。彼の声を合図に、屋敷から出て来た人々がいっせいに駆けだした。そのあとを、狐たちが追う。

「おぉ、始まったぞっ!」

「母様も早くっ!」

 道長が興奮した様子で声をあげる。驚く式部の手を、賢子が引っ張った。

「賢子っ!」

「ほら、百鬼夜行が始まりますっ!」

 駆ける賢子が、式部に笑顔を向けてくる。式部は後方へと眼をやった。妖たちが自分たちを追ってくるではないか。


 帰れるぞ。

 帰れるぞ!

 帰れるぞ!!


 彼らは満面の笑みを浮かべて、式部たちを追ってくる。楽しげな妖たちの様子を見て、式部は不思議と顔を綻ばせていた。

 駆ける。駆ける。

 妖に扮した人間たちが、夜の都を駆けていく。彼らが通り過ぎるたびに、静まり返っていた屋敷という屋敷から、面を被った人が顔を覗かせ行列に加わる。

 駆ける。駆ける。

 松明を掲げ、狐を従えた一行は夜の都を照らしていく。その一行を追いかけて、奇妙奇天烈な魍魎たちが都中から集まってくる。

 一行は、都の出入り口である羅生門を目指し、都の中央を走る朱雀大路を駆けていく。

 その様子たるや、豪華絢爛な絵巻物のようだ。

 都中から面を被った人々が集まって、真っ赤に燃える松明で暗い路を照らしていく。それを追いかけ、鬼やら、一つ目の女やら、目のついた琵琶や、足の生えた大鏡やら、二本足で歩く兎なんかが都中から朱雀大路へと集まってくるのだ。

 路に植えた桜が、そんな一行にはらはら花弁を落としていく。やがて闇に聳え立つ巨大な羅生門が、一行の前に姿を現した。

 ぴたりと一行は門の前でとまる。

 すっと背筋を伸ばした晴明が門の前に進み出て、勢いよく扇を広げた。狐たちがそんな晴明のもとへと駆け寄り、周囲を巡る。

 舞が始まった。

 晴明の舞を彩るかのように、笙の音が加わる。琵琶が奏でられる。神楽笛が吹かれる。

 桜のはなびらが、晴明の周囲を静かに舞う。

 皆が、その様子を見つめていた。

 晴明は、静かに掲げていた扇を下す。皆に一礼すると、彼は扇を勢いよく朱雀門へと突きつけた。

 瞬間、轟音とともに朱雀門が開け放たれる。

 わっと歓声があがった。妖たちが笑い声をあげながら、開け放たれた門へと駆けていくではないか。面を被った人々は、慌てて路の脇へと移動する。


 帰れるぞ! 帰れるぞっ! 帰れるぞ!!!


 口々にそう叫びながら、妖たちは門を潜っていく。その門の向こう側が微かに輝いて見えた。

 神妙に思って、式部はその輝きを見つめていた。光り輝く女人が門の外に立っているではないか。

 禁色がふんだんに使われた衣をまとう彼女は、紛れもない皇后定子だった。その定子のもとへと一人の少女が駆けていく。媄子内親王だ。

 彼女は愛する母の胸元へと力いっぱい跳び込んでいく。そんな彼女を、定子は優しく抱きしめた。媄子は顔をあげ、愛らしい笑みを浮かべてみせる。

 光りに包まれた二人の体は浮き上がり、虚空へとあがっていく。それに連れられる様に、妖たちも夜空へと上がっていくではないか。

「みんな、帰っちゃうんですね……」

 賢子が小さく言葉を紡ぐ。式部は彼女を見た。

 どこか寂しげな笑みを浮かべ、彼女は空に昇っていく妖たちを見つめていた。泣きそうなその顔を見て、ぎゅっと式部は彼女の手を強く握る。

 そのときだ。そっと式部の頭を撫でる者があった。

「えっ……」

 正面を見つめると、一人の男性が立っている。切れ長の眼に優しげな笑みを浮かべて、彼は式部を撫でていた。

「父さまっ!」

 賢子が声をあげる。彼女は式部の手を振り払い、男性へと抱きついていた。そっと式部の頭から手を放し、男性は賢子を抱きしめる。

「あなた……」

 亡くなったはずの夫が目の前にいた。娘を愛しげにだきしめていた彼は、そっと式部に笑みを向けてくる。

「あなたっ!」

 こみ上げてくるものを抑えきれず、式部は声をあげていた。涙で視界が歪む。それすら気にすることなく、式部は目の前の夫に抱きついていた。夫は片腕でそっと式部を抱き寄せ、顔を覗き込んでくる。

 優しい笑みを彼は式部に向けてくる。その笑みがどこか悲しげで、式部は声を発していた。

「大丈夫ですよ。私たちは、きちんと生きています。ちゃんと、やっていけますから……」

 ふっと彼が笑みを深める。ぎゅっと夫は式部と賢子を抱き寄せてきた。

 すっと白い明りが式部の視界を掠める。顔をあげると、門の向こう側から太陽が昇っている様子が見てとれた。

 紺青の空が桜色に色づき、空と接している地平線を白い光が細く照らしている。

 片割れ時が終わろうとしている。

 片割れ時とは、夜から朝に移り変わる時間帯を表す言葉だ。

 夜と昼が交錯する片割れ時は、あの世とこの世が交わる瞬間でもある。その短い一時が、終わろうとしている。

「桜みたいだ。ほら、鴨川の桜……」

 ふと夫が口をきいた。彼は懐かしそうに桜色に輝く空を眺めている。

「本当だ。また、お花見にいきたいな……」

「行きましょう。また、三人で……」

 賢子が空を見上げ、ぽつりと呟く。式部はそんな娘の手を強く握りしめ、答えていた。

 まだ、賢子が幼い頃、三人で鴨川の桜を観に行ったことがある。また行こうと約束しながら、夫は間もなくこの世を去ってしまった。

 そのときのことを、二人は思い起こしているのだ。

 式部もまた、桜色の空を眺めながら、遠い昔に見た満開の桜に思いを馳せていた。

 太陽が地平から姿を現す。空に昇って行った妖たちが、その光の中に溶けていく。愛しい人の体もまたゆっくりと、周囲の景色に消えていく。

「お父様……」

「あなた……」

 式部と賢子は夫に声をかけていた。透けた体を眺めてから、彼は満々の笑みを顔に浮かべみせる。

 式部と賢子もまた、彼に微笑みを返していた。

 周囲が明るくなるたびに、ゆっくりと彼の体は薄くなっていく。やがて、その姿は完全に見えなくなってしまった。

 そっと式部は空を仰ぐ。

 すっかり蒼くなった空には、眩しく輝く太陽が浮かんでいる。太陽を見つめる式部の耳朶に、門がゆっくりと閉じる音が聞こえた。

「百鬼夜行はいかがでしたかな?」

 晴明に話しかけられ、式部は後方へと振り返る。優しげに眼を細め、晴明は式部に微笑みかけてくる。

 式部は、ぎゅっと賢子の手を握りしめ彼に笑顔を向けていた。

「鴨川に桜を観に行きたいと思います。もう、春ですから……」



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平安幻想譚~紫式部短編集 猫目 青 @namakemono

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