リスナーの私と彼と彼
ねこいかいち
私、如月結花はとあるネット配信者のリスナーであり、一人の男性に恋する二十代のOLだ。
配信は三日おきにされる。今日は、その配信日だ。夜の二十三時。その時が近づく。
『さて、今日も始めようか』
その言葉を合図に、配信が始まった。
名前は、フジタケさんという。彼の声はとても澄んだバリトンボイスで、特に女性に人気のネット配信者だ。私はというと、大好きな先輩の声に似ているからとお気に入りになった経緯を持つ。今ではお布施といい、彼に貢ぐこともあるくらいだ。
彼は珍しいことに特設サイトを設けており、そこで寄せられた悩みを自身の配信内でお悩み相談コーナーと称し、相談事にのってくれている。そんな彼に、私もお悩み相談をしていた。未だこの配信で読まれたことはないが、読まれる日を楽しみに今日も珈琲を片手に配信を聞く。
『今日の相談は、ゆいかさんから。相談ありがとう』
心臓がドキリと跳ねた。同名の相談者かもしれないが、名前を呼ばれて心が高鳴る。
『好きな人がいます。同じ職場の上司です。ですが、いざ告白をしようとすると緊張してしまい告白できずにいます。――うん、恋の悩みは辛いよね』
自分の送った相談が読まれたことが嬉しくなり、頬が緩んだ。まるで、大好きな先輩から名前を呼ばれたような気持ちになれてついにやけてしまう。
『今年のバレンタインに、その好きな上司へ本命チョコと共にプレゼントを贈ろうと思っています。そこで、フジタケさんに相談です。男性が貰って喜ぶプレゼントとは、何がありますか? そうだな……』
フジタケさんが内容を読み終わる。そう、それが、今の私の悩みだ。私の好きな人とは同じ職場の部署にいる、生真面目で仕事熱心、無愛想で失敗には厳しいことから、周りから陰では鬼とも呼ばれている藤見武人さんだ。教育係だった頃からの付き合いで、その時から私は密かに彼に恋心を抱いている。
その彼へ、今年こそ本命の手作りチョコレートを渡そうと思っている。それに加えて、チョコ以外に何か特別感のあるプレゼントを添えようと考えたのだ。
私はフジタケさんの出す意見を聞き逃すまいと、意識を集中させる。
『リスナーさんの中にはもう知っている人もいるかも知れないけど、今流行りのものがあってね。男女でお揃いで持つと恋が叶う、そんな謳い文句のアイテムがあるんだ。小さなお守りの付いたキーホルダーらしいけど、意外にもそれで恋が叶ったなんていう人が多いらしいよ。それを送るのはどうかな』
そんな流行りのアイテムがあるなんて知らなかった。すかさず側に置いてあったノートにメモを取り、スマートフォンを手に取った。先輩とお揃い……そう考えるだけで、胸がドキドキした。
『ストラップくらいの大きさなら、チョコレートと共に持ち手付きの袋に入れて手渡せばわからないと思う。ゆいかさんの恋が叶うことを、願っているよ』
そう締め括られ、次の相談者の話題に切り替わる。フジタケさんに背中を押され、やる気を出すと急いで手に取ったスマートフォンを操作し始め、先程のアイテムを検索しだした。
◆◆◆◆◆
そして、その日がやって来た。
職場だけでなく、外を歩く度にチョコレートの甘い空気が漂う日。私の部署内でも、お昼休憩の時間は女性社員が男性社員に義理チョコレートを渡していた。
「あの、藤見先輩っ」
目的の人物を見つけ、彼の元へ駆け寄る。
「どうした。如月」
メガネのブリッジを持ち上げながら、濡羽色の髪をワックスで整えた武人先輩は視線をパソコンから私に移す。流し目で見られただけで、ドキリと心臓が跳ねた。
「あの、これ! チョコレートです!」
「……そうか。置いておけ」
「はいっ!」
言われて、さっと武人先輩のデスクの端にお手製のチョコレートとクッキー、例のキーホルダーの入った包みを置いた。勿論、私のスマートフォンには片割れのお守りが付いている。
「用件はこれだけか?」
「はい! 失礼します!」
武人先輩は、仕事に厳しい人だ。喩えお昼休憩だからといっても、武人先輩はまだ仕事中。邪魔をしてはいけない。
「如月」
踵を返そうとした瞬間、武人先輩に呼び止められる。振り返ると、ずいと何か小さな持ち手付きの紙袋を手渡された。
「来月渡すのは面倒だ。海外では日本とは逆で男から渡すらしい。受け取れ」
そう言われ、私の手のひらに置かれたチョコレート。どう見ても高そうなチョコレートに視線を落とし、目を瞬かせる。
「……なんだ、要らなかったか?」
「い、いえっ! でも、私だけいいんですか……?」
まさか、その日の内にお返しを貰えるとは思ってもみなかった私は、武人先輩に視線を向ける。他の同僚も、先輩に義理チョコレートを渡しているのに……。
「毎年、菓子の詰め合わせでなく一人一人にクッキーを焼いてくるお前だからだよ」
確かに、私は男性社員全員にクッキーを焼いて手渡している。他の同僚はお菓子の詰め合わせで済ませているが、毎日お世話になっているのだからと義理だがクッキーを用意している。勿論、武人先輩に渡した小さな紙袋の中にも、それは入れてある。
「嬉しい……」
大好きな先輩から、自分だけ特別に貰えたことが嬉しくて、思わず満面の笑みを浮かべた。それを見て、武人先輩は小さく口角を上げる。
「用件が済んだら、さっさと行け」
「はい! ありがとうございます!」
元気よく返事をすると、私は満面の笑みを浮かべたまま自分のデスクへと戻っていった。
『さあ、今日も始めようか』
その日の夜も、変わらず配信を聞く。いつもと違うのは、配信のお供が珈琲だけでなく、先輩から貰ったチョコレートもセットという所だ。まだ袋から出してはいないが、配信を聴いている合間に開けて戴こうと思っている。
『今日はバレンタインだったけど、皆は好きな人に渡せたかい? 少し前までお悩み相談もバレンタインに関した内容が多かったし、皆も上手くいってるといいな』
相変わらず澄んだ優しい声に耳を傾けながら、珈琲に口をつける。私も今日はあのラッキーアイテムを渡せたし、思わぬ先輩からのチョコレートも相まって上機嫌だ。
先輩は、一体どんなチョコレートをくれたのだろうか?
私は配信を聴きながらドキドキしつつ、袋から中身を取り出す。その時、ふと何か小さなものが手に触れた。取り出すと、目を見開いた。
『そうそう。俺も、リスナーさんに薦めたあのおまじないアイテム。それを職場の部下に渡したよ。プライベート用の連絡先を書いたメモと一緒にね。勿論皆の恋も応援してるけど、俺の恋も叶うといいな……なんて、そんなことを思ったりしてるよ。じゃあ、早速お悩み相談のコーナーにいこうか』
フジタケさんの声が、固まる私の頭に残る。
袋から出てきたのは、私が渡したあのおまじないアイテムと同じキーホルダーと、プライベート用と記載され、連絡先が書かれたメモが一枚入っていた。
リスナーの私と彼と彼 ねこいかいち @108_nekoika1
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます