龍の泉が輝く時
泉がわずかに揺れた。
俺はゆっくり、刀を抜いた。
師匠から
ひとたび鞘から走らせれば、
龍、何するものぞ!
龍が住まう、泉の場所は皆が知っていた。
だが、そこへたどり着けるのは選ばれたものだけだった。
人喰い
絶望を味わわせるような急流も超えた。
乾いた砂漠では死を想った。
それでも俺はたどり着いた。
朝が、訪れる。
泉がさらにざわめいた。
目を覚ましたようだ。
やがて雲を朱に染める。
東から満天へと、まるで空を燃やしているようだ。
俺は息をのんだ。
これほど美しい朝があっただろうか。
龍は九つの姿を持つという。
角は鹿。
耳は牛。
頭は
目は
爪は鷹。
腹は
まさに……。
それはすべての生き物の始祖たるあかし。
王者の、王者たるゆえん。
世界の覇者の姿。
日の出に向かって、龍が伸びていく。
天と地をつなぐほどの巨体。
万年生きた
頭だけで海の覇者、鯨よりも大きい。
空へ、空へと向かってゆっくり、ゆっくり伸びていく。
明けの女神を飲み込みにいくようにも見えた。
息をのむ。
だが、気圧されている時ではない。
今こそ、今こそそのときなのだ。
呼吸を整え、
東の山から光の柱が立つ。
その柱を伝い、ついに朝日が山の上へと姿を見せた。
日が昇る。
龍も昇る。
龍は、まるで俺など見ていない。
足もとを走る蟻に気を取られることがあるだろうか?
龍にとって人間など、まさにそれなのだ。
神聖な泉への
巨大な真球の
空へ昇りきればもはや斬ること
その巨体がまだ泉に残っているうちに。
龍が俺を見ていないならそれこそ好機……。
ああ、それなのに、それなのに……。
手が、足が、体が、動かない。
心が、わずかも。
見入ってしまっていたのだ。
俺は龍に。
その美しさに。
朝日受け、泉の水が
奪われたのだ、心を。
神の
力が、抜けた。
(そうか。きっと兄も……)
今こそ分かった気がした。
斬れるわけがない。
兄は確かに龍に屈したのだろう。
それはしかし、龍を愛したのと同義だ。
龍を災厄だと
龍を
なんとも品のない。
笑えるな。
俺もまたそれに乗せられたのだから。
世界の王者たる龍は、地上をはいずる人間など見ていない。
人の営みなど
川は満たされ。
滝はほとばしり。
やがて広大な海へとたどり着く。
青い流れこそ、龍そのものだ。
龍が悠然と飛ぶ姿には、世界の調和を見た気がする。
鳥たちと共に空を舞い。
獣たちも龍を見上げて走る。
それは
俺は刀を放り投げた、泉に。
悟った。
兄の仇を討ちたかったのではない。
ましてドラゴンスレイヤーの称号など、どうでもよかった。
兄がどうして、あれほど大地と向き合っていられたか。
自然を愛し、自然の中に身をゆだねられたのか。
最後も死を受け入れて穏やかな顔でいられたのか。
何を見てそれほど
兄は龍を愛したのだ。
龍が愛したこの世界もまた愛したのだ。
龍は空の彼方へと消えた。
俺はただ茫然と、脱け殻のようにそれを見送っていた。
ふと視線を下げれば、泉はキラキラと輝いていた。
その底に無数の剣や刀、様々な鋼の武器があったのだ。
俺と同じく、龍を斬れなかった者たちが捧げたものだろう。
兄の刀も見付けた。
いまだ輝きを失わず。
それは夢の終わりか。
違う。
夢から覚めたのだ。
兄は
俺はここにとどまろう。
泉を訪れる人あらば、問おう。
龍の泉が輝く時。
斬れるか?
龍を斬る! ~ある男の独白~ 歩 @t-Arigatou
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