反面教師とドリームキラーの存在 後編
「入学」となったわけだが、校舎の中はどこか閑散としていて何かが新たに始まるという気配がなかった。
入学式というような式典がないことは始めから知っていたことだが、新入生となる学生の存在が全く無いことに首を傾げた。
「
と、廊下を歩いていた事務員のような恰幅の良いオバちゃ……女性が話しかけてくれた。
戸惑っていた僕はホッと一息つき、事情を説明した。
結論として、どうやら僕は同じ学校の違うキャンパスに来てしまったらしい。
様々な学科があるとはいえ、人口4万人弱の小さな町に二箇所もキャンパスがあるなんて思ってもみるはずがなかろう?
ワイン学科のある別キャンパスからのお迎えがくるまで、安っぽい合皮のソファで待つことになった。
僕以外にも、南島マルボロ地方出身・半袖Tシャツから覗く両腕にはびっしりと
驚いたことに、ウェインは犬同伴であった。
ワイン学科の副担任のような立場であり、みんなのお母さん的存在のマリー先生がお迎えにやってきてくれて、僕の自転車を豪快に学校のピックアップトラックの荷台に積み込んで本来のキャンパスへと向かっていった。
こうして同じ学科の同級生たちと出会うわけだが、全員で6名という小クラスで驚きばかりだ。
老若男女、実に個性的なメンバーであったが、担任講師は夏休み中という最早リアクションに困ってしまうものであった。
この時に、別の町ネイピアにある本校で講師をしているティムという、時代が違えば英国貴族のように品の良いシルバーグレーの紳士が代わりに入学の説明してくれたわけだ。
この時に、学校で管理している畑を見に行ってみようということになった。
その畑がこれから僕たち学生が実習をしながら世話をし、それぞれ自分たちが担当するワインを造ってみるカリキュラムとなる。
だがしかし
「
紳士だったティムが、まるで下町のフーリガンのようなリアクションで唖然としていた。
この当時の僕には何が起こっているのか全く分からなかったが、ブドウ栽培経験のあるウェインと地元ギズボーン出身・ヒゲのもっさりしたモーガンが「ああ」と納得して話し合っていた。
「こいつはアレだな?」
「ああ、パウダリーだな?」
パウダリーとは、powdery mildew・和名うどんこ病と呼ばれるカビによる病気のことだ。
まだ小さく固いブドウの幼果であるが、カビが表面にびっしりと白い粉のようにまぶされていた。
これでは最早手遅れ、今年はこのままSAYONARAと安楽死させるしかなかった。
その原因であるが、実にお粗末な理由だった。
この学校にあるブドウ畑や他の学科の果樹作物は、タイという初老の男性講師が管理を任されていた。
陽気で人当たりも良いのだが、残念ながら仕事に対する責任感がなかったらしい。
夏休みを二週間悠々と取っていたのだ。
これぐらいならば、欧米社会では当たり前なので問題は無いが、その間の畑の管理を怠っていたわけだ。
病気発生リスクの高いこの時期には、農薬散布は重要な防除、病気予防が必要となる。
通常ならば、他の講師に栽培管理を代わりにやってもらうように依頼するのだが、それすら怠っていた。
誰にも見守られることもなく、このブドウ畑は放置されていたということである。
その結果、病気の苗床となり、見事に腐海が誕生したわけだ。
僕はいきなり大きな教訓を得た。
畑仕事を怠るとこうなるぞ、と。
立派な恩師というのは当然大事な存在であるが、反面教師の存在もまたある意味重要な存在でもある。
やってはならないことを知ることもまた、大きな学びとなるのだ。
さて、いきなり大事なカリキュラムのブドウが亡くなってしまったが、近隣のブドウ畑から購入することになったのでひとまずは大丈夫というわけだ。
色々と残念ではあったが……。
そうして初日は終わり、キャンパスライフが日常になっていく。
紳士ティムが本校へ戻っていくと、入れ替わりで担当講師である小柄なチャラおじさん風ブレントの登場だ。
早速とばかりに課題のレポートや問題集を大量に出された。
欧米の学校は、入学は日本に比べれば比較的簡単だが、遊ぶ暇もないほど勉強漬けの日々となる。
僕の場合は、英語は母国語ではないので通常の倍は手間がかかるのだ。
