桃花祭

青川志帆

桃花祭



 かつて、今の中国がたくさんの国に別れていたころ。それらの国のひとつから、戦乱を逃れた王子が流れ着いた。


 この町の前身となった村に住んでいた年若い女が、流れ着いたその男を助けた。こんな辺境に外国語がわかる者がいるわけもなく、言葉が通じず、流れ着いた男は途方に暮れたという。


 女は何かを思い出したかのように、桃花酒とうかしゅを持ってきた。彼女がそれを飲むと、なぜか男と同じ言葉を喋るようになった。


 なぜ、と男は問う。女はあでやかに笑って、答えた。


 ――私は桃花とうかの神に仕える巫女です。このお酒を飲むと、少しだけ神の力をお借りすることができるのです。そのおかげで少しの間だけ、言葉が通じるようになりました――


 その後、女は男に話を聞いた。男は哀しそうな顔で、身の上を語った。


 ――戦乱に明け暮れるのは外だけではなく、国の内側も。謀殺されそうになったところで、家臣に助けられてようよう逃げてきた。しかし海が荒れ、船が難破し、小舟で脱出したもののほかの者はみな海に落ちてしまった。生きて流れ着いたのは、私ひとり――


 女は、男を神社に連れていき、かいがいしく世話をした。そして家族や村の者に、彼の哀しい話を語った。


 村の者は彼に同情し、こんなひなびた村でよければいつまででもいるといいと言って、歓迎してくれた。


 最初は、巫女が酒を飲み、通訳をした。だが、男は聡明で、少しずつこの国の言葉を覚えていった。そして村の者が知らなかったことをたくさん教えてくれた。そのため、辺境でありながら大陸の知識を得た村は、発展していったのだという――。その後、巫女と男は結婚し、幸せに暮らしましたとさ――。








 何度も聞かされた民話。こうして本で読むと、また違った印象になるから不思議だ。


 そんなことを思いながら、私は本を閉じた。


 私の住む町では、毎年三月、この民話を元にした祭り、桃花祭とうかさいが開催される。ひな祭りではない。少し似ているところもあるけど。


 妙齢の少年と少女が、この巫女と男に扮するのである。そして彼らは桃花酒を共に飲み、婚礼を行うふりをする。選ばれるのは十六歳になった少年少女だ。


 もちろん――お年頃な男女は婚礼の儀式など嫌がる。その時、さんざん冷やかされるのもこの役割が敬遠されるゆえんだ。自主的にやりがたる子供は少ない。毎年、巫女役と王子役の選抜に町内会は頭を悩ませているらしい。


 私は机に頬杖をついて、窓の外を眺めた。


 私が休み時間に、こんな本を読んでいるわけ。それは、私が今年の巫女役に選ばれたからに、ほかならない。


 町内会のおじさんが私の父親に頼み込み、人のいい父はあっさり引き受けてしまったという寸法だ。


 それを聞いた時、私は半泣きになって嫌がった。お父さんの馬鹿、大嫌い、を何十回と言った。


 それでも、「今から断ることはできない」と父に言われ、なだめすかされて、私はとうとう引き受けてしまった。何のことはない。父のお人好しさは、私に引き継がれてしまっていたのだ。


沙也さやー」


 声をかけられて、私は顔を上げた。前に、友人の花音かのんが立っていた。


「ああ……何?」


「何、じゃないよ。その本、何? 夢中で読んでいるようだったから、声かけづらかったよ」


「夢中になってたわけじゃないよ。……あのお祭りの元になった民話の本」


「ああ、あれか。巫女と王子の? いやほんと、お気の毒。誰もやりたがらないもんね、あれ」


「うう……。そう言われると、ますます嫌になってきた」


「ごめんって、沙也。相手役ってたしか――」


 そう。私が巫女役をやることは二週間ほど前に決まったのだが、王子役はまだ決まっていなかった。例年、巫女役より王子役の方が決まりにくかったりする。それは、たしかに嫌だろうと思う。王子って役名からして照れ臭いし。巫女役の女の子をリードしないといけないし。思春期男子には辛い役どころだ。


