第4話
いざ、暗色の箱の中に身を投じた。
この場所で光り輝けるのは、演者だけ。
たまたま隣になった人は、ひとりで来たみたいだった。
ちょっと暇そうに、耳たぶを引っ張ったりしてる。
私もひとりで来たから、けっこう暇だった。
――明日死んじゃっても、後悔しない?
自分で自分に、問いかける。
どうせ、たまたま隣にいる人なんだし。これからずっと一緒にいる人ってわけじゃないんだし。失敗したって、別にいいよね。話が弾んだら万々歳ってことでさ。
「誰推しですか?」
声を、掛けてみた。
――私って、こんな感じだったっけ?
自分で自分が分からなくなるくらい、ごくごく自然に話しかけていた。
「え? あ、ああ……キーボードのエリ、かな?」
「良いですよね、エリの演奏」
「あなたもエリ推し?」
「まぁ、はい」
「ねぇ、知ってる?」
隣の人が、ちょっと顔を近づけてきた。ひそひそ話の距離感。ちょっと緊張する。引き出しを準備してない。だけどなんだか、今の私なら、平気な気がする。
「エリがバンドメンバー探してた時にさ、何を思ったか、カフェでお茶したことがあるらしいよ」
「え?」
「スタジオで演奏を聴くとかじゃなくてさ、カフェでお茶して話しただけの子がいるんだって」
私のことだ。
「ギターの人らしいんだけどさ。その子がもしバンドに入ってたらさ、どうなってたんだろうね。もっとデビュー、速かったりして」
「そんなこと、ないですよ」
「ん?」
「デビュー、出来てなかったかも」
隣の人の顔が、苦い顔になった。
「だってその人、ギター下手だし。今でもろくにギターソロ弾けないんですよ。ちょっと難しいやつにようやくチャレンジし始めたくらいで」
「ごめん、その……。知らない人のことを悪く言うのは、良くないと、僕は思う」
はっきりとした、口調だった。
「すみません。でも」
「でも?」
「そのギターの人、知ってる人、っていうか、その……」
「知ってるの? 幻のギターメン」
「その……あの……私、なんです」
「え……え?」
「エリとカフェでお茶したギターの人、私です」
ライブの幕が、開いた。
♪―――—
出会いは突然
たまたま隣に居たってだけ
どうにでもなれって思ったからかな
なんだか気楽に話せちゃってさ
逃した終電
カラオケでもどう? なんてとんとん拍子
選曲まさかのドストライクで
盛り上がっちゃって歌うのやめた
みんな知ってた?
王子さまってね、白馬に乗ったりしないんだ
ボケッと隣に立ってるその人とかさ
そういう人が――
その日初めて演奏された新曲『運命を知る』の最中、隣の人の顔を見た。聴きながら、ちょっと照れ臭そうに耳たぶを引っ張っていた。その様子をみていたら、なんだか愛おしく思えてきて、私はクスッと笑ったんだ。
あの日、あの時。
明日死んじゃっても後悔のない今を生きて、というメッセージを受け取らなかったら私は、今、どんな時間を過ごしていたのだろう。
明日死んじゃっても後悔しないように生きてみたら、たくさんの出会いと別れと再会を経験した。そして、ボケっと隣に立ってた王子さまと一緒に、同じ家に住む、なんていう未来を手にしてしまった。一緒に推しを推しながら、耳たぶを引っ張ったり、クスッと笑いながら、ミルクティーを飲んで、おいしい、幸せって思うの。
ああ、明日死んじゃっても、私は後悔しない。そんな充実した毎日。
だけど、明日死んじゃいたくない。
ずっとずーっと、こんな幸せな日々を、大好きな人たちと共に、歩んでいきたい。
〈了〉
後悔のない、今を生きる 湖ノ上茶屋(コノウエサヤ) @konoue_saya
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