海流の贈り物を漁師は受け取らない

区隅 憲(クズミケン)

海流の贈り物を漁師は受け取らない

 あるところに、漁師たちが暮らす小さな島がありました。漁師たちは日々海へ漁に出かけて、魚を取ることで生計を立てています。


 ある日、一人の漁師が東の浜辺を歩いていると、ふと奇妙なことに気づきました。

なんと、金色の魚たちが浜辺で大量に打ち上がっているのです。

魚たちは陸でピチピチと勢いよく跳ね回っています。


「なんだこりゃぁ! こんな魚見たことねぇ!」


 素っ頓狂な声をあげた漁師は、早速他の漁師たちを呼びに行きます。

みんなが集合すると、漁師たちはこぞって金色の魚を拾い集め、焼いて食べてみました。


 すると舌がとろけるほど美味であり、脂が乗っててお腹もあっという間に満腹になりました。


「こんな美味いもん食ったことねぇ! まるで神様からの贈り物だ!」


 漁師たちは歓喜の声で溢れかえります。そして誰もが海に願ったのです。

またこの魚を食べられる日が来ますようにと。


 そしてその願いは叶えられました。

次の日も、また次の日も、金色の魚たちが浜辺に打ち上がってきます。

来る日も来る日も、ずっとずっとその不思議な出来事が続きました。

毎日のように金色の美味しい魚が食べられるので、やがて漁師たちはみんな、海へ漁に出ることがなくなったのでした。



*****



 数ヶ月して後、漁師たちはいつものように東の浜辺で魚拾いをします。

陸に上がった魚を拾うだけなので、素人の漁師だろうが玄人の漁師だろうが、誰でも魚を手に入れることができます。

みんなみんな、幸せそうな顔をして金色の魚を焼いて食べていました。


 しかし、みんなが金色の魚に舌鼓を打っていると、海の向こうから一隻の舟がやってきます。その舟はボロボロであり、舟の進路だって蛇行しております。それはいかにも、素人の漁師が操縦しているものだと一目でわかりました。


「やあ! あのバカな漁師がまた漁になんて出てるぞ!」


 漁師たちは舟を指差して笑います。

このバカと言われた漁師は、毎日のように海へ舟を出しては、漁を続けていたのです。

やがて舟が岸にまで上がります。


「おいお前さん! 今日はどれくらい魚が捕れたんだね?」


 漁師の一人が笑いを堪えながら尋ねます。


「……一匹ですよ」


 バカな漁師が、魚籠びくの中を見せます。

するとそこにはブサイクで小さな黒い魚が泳いでいました。

漁師たちはみんな知っています。その黒い魚が、いかに不味くて腹を壊してしまうゲテモノであるかということを。


「ガハハ! たった一匹しか捕れないなんて、やっぱりお前さんは下手クソだな! 儂らはこんなに魚を捕れたってのに。ほら、儂は今日20匹も捕れたんだぞ」


 一人の漁師が、バカな漁師に金色の魚を見せます。

浜辺で拾った魚たちが、魚籠の中で元気に泳いでいます。

バカな漁師は何も言い返しません。

その様子を見て、後ろにいた漁師たちもクスクスと潜み笑いをします。


「そもそも、お前さんはなんで漁になんて出ていくんだね? 魚は毎日のように大量に陸に上がってきて、拾えば美味しいご馳走にありつけるのに。漁なんて大変で割に合わない仕事、何でわざわざやってるんだね?」


「……俺はただ、漁師としての腕を磨きたいだけですよ」


 その言葉を聞いて、漁師たちは一斉に笑いました。

思わず食べていた魚を吹きだしてしまうほどの勢いです。


「〝漁師としての腕を磨く〟? ガハハ! お前さんはやっぱりバカなんじゃないか? 今さら漁の技術なんて磨いても意味ないよ! この浜辺の金色の魚が見えないのか? ほら、お前さんも食ってみろよ」


 一人の漁師がバカな漁師に焼き魚を差し出します。

けれどバカな漁師は首を横に振って受け取りません。


「……俺は自分で捕まえた魚で生計を立てたいんです。その魚は要りません」


「ガハハ! そんな黒い魚しか捕れないくせに生計を立てるだって? ちょっとお前さんの言ってることは現実的とは思えないよ。くだらない意地張ってないで、儂らと一緒に魚拾いをすればいいのに」


 バカな漁師は、何も言いません。

そしてそのまま目の前の漁師を通りすぎると、自分の家へと帰っていきました。

漁師たちはその背中を、やはり笑いを堪えながら見送ります。


「全く、この島にもおかしな奴がいるもんだ。こんなに楽して魚を手に入れられるのに、今さら漁なんてものに拘るなんて。世の中の変化に逆らうバカってのは、どこにでもいるもんだな」