 とにかく、私は王子役は誰になるのだろうと不安を抱いていたのだった。




 学校からの帰り、玄関の扉を開けようとしたところで、入れ違いのように隣家の扉が開いた。


 あ、と出そうになった声をこらえる。


 出てきたひとと、目が合った。


 日焼けした肌。切れ長の目。すっかり伸びてしまった上背。


 私の幼馴染――理人りひとだ。


 目が合っただけで、互いに何も言わずに、すぐに私は扉を開いたし、彼はさっさと行ってしまった。


 その後ろ姿を見ないように、慌てて家の中に入る。玄関でローファーを脱ぎながら、どうしてこうなってしまったのだろうと考える。


 親同士も仲がよかった私たちは、幼稚園の時は、毎日のように遊んだ。小学校になってからは、「たまに」になったけれど、それでも仲良くしていたと思う。


 私たちの関係にひびが入ったのは、小学校高学年になってからだ。ふたり仲良く喋っていると、次第に周りにからかわれるようになった。だからか、私たちは互いに避け始めるようになった。


 でも、それは学校だけだと思っていたのに。


 ある日の放課後、友達と遊ぶべく家から出ると、ちょうど理人も家から出てきたところだった。


 理人、と名前を呼んだ。それなのに彼は顔を背けて、走っていってしまった。


 あまりにもショックで、その時私はしばらくその場で立ちすくんでいた。


 それ以来、互いにもう声をかけなくなった。母に「理人くんとはもう遊ばないの?」と聞かれた時、泣きそうになった。その顔を見て何か察したのか、母はもう何も言わなくなった。


 小さい頃、とても仲がよかっただけに辛かった。おままごとに付き合ってくれた理人。意地悪な男子にからかわれていると、助けてくれた理人。


 優しいけれど、勇気がある男の子だと思っていたのに。


 王子役、理人じゃなければいいや。


 幸せな思い出は既に遠く、淡いものになっていた。




 翌日、漢文の授業中に、桃の花の漢詩――桃夭とうようを習った。


「桃の夭夭ようようたる灼灼しゃくしゃくたりはな――」


 黒板に書いた白文を読み下した後、国語教師は話題を変える。


「桃の花は、この町にゆかりが深いな。祭りもあるし。桃の花は中国ではとても大事な花だったんだ。日本でも、桃の花は邪気を払うというし、桃の節句がある。そのぐらい日本でも重要だが、やはり桜に比べると存在感が薄い。だからこの町で桃の花が重要視されているのは、興味深いことなんだ。先生は、大陸から来た王子の民話は少し改変があったんじゃないかと思っている。おそらく、王子はひとりで流れ着いたんじゃなくて、集団を伴ってきたんじゃないかな。そして中国の技術を教え、信仰も持ち込んだんだと思う。特にこの町では陶磁器が有名だ。王子が伝えたとされるが、ひとりで伝えたとは考えにくい技術なんだ」


 先生は熱心に語っていた。そういえば、自己紹介の時に郷土史研究が趣味だと言っていたっけ。


「この場合、通訳も伴っていたと考えられる。命からがら流れ着いた、というよりも移住だね。技術を教えてもらう代わりに居住を許可されたということじゃないだろうか。本当に桃花酒で言葉が通じたわけないだろうからね」


 その話が真実なんだったら、巫女の存在は架空ってこと?


 私は想像してみた。中国から流れ着いた技術者集団と王子。巫女の存在はなし。大分、民話からロマンチックさが消えていく。


「時代も、伝えられているより、もう少し後の時代のことだったんじゃないかと考えている。実は先生は、王子の存在にも懐疑的だ。彼はただの集団のリーダーだったんじゃないかな」


 王子まで否定されたら、ロマンチックさなんて皆無になってしまう!


