またいつか
緑山 彩音
海沿いの町で
地方都市の海沿いの駅前にある安いホテルの、二機しかない小さなエレベーター。ここは8階。チェックアウトのため1階に下りたいのに、満員のため通過してしまう。まただ。これで2回目だよ。
あと15分で神社行きのバスが出るのだ。逃したら1時間待ちなのに。
今日は元旦だ。昨日からいいお天気で、初日の出を見るために昨夜遅くにひとりで泊まりに来た。2回目の年男になるまだ学生の息子は元旦も昼からバイトだそうだ。初日の出でも見に行こうかな、と言ったら、どうぞ行ってくれば、と送り出してくれた。
先ほど初日の出を見て、これから神社に向かおうと思っている。なんでも国内でも有数のパワースポットらしい。
それを知っていたわけではなくて、たまたま初日の出を見たいと思った場所から行けそうな神社を調べたらそこが見つかった。神社のある山全体が御神体で、本堂から頂上の奥宮に行くには軽い登山をしなければならないが、眺めは絶景だとか。
元旦で混むだろうから早めに行きたい。だからどうしても15分後のバスに乗りたいのだ。
エレベーターをぼんやり眺めながら、先ほど見た美しい初日の出を思い出していた。
6時に海岸近くの高台に行ったときは、空はまだ濃い青色で、水平線のところだけ分厚い灰色の雲が広がっていた。
雲の上が少しずつオレンジ色に染まってきたが、太陽は初日の出時刻を過ぎても雲に隠れたままだった。寒いのにこりゃ時間がかかるなぁ、と後ろに立っていた男性がぼやいていた。
残念?
いや、ラッキー。
私は快晴よりも雲のある空が好きなのだ。刻一刻と姿や色が変わる雲。太陽の光が隙間から射し込む様子は神々しいし、朝日や夕日は1日として同じ色で雲を染めないではないか。それを楽しまなくてはもったいない。
やがて雲の切れ間からオレンジ色に光るキャンディみたいな太陽がちらっと見えて、濃いオレンジ色の強い光が何本も出てきた。目を見張るような美しさだった。
オレンジ色の光は少しずつ角度を変えながら白っぽくなっていき、雲の上に太陽が姿を現した。初日の出おめでとうございます。パチパチパチ、と拍手をしている人もいた。
そして皆何ごともなかったかのように静かに去っていった。
『エレベーター、行っちゃうんだよね。混んでるからね』
隣にいた年配の女性が、くしゃっと顔をしかめて笑いながら話しかけてきた。元気そうな、チャーミングな方だ。
『これから帰るの?』
と聞かれた。はい、と言っても良かったのに、なぜか初対面の彼女に私は神社に行くのだと答えた。
『あら、私も。15分後のバス乗りたいよね』
まもなくエレベーターが止まった。良かった良かった、バスに乗れる。
さっとチェックアウトを済ませて、彼女とバス停に向かった。神社までは40分間バスに乗る予定だから話し相手がいても悪くない。悪い人ではなさそうだし。
足速にバス停に向かいながら
『座れるかな』
と彼女。幸い、そこそこ混んでいたが2人並んで座れた。
昨年私は職場で色々ともめごとがあって気苦労がたたり、仕事自体辞めてしばらく休養しようかというところまで追い詰められてしまった。遠く離れた社内の仕事仲間たちがメールや電話で支えてくれて立ち直った。
復活したものの今度は頑張りすぎて過労働となり、残業時間が多い人リストの仲間入りをした。帰宅して食事をして、テーブルに突っ伏して寝るのが当たり前だった。疲れがたまり、年末に不注意で手指を骨折した。大したことはなかったけれど。
そんな中、気晴らし方法はいくつかあって、近場にひとり旅をするのもその一つだ。ダイヤモンド富士カレンダーをチェックしていて、いきなり終電で向かってネットカフェに泊まったこともある。
本当はもっと時間があったら洋裁を習いたい。好きな色やデザイン、素材で自分の服を作れたら楽しそうではないか。
今年はいいことがありますように。そして自分を変えたい。変わりたい。だから初日の出を見て、パワースポットといわれる神社に行く。一年の計は元旦にあり。
年末に職場で怪我しちゃって。なんだか忙しすぎてうまく回らないので、厄落とししたいなと思うんです、と私。
『ふうん。あのね、私、悪いことひとつも起きないの』
と彼女。
『ネガティブな言葉や思考は一切しないの。そうするといいことしか自分の周りになくなるから、いいことしか起きなくなるよ』
彼女は肌がきれいだ、と思った。目元のシワも少ない。よく動く目もキラキラしている。
お話ししているうちに、ちょうど私より20才年上で、仲良しのお嫁さんが私と同い年だということが分かった。私の母より少し若いけれど、圧倒的にアクティブだ。パワフル。素敵だなあ。私も20年後そうありたい。
『嫌な人がいてもね、嫌だなあと思わずに自分がそういう人間でないことを感謝するの。そして相手を優しい気持ちで見ると、嫌じゃなくなるから』
あれ?私職場で人災に遭ったことは話していないんだけどな?
