あの子が私を殺す、その日まで

間川 レイ

第1話

 1.

 私が、自分のことを異常者であると、はじめて自覚したのは一体いつのことだったか。


 喧嘩となったら他人に手を挙げることにためらいのなかった小学生の頃か。私の恋愛対象が異性ではなくて同性の、女の子であると気付いた中学生の頃か。あるいははたまた取れもしないリーダーシップをとろうと出しゃばっていた高校生の頃か。


 いずれも違う。確かに異常ではあるが本質ではない。私の本質は、何物にも現実感を感じられないことだ。私の身の上におこっていることであるにもかかわらず、常に客観的にしか、第三者的にしか物事を見られないのだ。あたかも自分の肩の上にもう一人の自分がいて、常に見下ろしているかの様に。


 もう一人の自分は常に冷めた目で辺りを見渡している。あーあ、馬鹿みたい。そんなに熱くなっちゃってさ。そんな風に冷笑家気取りのもう一人の私が辺りを見下ろしている。いつでも。どんなときでも。体育祭の時皆が盛り上がっていても。あるいは毎日、皆が世間話で談笑していても。私の内心は冷え切っていた。否、凪いでいた。極端までにフラットだった。


 それはまるで、常に曇りガラスの向こうから現実を見ているかのような心地。常に私の表面には薄いラップのようなものが貼られていて、全ての出来事はその向こう側でおきているかのような気分だ。全ての出来事は他人事で、全ての物事に現実感がない。足元はいつだってふわふわと崩れそうで、今の自分が起きているのか夢を見ているのか自信がない。


 全ての物音や話し声だって、聞き取りずらいと言うことはないけれど、奇妙に遠方から響いていて。それはさながら映画館の映画を鑑賞しているかのような心地。常に私は、現実という舞台を客席から眺めている。ご飯を食べていても、勉強をしていても既知の台本を眺めているような気分にさせられる。何をやっても、ふーん、そうなんだで終わってしまう。あたかも自分とは無関係な話を聞きましたというように。全てが他人事で終わってしまう。


 これで困ってしまうのは自分の進路についてだ。何を学んでも、何を聞いてもふーん、そうなんだと他人事で終わらせてしまう私には、何か夢中になれるものがなかった。真剣に学んでみたいと思える何かがなかった。だって、私からすれば私は人生というフィクションを生きている一人のキャラクターに過ぎなかったから。真面目に勉強しようとなんて、思えるはずがない。


 いや、強いていうなら人生というフィクションを生きる身として、創作活動には興味があった。だから、一度はそちらの道を考えはしたけれど、創作なんかで生きていけるわけないだろと言う両親の方針で没になった。なので私はその道をあっさり諦めた。夢を否定されたと言うのに、さほど悔しくなかったことだけはよく覚えている。そこにはやっぱり、現実を生きていると言う実感が乏しかったからかも知れない。


 そんな私は真面目に勉強しようと言う意欲に欠けていた。多少なりとも興味のある部分は勉強するけれど、それ以外についてはまるでおざなり。何でお前は真面目に勉強しないとしばしば怒られたし、怒鳴られた。あるいはヒートアップした父親にボコボコに殴られたことさえある。だけど私は真面目に勉強しようとは思えなかった。真面目に生きようとは思えなかった。だって、私には生きていると言う実感がなかったから。殴られようとどうされようと、それは画面越しに殴られているもう一人の私を遠くから眺めているような気持ちでしかなかったから。


 何で、そんな風になったかなんて。もはやそんなこと覚えてもいない。いつから私はこの現実にリアリティを感じられなかったのかもわからない。強いていうなら、それこそ物心ついた頃には、既にリアリティを感じられなかったように思う。


 物心ついた頃には、よく父親に殴られていた。事業が忙しくて、あるいは事業を独立させたばかりで色々と気が立っていた父親は、ことあるごとに私を殴った。やれ箸の持ち方が悪い、挨拶の仕方が悪い。そんな些細なことで。中には保育園で悪さをした事の叱責という正当性のあるものも多かったけれど。小さな子供に対するにしては過剰な勢いで叱りつけた。


 そこには、小さな私が癇癪持ちだったからというのもあるのかも知れない。このまま育っては、どんなろくでなしに育つかわからないという心配もあったのかもあったのだろう。事業に対する不安と、娘の将来に対する不安。その両者は絶妙にブレンドされ、強烈な怒りとなって発現した。しばしば勢いよく蹴り飛ばされてはゴム毬の様に転がったものだ。髪を掴んで壁に叩きつけられたりとか。あるいは耳をつんざくばかりの大声で怒鳴られたりもした。