「……ん? どうした、華原かはら。ああ、そうだ。次の巫女役はお前だったな。すまんすまん」


 どうやら、私は先生を睨みつけてしまっていたらしい。恥ずかしくなって、うつむいてしまう。


「先生が今言ったことは、全部仮説だ。気にしないでくれ。それに、流れ着いた集団のリーダーであった男性と村の女性が結婚したのは、間違いないと思っているんだ」


 それが間違いなくても、民話から何かが失われてしまった気がして、私は釈然としない気持ちだった。




 でも、たしかにあの民話が百パーセント真実なわけはない。桃の花のお酒で言葉が通じるようになるなら、世の中には通訳も翻訳家も必要なくなる。洋画だって、お酒を飲んでから見れば字幕も吹き替えもいらない。ああ、でもその場合子供はどうするんだろう。私はまだ高校生だから飲酒できないし。


 なんて、くだらないことを考えながら歩いていたら、誰かに追い抜かされた。


 見覚えのある後ろ姿。理人だった。


 彼は、もちろん私になんか構わずにさっさと歩いていってしまう。家が隣だから、何度もすれ違ったり、こうやって追い抜かされたりした。それなのに、私たちの間には約六年、会話がない。


 同じ日本人で、言葉も通じるのに。私たちは話せない。


 なんとも不思議な話だった。




 その夜、ようやく王子役が決まったと父が教えてくれた。


「山田くんだって」


 翌朝、ホームルームが始まる前に私の席に来た花音にそう教えると、彼女は首を巡らせた。


「山田くんって、同じクラスの――あの?」


 教室の隅っこに座る男子を見て、花音は囁いた。


「うん、彼」


 少しぽっちゃりした、地味系の男子だ。同じクラスとはいえ、話したことは一度もなかった。


 友達と話していた山田くんは、私たちの視線に気づいたようで、こちらに顔を向けた。


 その時、クラスメイトの芹野せりのさんが近づいてきた。


 芹野さんは外見が派手な、いわゆる「ギャル」だ。当然、地味目の私や花音とはグループが違う。そのため、今まで数えるほどしか話したことがなかった。なのに近づいてきたのは、桃花祭の王子役が誰になるか、興味があったからだろう。


「えっ!? マジ? 王子役って、山田なの!?」


 芹野さんは、大きな声をたてて笑って、山田くんの方を見た。


「華原さんかわいそーっ。よりによって、クラスでも一番のデブサイクが王子役なんて!」


 大きな声でそう言われて、私は凍りついた。山田くんの視線を感じる。気にしないで、の意味をこめてへらりと笑いかけたが、彼は顔を強張らせて、友達の方に向き直ってしまった。


「ちょっと、芹野さん。何でそんなこと言うの?」


 花音が怒って、芹野さんを睨みつけた。


「ごめーん。だって、ふたりもそう思ったでしょ? あたし正直なだけじゃん」


 芹野さんは反省した様子もなく、女子の集団のところに行ってしまった。


「ひどいね」


「うん……」


 私は心配になって、山田くんの方を見たが、彼は友達ごといなくなっていた。ホームルームももうすぐ始まるというのに、どこに行ったのだろう。




 それからホームルームが始まり、一時間目は体育だった。その次の授業は数学だったが、そのまた次の授業が生物で生物室に移動だったので、結局昼休みまで私は山田くんと話せないでいた。