まあ、一般論か。確かにそうかもしれない。
『初日の出、綺麗だったね。太陽が雲に隠れていたけど、隙間から光が出ていたのはかえって良かったね』
『青春18きっぷってあるじゃない。私あれ使ってひとり旅するのが趣味なの。65才で仕事はやめて年金暮らしの身でホテルは高いから、ネットカフェの個室を使うの(笑)だからあちこちの店員さんと仲良しなの。年末年始はゆっくりしたいから、4日間あのホテルに泊まって、初日の出見て神社に行ってるの。パワースポットだからね。凄いよ』
『65までは仕事が楽しくて早くに主人が亡くなってからひとりで暮らしてバリバリ働いていたのね。そしたら息子が家を建てて、お袋の部屋もあるから仕事辞めてそろそろ遊んで暮らしたら、って言うからありがたくそうさせてもらってます。家にほとんどいないけど』
『医療系のお仕事なの。大変だね。私は洋裁の学校に行っていたんだけど、仕事にはしなかった。人に教えることもできるんだけどね』
え?私と似てない?というかそっくり。
今日偶然お会いしたのに、すごく私と似ている方だなあと思います、と伝えた。
饒舌な彼女は静かに笑っていた。
無事にバスが神社に着いた。まだ早い時間だったので元旦とは思えないほど空いていた。
空に向かって伸びたたくさんの杉の木で日光が遮られた参道を通り鳥居をくぐると、寒さとは違ったゾクゾクと鳥肌が立つ感覚があった。ああ、パワースポットだ、と思った。
彼女と一緒に、瑞々しく光る美しい苔や、サラサラと清らかな水の流れを眺めつつ、スムーズに本殿に参拝を済ませた。
さて次どうしましょう。彼女は何度か山頂の奥宮には行っている。私は奥宮に行きたい。
『ストーブあるから下で待っていようか』
彼女はそれが当たり前のように言った。奥宮は往復2時間かかる。駅に戻るバスは1時間に1本。
いくらなんでも寒い中、バス2本も見送らせるわけにはいかない。それに、もし万が一私が怪我をしたりして下山できなくなった場合、心配させてしまうではないか。
ふと、彼女の姿が目に留まった。
アクティブなショートヘア。よく歩くおかげかとても姿勢がいい。年齢より若く見えがちな童顔な丸顔。くるくると動く丸い目。
着ているもの。カーキ色のフード付きのコート。それよりもちょっと濃い、茶色がかったカーキのパンツ。リブ部分にラメが入った、茶色いセーター。
あっ!
と声を上げそうになった。
この服、先月私が関西旅行に行ったときに来ていた組み合わせだ。自分でもカーキ好きだよなあと思った、濃淡のグラデーション。
外観も実は似ているのだ。よく人から言われることを、そっくりそのまま私は彼女の印象として感じた。
定年までバリバリ仕事をされていたこと。ひとり旅がお好きでお得な切符やネットカフェを駆使されていること。洋裁をされていたこと。
偶然ホテルのエレベーター前で出会っただけなのに、初めてお会いしたとは思えない親近感。一体感すら感じる。
他人とは思えない。
20年後の私だ。そうに違いない。
私は"自分を変えたい、変わりたい"と思ってこのパワースポットと言われる神社に来た。道中、偶然出会った私にそっくりな彼女が
『ネガティブな言葉や思考を手放すことで人生が良いことだけになるよ』
と教えてくれた。彼女はもう少し一緒にいてくれそうな雰囲気で、もしかしたらまだ私に伝えたいことがあるのかもしれない。でも私には奥宮に行くという目標がある。"そのために私は来た"のだ。
私、上まで行きます。
往復2時間かかるので、私を待たずに次のバスに乗ってください。がんばって行ってきます。
楽しいお話、ありがとうございました。
またいつか、お会いしましょう。
そう伝えるとちょっと寂しそうに笑って彼女は言った。
『そうよね。"そのために来た"んだもんね。行ってらっしゃい』
ああ、やっぱり私なんだ。20年後の私だ。
私と同じような服を着て、同じような立ち方をしてこちらを見ている彼女に軽く会釈して、山頂の奥宮を目指した。
きっとずっとこちらを見ているんだろうな。でも振り返らなかった。涙が出そうで。
ひとりで足場の危うい急な山道で滑りそうになりながら約1時間、無事に山頂の奥宮に到着した。冷たい風が強く寒かったが、見晴らしがよく、眼下には森が広がっていて、遠くには白く冠雪した山が連なっていた。
清々しい。来て良かった。
ピュー、ヒュルル、と音を立てる山頂の風に吹かれながら考えた。
私が抱いていた"自分を変えたい、変わりたい"という希望。
よく"過去は変えられない"というけれど、現在の自分を変えることによって可能な場合もある。
未来の自分としか思えない方からのアドバイスによって、私は現在の思考や言動をポジティブに変えた。
それと同時に過去の苦しい、忘れたいと思っていた黒い出来事がオセロの駒をひっくり返すように白くなっていった気がした。
実際、あの時のことはプラスに転じていて、今はわりと良い状況なのだ。状況が変わるためには必要なことだったと今は思えている。
山頂に着いたときな感じた、なんだか首元を圧迫されるような感覚はすっかり消えていた。私の中にあったいらないものを、はらはらと風が吹き飛ばしてくれたのだと思った。
来年もお会いしましょう。
いいことたくさん報告しますね。
またいつか 緑山 彩音 @vie_amusante
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