【ショートストーリー】空と教室と小さな世界

藍埜佑(あいのたすく)

【ショートストーリー】空と教室と小さな世界

 午後の1年C組の教室。

 薄いカーテンを揺らす春の風が、温かな日差しを運んできた。

 どことなく懐かしい木漏れ日は、教卓に並ぶ筆箱や教科書を金色に染めていく。

 生徒たちの声は絶え間なく、時折それは黒板にぶつかり、壁に跳ね返っていた。

 しかし、窓際の席に座るハルの周りだけ、不思議と声が届かない静けさがあった。

 ゴチャゴチャと巧妙に重なり合う他の声とは対照的に、彼の周りだけが何もない渦の中心のようだった。

「ハル、どうしたの? 何を考えているの?」

 隣の席から寄りかかってきて、リコが尋ねた。

 ハルは静かな瞳で彼女を見た後、窓の外を指差した。

「空を見ていたんだ。雲が流れていくのをね」

 リコはそのシンプルな返事に、ふと考え込む。

 いつもは窓の外よりも中の世界に興味を持つ彼女には、彼が見ている景色が新鮮に映った。

「それが、どうかしたの?」

 リコの声には本物の好奇心が込められていた。

「静かだからさ」

 ハルの声は涼しい影を落としていた。

 どこか遠くへ思いを馳せているかのようだった。

 授業が再開されると、教室は再び生徒たちの騒がしさに包まれた。

 しかし、ハルの言葉はリコの心に残り、彼女は何度も窓の外に目をやった。

 放課後の校庭。

 子供たちの笑い声。

 運動部の掛け声。

 それに混じる風のざわめき。

 ハルは今一度、高く澄んだ空に目をやる。

 リコも隣で彼の視線に合わせて空を見上げた。

「リコ、本当のことを言おう。僕が空を見るのはね、自分が小さな存在だと感じるからだよ」

 ハルの顔には穏やかな微笑が浮かぶ。

 リコは驚いた。

 いつもそつなくクールに振る舞うハルが、こんな素直な気持ちを明かすなんて。

「そんなこと、誰にだってあるよ。でも、なぜそれが大事なの?」

 リコの声は熱を帯びていた。

 ハルはリコを見つめ、確かな光を眼差しに宿して言った。

「小さな自分が見えると、大きな世界が見えるんだ。すべては繋がっている。だから、どんなにちっぽけでも、自分の存在はこの世界で意味をなすんだよ」

 リコはハルの言葉を聞いて、長い時間をかけて夕日の中で考えた。

 それから、彼女は何かを決心したように、ふっとたおやかな笑顔を見せた。

「そうなんだ。私も、それを感じられるようになりたいな」

 ハルの考えが、いつの間にかリコの考えにもなり、二人はよく一緒に空を見るようになった。

 時折、そんな二人を同級生が指をさしては、からかうこともあったが、ハルとリコは気にもせず、ただ静かに雲の流れを追いかけていた。

 ハルの「小さな自分が見える」という言葉は、リコの脳裏にいつもあって、それが二十歳になった今も、彼女が空を見上げる理由になっていた。


(了)

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【ショートストーリー】空と教室と小さな世界 藍埜佑(あいのたすく) @shirosagi_kurousagi

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