 生物室から帰って声をかけようと思ったが、山田くんは昼休み中は戻ってこなかった。こうなったら放課後に話しかけようと決めて、私はため息をついた。


 そしてようやくホームルームが終わって、私は山田くんの机のところに飛んでいった。


「山田くん。桃花祭のこと聞いた? よろしくね」


「…………」


「山田くんも、お父さんかお母さんに頼み込まれた? 私はお父さんが、町内会のおじさんに頼み込まれちゃって――」


 反応がないから、おろおろしながら話し続けてしまった。


 そして返ってきたのは、非情な一言。


「黙れよ」


「え?」


「俺、もう断ってきたから。やっぱり止めるって」


「どうして」


「お前がブスだからだよ! お前みたいなブスと結婚ごっこなんかできるか!」


 大きな声で怒鳴るように言われて、私は身をすくませた。呆然とする私を置いて、山田くんは友達と教室を出ていってしまった。


「沙也、大丈夫?」


 花音に声をかけられて、私はようやく我に返り、静まり返る教室のなかで青ざめた。




 こうして、山田くんは役を下りた。その後、町内会のおじさんが駆けずりまわっても、なかなか王子役は見つからないようだ。


 私はあれから、鏡を見ることが怖くなった。


(ブス、かあ)


 美人でなくても、それほどみにくいとは思っていなかった。でも、それは思い上がりだったのだろうか。


 鏡の中を覗き込んでは、頬に手を添わせる。


 理人が私を避けだしたのも、みにくい私と噂されるのが嫌だったからなのかもしれない。


 落ち込んでいる私を見て、花音はよく励ましてくれた。


「沙也、言われたこと気にしちゃだめだよ。あいつ、自分が芹野さんに悪口言われたからって、沙也に八つ当たりしただけなんだよ。芹野さんも芹野さんだよ! あんなこと言うから!」


 花音の怒りは有難かった。




 そして、ようやく王子役が決まったのは桃花祭も迫った二月のことだった。


「理人くんが、引き受けてくれたそうだ」


 夜に父に報告されて、私は凍りついた。よりによって、一番なってほしくなったひとだ。


「……そう」


 でもさすがに、抗えない。今から変更も無理だろうし、わがままを言っている場合ではない。


 でもどうして、理人が引き受けてくれたのだろう。




 桃花祭の一週間前の日曜日、神社でリハーサルを行うことになった。実際の装束を着て、手順を確認するのだ。


「なあに、そんなに難しいことじゃないよ。まずここで着替えて、婚姻の儀式を行ってから、町に出発する。ぐるりと回った後、またここに戻ってくるだけさ」


 神主さんはにこにこ笑いながら、説明してくれた。


「緊張しなくても婚姻の儀式は、一部の人しか見ないからね。それに、お祓いや祝詞の間はじっとしといて、盃を渡したらお酒を飲んでくれたらいい。それで終わり。簡単だろう?」


 確認されて、私も理人も頷いた。普通の神社の結婚式とは、また違った形式らしい。本当の結婚式じゃないからだろう。


「今日はとりあえず、衣装合わせ。あと位置確認。お酒はひとくち飲んで、あとは残してもいい」


 そもそも、未成年に酒を飲ませてもいいのだろうか。しかし誰も指摘しないことを鑑みると、伝統行事だということで見逃されているのだろう。


 そこまで聞いて、私は別室に移動した。神主さんの奥さんが、私の装束を着つけてくれる。花嫁役だけど、白装束ではない。巫女装束だ。不思議だが、花嫁より巫女という役割に重きを置いているのだろうか。袴は、薄紅色だった。桃の花の色を意識しているらしい。


 待機していた美容師さんにお化粧をされて、髪もセットされて。


 鏡で見ると、別人みたいだった。


 でも。みにくい私が、巫女役でいいのだろうか。そう思うと、胸がずきずきと痛んだ。


 支度を終えて、元の場所に戻ると、既に理人も着替え終えていた。彼は、昔の中国の皇帝が着ていたような衣装をまとっていた。漢服、と言うんだっけ。背の高い彼に、その異国の衣装はよく似合った。


 彼はちらりと、こちらを見る。


「ふたりともよく似合う! それじゃあ」


 と、神主さんが示したところに正座して、リハーサルが行われた。長時間の拘束は気の毒だと思ったのか、今日はお祓いも祝詞も省略してやっていた。


 巫女さんが私と理人に、盃を渡してくれた。


 桃の花びらを浮かせた透明のお酒――桃花酒。


 私たちはタイミングを合わせて、一緒に飲む。ひとくち飲むと、不思議な味が広がった。桃の花の香りは悪くないが、日本酒特有の辛さが喉の奥につんと刺さるようだ。まだ私に、お酒は早いらしい。