 小さな頃、本当に小さな頃は父親が怖くて堪らなかった記憶がある。そこだけはある程度リアリティをもって感じられる原初の記憶だ。そんな恐怖から逃れる為に、身体が何事にも現実感を感じなくなる様にしたのかもしれない。全てをフィクションとして捉えるようにしたのかもしれない。これ以上傷つかないで済むように。これ以上、痛みを痛みとして感じないで済むように。その後も、ずっと。


 そんな私は、きっとさぞや変わった子だったのだろう。高校生に至るまで、まともな友人関係を築けるに至ったのは片手の指で収まるほどしかない。特に私は、男の子のゴツく逞しい身体より、女の子の華奢で繊細な身体に惹かれた。そのわたあめの様な肩を抱きしめてみたいと言う欲求にしばしば駆られて負けていたから、スキンシップは激しい方だった。そして、女の子というのは元来そういう目線というのには敏感だ。数少ない友達と言えど、そういう関係になるつもりはないからと、一定の距離を感じる関係ばかりだった。


 だけど大学に入れば話は別だ。高校までのある種閉鎖的な環境とは異なり、大学には本当に多種多様な人が集まる。私のそうした性的指向を気にしない人にも巡り合った。また、私もそうした指向をあまりオープンにしなくなったのもあるのかも知れない。今までは現実感がないからこそ、ある種極端なキャラクターとしてオープンに振る舞っていたけれど、そう言うのをオープンにする事は弊害も多いとようやく学んでいたから。スキンシップも遅まきながら慎む様にしたし、極端なキャラクター性と言うのも放棄して、人並みに振る舞う事も覚えはじめていたから、友人と言えるものもできた。


 それに、大学生とは高校生に比べ一気に活動範囲が広がるものだ。例えばインターネットで掲示板を覗けば、男の子より女の子の方が好きと言う同志にだって出会えるし、話が合えば実際にオフで会おうと言う話にもなる。あるいははたまたネットの海を徘徊していれば、そう言う指向の人の集まるバーの話など自然に耳に入る。実際にそういう人達と会うのは楽しかった。現実感は無いなりに楽しかったのだ。否、逆に現実感がないからこそ楽しかったのかも知れない。ある種恋愛とは究極の非日常だ。現実感の無い灰色の人生でも、他人と付き合っている間は多少の色彩を獲得することができるから。


 それでも。経験人数が複数人ともなってくると、次第にそれは日常になる。他人と付き合っていてもときめかなくなる。ワクワクしない。ドキドキしない。平凡でありふれた日常の1ページになってしまう。影を潜めていた肩の上のもう一人の私が顔を出す。付き合っていたとしても何をしてるんだろう、私と言う気分になる。身体をまさぐっていても、まさぐられていても、所詮画面越しの向こうの話としか思えなくなる。退屈で退屈で、死にたくなる。手首を切り裂き、睡眠薬を大量に飲み干したくなる。そうすればきっと、この薄皮に包まれたような、生きているのか死んでいるのかわからないこの中途半端な気持ちにも決着をつけられそうだったから。この薄ぼんやりとした、奇妙にふわふわと頼りない曇りガラスを通した様な世界も、クリアになる心地がしたから。だけどそうする勇気もなくて。これで終わりにすると言う覚悟もつけられなくて。


 その代償行為とでも言うかの様に、私は自傷癖のある様な子たちとばかり付き合う様になった。自傷癖のある子の傷跡を見ると、私も自分の身体を切り刻んでいるような気持ちになれた。他人の血の香りは、まるで私が流した血のように錯覚することができた。そうした子たちの持つこの世界に対する憎しみは生々しくて。そうした子たちの話を聞いていると、私もリアリティをもってこの世界を憎むことができる気がした。私も家族が、世間が憎らしい。そんな思いに浸ることができた。私も人並みの感情を持てた気がした。そういう子たちと話しているとき、多少なりとも世界は色づいて見えた。まるで、あたかも痛みが染み入ってきて、まるで痛みが私の体を染め上げたように。


 そんな折だった。私があの子に出会ったのは。


 2.

