第3話


 どのアーティストのライブに行こうかと、情報収集を始める。

 ライブハウス系がいいな。売れてるアーティストよりは、これからって感じのアーティストがいい。それで、命が続くなら、そのアーティストを推し続けて、「売れる前から愛してた」マウント……って、いくら初期から推していたとしても、マウントとったら性格悪いのかな? わかんないけど、でもやっぱり、初期から推し。これだ!


 これからデビューするというアーティストの紹介記事を見つけて、ライブ候補だと飛びついて読んだ。

 私に、大きな雷が落ちた。

 雰囲気がだいぶ変わっているけれど、間違いない。このバンドのキーボードの人は、あの日、一緒にミルクティーを飲んだ人だ。


 デビュー、するんだ。

 現実を見て、感情が複雑に絡んだ。あの時、もっと自分に熱があったら。もっと会話の引き出しがあって、あの場を盛り上げられていたら。私はこの写真の向こう側に居たのだろうか。そんな未来も、あったのだろうか。

 思考が過去に沈んでいく。

 あのとき、あのとき。もし、あのとき――。


 ブルブルとかぶりを振った。戻ってこい、私。すぐに、今に。


 メジャーデビューシングルのリリースイベントへ足を運んだ。

 普段はCDを買わず、サブスクで流行の音楽を聴く私だけれど、この時ばかりは円盤を買った。

 CDの購入特典として、その場でバンドメンバー全員がサインを入れてくれるという。その順番を待ちながら、私は頭の中で、引き出しを増やして、増やして、増やした。


「あの、私、以前あなたとお話させていただいたことがあって、その……」

 ああ、私って緊張に弱いんだな。

 作った引き出しを全く活かせないまま、しどろもどろになりながら、思う。

「え、ええっと……」

 困惑された。けれど、そんなものだろう。小一時間会って、共にミルクティーを飲んだだけの関係なのだから。

 今となっては、光を浴びる者と、光を浴びる姿を見る者っていう、立場の違いもある。

「ああ、いや。ごめんなさい。デビューおめでとうございます。これからも頑張ってください」

『どしたの? エリ』

 ドラムの人が、キーボードの人――エリに問いかけた。

 メンバー全員のサインを書くのは、流れ作業と言ってよかった。それが今、せき止められている。異変。それが大勢の不満に変わるのも、時間の問題だ。

「ごめんごめん。あ、すみません。お待たせしました。これからも応援、よろしくお願いします」

 言いながらエリは、満面の笑みでサイン済みのCDを手渡してきた。

 声をかけなければよかっただろうか。流れ作業の中に、私の勇気までもが、流されていった。


 家に帰り、サイン入りのCDをぼーっと眺めていた時、私にまた、雷が落ちた。

 エリはサインだけではなく、メッセージをそこに書いていた。

 ――ミルクティー、今も好きですか?

 向かいあったのは、せいぜい一分くらいだった。それなのに、エリは、思い出してくれた。記憶を、引き出してくれた。


 あの時に連絡を取ったアカウントは、今も生きていた。

 私はダイレクトメッセージを送ることにした。何時間もかけて文章を考えて、何度も何度も読み直して、変なところがないかを確認した。

 送信マークを押す前に、コンビニへ走った。なんてことない普通のミルクティーを買って来て、ぐびぐび飲んだ。あの時とは全然違う味。だけど、それが、私に勇気をくれた。


 明日死んじゃっても、後悔しない行動を、今日もできた、気がする。


 まだ売れっ子ではないにしろ、忙しいのだろう。既読のマークはついたけれど、返信は来なかった。

 エリたちの音楽を聴きながら私は、返信がなくても送ったことに意味があるのだと自分に言い聞かせ、ちょっと強がった。


 ある日、すこし難しいギターソロの練習をしていた時、スマホがブルっと震えた。どうせ企業広告だろうと、ちょっとため息をつきながらそれを見た。

 私の身体に、一閃が走った。

 私の視界に飛び込んできたのが、エリからのメッセージを受信したという、通知だったからだ。


 ライブの日、私は半休を取った。仕事を終えてから急いで行っても間に合うのかもしれないけれど、残業に巻き込まれたら終わるからって、安全策。

 エリとはあれから、時々メッセージのやり取りを続けている。彼女は、「バンドメンバー募集って言っているのに、カフェで話をしたの失敗だったな、って、今でも後悔してるの」と、私に謝罪をしてきたこともあった。

 言われて、確かにそうかも、と思った。けれど、私の中ではもう、あの日は『後悔しないようにとちゃんと行動した記念日』であって、その結果がどのようなものであっても、後悔するようなことじゃない。相手を恨むようなものでもない。

 今はもう、ただの、音楽が好きな、友だち。

 そんな友だちの晴れ舞台に、遅刻なんてできない。開場の何時間も前に最寄りの駅に降り立つと、近くのカフェでミルクティーを飲んだ。すっごくおいしい。心の底から、そう思う。



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