「そうそう。ふたりとも、ばっちり――」


 拍手した神主さんに奥さんが近付いて、何事か囁いた。


「何? ……ああ、ごめん。急用が。すぐに戻ってくるから、悪いけどそこで待ってて。もう少し説明したいことがあるから。楽にしてていいよ」


 神主さんは早口でそう言って、奥さんと一緒に出ていってしまった。


 後には、私と理人だけが残される。


 気まずいと思いきや、なんとなくふたりの間に流れる空気は悪くなかった。無視しあっているだけ、というより、ただ黙り込んでいるだけ、というような感じで。


 でも、喋る勇気はなくて。だからこそ、理人が口を開いた時は驚いた。


「――なあ」


「…………な、に?」


 緊張して、声がかすれてしまった。久しぶりに、間近で声を聞いた。昔よりずっと低くなった声。


「お前、なんか噂になってたみたいだけど」


 ああ、あのことか。山田くんからブス呼ばわりされた噂は、学校中を駆け巡ったらしい。理人が知っていて、当然だ。


「うん」


「……お前はブスじゃないよ」


 は? と思わず言ってしまった。一体何を言い出すのか、と隣を伺う。理人はいたって、真面目な表情だった。


「うちの母さんと、お前の母親が話すとこ、聞いたんだ。あの事件以来、お前が鏡見ては青ざめてるって」


「……そんなことを」


 母さんは、私を心配しているのだろう。私がそうなって以来、何度もことあるごとに、母さんから「かわいいよ」って言われて。そりゃ親から見たらかわいいでしょう、って思って信じられるはずもなかった。


「でも、どうしてそんなことになったんだ?」


 理人はなぜか、詳しい状況を聞きたがった。数年ぶりの会話がこれってどうなんだろうと思いながら、私は教室であったことを全て語った。


 理人は考え込むように、顎に指を当てていた。


「ふうん。それ多分、お前も悪口を言ってるって、山田に誤解されたんだな」


「え、どうして」


「そうとしか考えられないだろ。お前は言ってないからどうしてだろうって思ってるんだろうが、向こうからは噂されてたと思い込まれてもおかしくない状況だ」


「……言われてみれば」


 芹野さんが大声で言った後、私は笑いかけた。あれは慰めるつもりだったのだけれど。それに、山田くんと私の席は離れていた。私の声は聞こえなかっただけ、と思っていたのかも。


「だから仕返しに、言われたんだろ」


「そっか……」


 私もデブサイクと言っていたと思って、ブスと言い返したのか。私があの時すぐ、立ち上がって山田くんの席に行っていれば、誤解は解けたのかもしれない。結局彼に話しかけたのは、放課後。もう彼は辞退の連絡も済ませた後だった。