 あの子は大学に入ってから何人目の彼女だっただろう。あの子もまた家族との関係でたびたび自殺を試みるほど追い込まれた子だった。経緯としてはそう珍しい話ではない。親子数代続く医者の家系に生まれ、幼いころから立派な医者になるべく教育を施され。そしてその教育には苛烈な暴力と強烈な罵倒が伴った。厳しい門限、厳しい教育、厳しい規則。そうしたものに何重にも囚われ縛られた子だった。家が少なからず名家として地方で知られているだけに家出という逃げも打てず。馬鹿みたいな罵声と、馬鹿みたいな暴力に、ただひたすらに耐えて、耐えて、耐えて。妹のほうが優秀ということで突然お前は後を継がなくともよいと言われ、半ば勘当のような形で家を出てきた子だった。


 あの子はいつ見ても新鮮な自傷痕をこしらえていた。いつだってどこからかは血を流していた。似たような場所を繰り返し繰り返し自傷するものだから、一部はケロイドみたいになっていて、そしてその見た目が嫌でさらに自傷を繰り返す。そんな子だった。血を見ると安心するの。あの子は笑って言った。ああ、私はまだ生きているんだなあって実感するの。そう言って笑ったあの子。血を見てないと今の自分が生きているのか確証が持てないの。そうも言っていた。


 自分が生きているか確証が持てない。それは人生に現実味を感じられない私の感性と非常に近かった。私は人生に現実感がないから簡単にキャラを変えてしまえる。常にキャラを演じているという感覚が付きまとう。私の本当の人生はどこにあるのという感覚から逃れることができない。それに生育環境も近かった。私の場合は、私にも落ち度があるとはいえ、常に叱責には激しい暴力と罵声が伴った。もっと真面目に人生を生きろと、何度怒鳴られ殴られてきたことか。生憎、曇ったガラス越しに世界を見ている私には何も響かなかったけれど。


 私とあの子は似ていた。似ているようで違っていた。私はそんなあの子のことが好きだった。今まで何となくで付き合ってきた子たちなんかよりも、ずっと。


 あの子と私が絡み合っているとき、あの子はしばしば言った。「ねえ、首を絞めてよ。私は幸せなまま死にたい」だから私は、お望み通り首を絞めてあげた。よくあるプレイみたいにそっと締め上げるんじゃなくて、それこそ殺すぐらいの気持ちでぎゅうぎゅうと。あの子がそれで死んじゃったら悲しいけれど、それでもあの子がそれを望むのなら仕方がない。その時は一緒に後で私も死んであげよう。そんなどこか投げやりな気持ちでぎゅうぎゅうと首を締めあげた。


 あの子はバタバタともがいていた。馬乗りになった私を振り落としそうなぐらいバタバタと。さながら吊り上げられた魚のように。そしてそれでいて、あの子は幸せそうだった。今まさに気道を渾身の力でぎゅうぎゅうと圧迫されているのに。死に一歩一歩近づいているというのに。あの子は笑っていた。よだれをたらし、涙を浮かべながら、それでも瞳はとろんと潤んでいて。その表情には何かしらぞわりとくるものがあった。これ以上やったら死ぬ。本能的な直観に従いパッと手を離すと、あの子はえずくんじゃないかってぐらい猛烈な勢いで咳き込んだ。涙と鼻水をたらしながら。それでも幸せそうに顔を紅潮させながら言うのだ。「あー、死ぬかと思った」と。晴れやかに。その表情を見ていると、ぞわぞわと何かしらこみあげてくるものがあるのだ。胸の内から、かゆいような熱いような、奇妙に熱を持った塊がぞわぞわと。その感覚は決して不快ではなくて。生まれて初めて感じるその感覚。ワクワクするともまた違う、奇妙に高揚にも似た感覚がこみあげてくるのだ。


 その感覚について私はもっと知りたくて。荒い息を吐いているあの子に私は言った。じゃあ、交代ねと。今度はあなたが私の首を絞める番だと。最初あの子は怪訝そうな顔をしていたし、猛烈に渋った。えー、嫌だよ、危ないよ。それでも私は何とか拝み倒した。大丈夫、大丈夫、絶対大丈夫。その証拠にあなたは死んでない。それでも渋るあの子にお願いだから、お試しで一回だけでいいからと必死に食い下がる。そんな必死の懇願に根負けしたのか、じゃあ、一回だけねとしぶしぶ頷くあの子。私が下、あの子が上と場所を入れ替える。