そうして週末となり、課題を片付けようと帰宅の準備をしていた。
するとウェインとモーガンから話しかけられた。
「Yo Bro! 勉強会しようぜ?」
僕は特に深く考えることもなくOKと答えた。
翌日、地元民モーガン宅に集まることになった。
行ってみると、平屋1戸建て、ガレージ付き、庭も広々、NZの田舎町ではこれぐらいは標準であり、10歳の息子と再婚後の妻と2歳児の4人であれば十分な広さだろう。
天気が良かったので、庭にあるガーデンテーブルの上で僕たちは課題を始めた。
正直、一人でやった方が捗ったと思う。
だが、クラスメイトとの交流もキャンパスライフにとっては大事なことではないだろうか。
学校の勉強が若い頃から苦手だったろうと思われる二人である、早々に切り上げて庭でバーベキューが始まった。
モーガンは冷蔵庫からビールの小瓶を持ってきて、気前よく飲ませてくれた。
勉強会はすぐに飲み会へと変わっていった。
日が傾き、やがて暗くなってくるとウェインは帰っていった。
僕も帰ろうとしたが、なぜかモーガンに泊まっていけと止められた。
モーガンは紫煙を燻らせ、小瓶を次々と空けていく。
「オレはよ、学校の勉強はできねえけど、実務はやれるんだ」
と、唐突に身の上話が始まった。
モーガンは当時35歳、ブドウを含む様々な果樹農家で働いてきたと語る。
だが、一現場作業員から管理者へ、ゆくゆくは自分の畑を持ちたいと言う。
学歴というキャリアが必要になったために、この学校に入ったのだそうだ。
「でもよ、つるんでいる奴らは『そこまで仕事して何が楽しいんだ?』って言いやがる。決まった時間だけ働いて、週末は好きなことして遊んで、あとは家族がいればハッピーだろってな。……ヘッ! この町は、ドリームキラーなんだよ」
モーガンは愚痴とともに煙を吐き出す。
そして、また炭酸を喉に流し込む。
ドリームキラー、夢や目標があって行動し出すと『そんなこと無理だ、できっこない!』と何かと否定し、足を引っ張るヤツラのことだ。
妬み僻みのように悪意があるのであれば、簡単な話だ。
無視するか、有無を言わせない程の結果を見せつければいいだけだろう。
だが、本当に厄介な相手は、悪意を持っているわけではなく、善意の助言をしているつもりでいることだろう。
価値観の不理解で、失敗しないように心配してくれていることが多かったりする。
身近な存在の家族、友人、恋人などが特にそうなりやすい。
代わり映えのしない現在地という環境に人は慣れてしまいやすい。
無難に生きて行こうとしていくことは、分からない未来を切り拓くよりも遥かに楽なことだからだ。
僕自身、この学校へ入るために、いや、それ以前から多くの時間と労力、費用をかけてきた。
人生をかけた仕事にしようという覚悟を持って臨んだから、よく分かっている。
おそらく、無難にそこそこの給料の会社で働き、適度な社畜でいれば生きていくには不自由はなかったと思う。
しかし、それでもこの道を選んだ。
自分の選択した人生をただ本気で生きたいだけに。
この当時の僕は、モーガンに多くを語ることはしなかった。
喋ることは得意なことではないし、何を言えば良いのかもよく分からなかったからだ。
結局、僕はモーガン宅に泊まり、翌朝帰っていった。
その日は一人で課題を片付け、あっという間に週末は終わった。
それからすぐのことだった。
モーガンは休みがちになり、やがて全く学校に来ることはなくなった。
ドリームキラーに敗れ、そして、そのまま風と共に去っていった。
家族を養うために、今という時を生き延びるために生活費を稼がなければ、現実世界は生きていけない。
未来の夢を諦め、現在を生きる。
仕方がないことなのだろう。
しかし、それが大人になるということだろうか?
この当時の僕は、まだ何も偉そうに言えなかっただろう。
だが、今の僕は多少なりとも試練を乗り越えてきた。
だから、こう言える。
大人こそ、希望を持って未来に向かって歩いていかなければならない。
その背中が次世代の道標となるのだから。
PART1 完
神の血に溺れる~Re:キャンパスライフPART1 出っぱなし @msato33
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