「わかったか。だからあんま、気にするなよ」


 理人に慰められて、変な気持ちになった。


「でも、だって……理人も私と噂になるのが嫌で、無視し始めたんでしょ。気にするなって言われても、気にするよ」


「なっ――。違う!」


 いきなり大きな声を出されて、私は面食らってしまった。


「違う? うそ」


「無視し始めたのは、お前からだろ!」


「私――?」


 そうして私は、古い記憶を掘り起こした。最初にからかわれ始めた時、学校では話さない方がいいのだろうと思って……。ああ、そうだ。私から目を逸らした。


「で、でもそれは……学校でだけって思って」


「そんなの、知るかよ。俺はあの時、ショックを受けて……だから俺もお前と話さなくなったんだ」


 そんな、と呟いて。私は青ざめた。


 でも、そうだ。私は理人に何も言わずに、よかれと思って学校で関わらないように目を逸らし、話さなくなっていった。理人がショックを受けて、当たり前だ。


 ずっと、理人はひどいと思っていた。でも、ひどいことを始めたのは私だった。


「……何で、泣くんだよ」


「ごめん……私」


 私は持っていたハンカチで、目元を抑えた。


「俺も、悪かった」


 意外な一言に、私は顔を横に向ける。理人はばつが悪そうな顔をしていた。


「ずっと、意地張ってた。勇気出して話しかければ、何か変わったかもしれないのにな」


「ううん。それは、私も一緒」


 些細なことですれ違った私たち。もっとこうして話していれば、と後悔ばかりが募る。


「……だから理人は、王子役を引き受けてくれたんだね」


 理人は私のことを嫌いになったわけじゃなかった。むしろ慰めてくれた。見ていられなくなって、王子役になってくれたんだ。


「ああ――。実は、立候補したんだ」


「立候補!?」


「内緒だぞ」


 そう言って笑う理人の顔は魅力的で、本当に古代の中国の王子様に見えてしまった。


「いつまでも王子役が決まらなかったらどうしようって、お前が思ってそうだって考えてさ。ついでに、こういう機会があれば話せるんじゃないかと思った」


「……そうだったんだ。ありがとう」


 理人は昔と変わっていなかった。勇気があって、優しい男の子だ。


「でも本当に、不思議なぐらい話せたな。酒のおかげか」


 理人は空っぽになった盃を見下ろした。いつの間にか、彼は全て飲み干していたらしい。平気な顔をしているところを見ると、彼はかなり酒に強いらしい。


「そうだね。きっと、桃花の神様が力を貸してくれたんだね」


 国語の先生の言う通り、迷信の可能性の方が高いんだろうけど。桃花の神様の力を得て、話せるようになった巫女と王子の話は真実だと、信じたくなった。


 そう思った時、神主さんが帰ってきた。


「すまないね、お待たせ」


 そして彼は私たちを見てふと、首を傾げる。


「いやに楽しそうだね。どうかした?」


 そう問われて、私たちは顔を見合わせて笑ってしまったのだった。




 そうして迎えた桃花祭当日。私たちは手順通り、婚礼の儀式をした。もうすっかり、私と理人は昔のように話すことができるようになったからか、儀式の最中も全然緊張しなかった。


 神社を出て、長い階段を下りて、私たちは手をつないで歩く。


 町の人が総出で、私たちをはやしたてた。


 こういう行事なんだとはわかっていても、気恥ずかしい。だからこそみんな、やりたがらないんだろうけど。


 ふと私は、見覚えのある顔に気づいた。山田くんが面白くなさそうに、友達と一緒に私たちを見ている。私が視線をやると、彼は目を逸らした。


 結局、まだ山田くんとは話せていない。お祭りが終わったら、彼とももう一度話さなくちゃ。


 そう思いながらも、私たちは彼の横を通り過ぎる。


 苦い思いが広がって、私は気分転換に視線を上にやる。


 見上げれば、街道に植わった桃の木が花を咲かせている。花の鮮やかな薄紅色が、青空によく映えていた。ひらひらと、花びらが降る。


 歩き続ける、私と理人。その後ろを行く神主さんと巫女たち。


 まるで、古代に時間が巻き戻ったようだった。


 ふと、想像してみる。古代に行われたのであろう、本物の結婚式を。


 昔の中国から流れ着いた流浪の王子と、この地を守り続けていた巫女が結ばれ、皆に祝福されながら歩く。


 ――桃の夭夭たる灼灼たり其の華――。


 授業で習った漢詩の一文を思い出す。あれもまた、婚礼にまつわる詩だった。嫁入りする娘の美しさをたたえる詩だと、先生が言っていたっけ。


 ふと、隣を歩く理人を見上げると、彼はにっこり笑ってくれた。


 どうして、あんなにすれ違ってたんだろう。一言あれば、すぐに解けた誤解。互いに意地を張って、何年も話せなくて。


 私は言葉の大切さを痛感した。これからは間違うことのないように、きちんと言葉を紡いでいこう。


 そう誓って、私は優しい幼馴染の隣を歩き続けた。





(了)


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