 そしておずおずと回される両手。ぐーっと気道が圧迫される。あ、が、と思わずうめき声が漏れる。急速に息苦しくなる。血管も圧迫され血流が遮断されたのか、急速に視野の色が暗くなっていく。こめかみのあたりで血管がバクバクと跳ね、血流がおかしくなっているのか眼球に飛び出しそうな圧力を感じる。息ができない。数秒もたつと頭全体に霞がかったようになり、口が勝手に酸素を求めパクパクとむなしく開閉を繰り返す。酸素が足りない。息をしなければ。明らかに体中の細胞から警報が出ていて、このままでは死んでしまうとアラームが鳴り響いているような感覚。なのに肺は酸素を取り込んでくれなくて。頭全体が心臓になったかのようにバクバクと鼓動を感じ、勝手に浮かんできた涙に世界は滲む。


 でもそれは、決して不快なばかりじゃなくて。滲む世界の中で、あの子の顔が映る。自分が首を絞められているわけじゃないのに、苦しげに歪んだあの子の顔が。そんなあの子の顔を見ていると、きゅんと胸が締め付けられるような心地がして。もっとそんな顔をもっと見てみたくて、かすむ視界の中「足りないよ」とあの子の手越しに私の喉を締め付ける。いやいやをするように首を振るあの子。私の手を振りほどこうとするのを先回りして封じ、一層強く首を締め付けさせる。「ちょっと……!」心なしか焦ったようなあの子の声が遠くから聞こえる。


 そんなあの子の様子を見ていると、キューンと体の内側から甘酸っぱいものがこみあげてくる。それとともに感じる、ゾクゾクとした甘い痺れ。それは体の奥から急速に手足のほうに広がり、脳みそをパチパチと白く焼く。脳内を白い電撃が走ったような感覚。意に反して体がびくびくと震える。それと同時に感じるのは圧倒的な多幸感。温かいお風呂に頭まで使っているようなポカポカとしたぬくもりが、全身を支配する。あの子に対する愛が無限に溢れてくる。あの子のことが愛おしくてたまらない。身体はふわふわとして軽く、雲の上にまで弾き飛ばされたかのような心地。天に召されそうとはこんな気持ちのことを言うんだろうか、なんてそんなことを考えているうちに、締め付けさせていた手が緩んだのかもしれない。瞬間、喉元から圧力が消える。


 どっと流れ込んでくる新鮮な空気。ゴホゴホとむせ返る。「ちょっと、大丈夫?!」そんな声とともに抱き起される。温かく、柔らかな感触。あの子が心配そうな顔をしてのぞき込んでいる。すり、とケロイド状の傷跡が残るあの子の腕に頬ずりをする。新鮮な空気を吸っているはずなのに、頭はぼんやりと、虚脱感が残る。白くかすんだ視界の中で、「水、持ってくるから休んでて」と去っていったあの子をぼんやりと見送る。


 最後、脳を焼いた多幸感。あれは強烈だった。つくづく思う。魂が吹き飛ばされるような衝撃。生の衝撃と言い換えてもいいかもしれない。生きているんだと、強烈に感じた。私は生きているんだと、強烈に思い知らされた。ずれていた外観と中身が合致したような、欠けていたパズルのピースがやっと見つかったかのような。あの感覚には、リアリティがあった。あの時一瞬、世界から曇りガラスは取り払われた。私は生の世界に触れることができた。生の世界は、いろどり鮮やかだった。私は生まれて初めて、自分は生きているんだと感じることができた。客観ではなく、主観として世界をとらえることができた。世界を初めて美しいと、生きている価値があると考えることができた。


 もう一度、あの感覚を味わいたい。再び曇りガラスに覆われ始めた世界をぼんやり眺めながら考える。きっと私は歪んでいる。生と死のはざまでしか、あるいは大切な人の苦しむ姿でしか生を実感できない。私は世間一般に言う異常者なのだろう。それは間違いない。だけれども、私が異常者だからといって生を求めてはいけない理由がどこにある。私だって生を謳歌したい。生を実感したい。何より曇りガラスに覆われた世界は退屈だ。生きているのか死んでいるのかわからない世界は窮屈だ。何より私は人生に現実味が欲しかった。かけがえのない、生の実感が欲しかった。そのためなら私は何度でもあの子に頼もう。勢いあまってあの子が私を殺してしまう、その日まで。


 だからわたしは水を持って帰ってきたあの子に微笑んで言うのだ。


「ねえ、もう一回首を絞めてくれる?」


 



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あの子が私を殺す、その日まで 間川 レイ @tsuyomasu0418

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