 バカな漁師の姿が見えなくなると、漁師たちは我慢していた笑いを一斉に吹きだしました。



******



 数ヶ月が経ち、島民たちは相変わらず金色の魚を拾って食べていました。

しかし突然、事件は起こります。

ある日を境に、金色の魚が東の浜辺で打ち上がらなくなったのです。


「おいおい、どういうことだ? 今日は一匹も金色の魚が見当たらないぞ!?」


 東の浜辺で、島民たちは騒ぎ立てます。みんなの顔に不安の色が過ります。


「おい、魚を拾えなくなったらどうすればいいんだ? 儂たち、食うものがなくなっちまうぞ!」


「もしかして、また漁なんて面倒なものに出なきゃならないのか?」


「冗談じゃない! 儂はもう歳なんだ! 今さら漁なんてキツい仕事できるか!」


 島民たちがたむろして途方に暮れていると、別の場所にいた島民が一人走ってやってきました。


「おーいみんなぁ! 西の海岸に赤い魚が打ち上がってるぞぉ!」


 その言葉に、島民たちは一斉に西の海岸に向かいます。

見るとそこには、赤い魚の群れが浜辺に打ち上がっていました。

けれど、それほど量は多くありません。

せいぜい島民一人につき5匹ぐらい収穫できる量でした。


「よ、よかったぁ……。ちゃんと魚が陸に上がっててくれて」


 島民たちは安堵の息を漏らします。けれどいまいち嬉しい気持ちになれません。

赤い魚は、そこそこ味もよくてサイズもそれなりにあるのですが、金色の魚に比べたら対して美味しくもないのです。どこにでもいる凡庸な魚でした。

島民たちは、仕方がない気持ちで魚を焼いて食べます。


 するとそこへ、一隻の舟が海からやってきます。

その舟は小さいサイズながらも、ちゃんと綺麗に掃除され整備もしっかりされていました。

舟が西の浜辺に到着します。

するとそこから、あのバカな漁師が現れたのでした。


「おいお前さん! 今日は何匹捕れたんだね?」


「……赤い魚を3匹ですよ」


 それを聞いた島民は、ほっとしたようなヘラヘラした笑いを浮かべます。


「な、何だ。たったの3匹か。しばらく見ないから、海で事故にでもあったのかと思ったよ」


 島民は赤い魚が入った魚籠をバカな漁師に見せます。


「ほら、今日儂は赤い魚を5匹捕れたんだよ。お前さんよりも2匹多いな。ガハハ。金色の魚は捕れなかったけど、いつものように浜辺で魚拾いをしてな」


「……やめたほうがいいですよそれ」


 バカな漁師はぴしゃりと言います。


「えっ?」


「やめたほうがいいですよ、魚拾いなんて。俺は遠出して別の島にも行ってたんですけど、その島でも魚が浜辺に打ち上がる現象が起きているらしいんです。それから島の人たちに詳しく聞いてみると、それは今、この島付近に発生している海流が原因で、魚たちが陸まで押し流されているのだそうです」


 バカな漁師が周囲を見渡しながら続けます。


「ですが、その島の人たちが調査した結果、まもなくその海流の動きはなくなってしまうだろうとのことです。だから魚たちが島の浜辺に打ち上がる現象ももうなくなるだろうと、そう教えてもらいました」


 島民たちが一斉に黙りこくります。

誰もが顔を青ざめ、魚がいなくなる瞬間に恐怖を覚えます。


「う、嘘だそんなこと! デタラメをいうな!」


 けれど目の前の島民が食ってかかります。

バカな漁師の胸倉を掴み、唾を飛ばして怒鳴り散らします。


「儂らは今まで浜辺で魚拾いをして生計を立ててきたんだ! それを今さら変えられるわけないだろ! 魚たちは絶対にいなくなったりなんかしない! 儂らはずっとこの島で、一生魚拾いをして暮らし続けるんだ!」


「……そう思いたいなら、勝手にそう思えばいいですよ」


 バカな漁師は手を振り払い、自分の家へと帰っていきます。

島民たちはその背中を見送ります。

けれど誰一人として、バカな漁師を笑える者はいませんでした。



*****


 

 そして数ヶ月後、島は大騒ぎになっていました。

いつも西の浜辺に打ち上げられていた赤い魚が、全く打ち上がらなくなったのです。

代わりにあのブサイクで不味い黒い魚が、たった数匹打ち上がるだけになったのでした。


「あの魚は儂のだ! 儂が焼いて食うんだ!!」


「いや儂が食うんだ! 勝手に儂の魚を捕るんじゃねぇ!」


 島民たちは先を争って黒い魚を取り合いました。

誰かが滑り落とした黒い魚を拾い上げ、誰かに殴りかかってまで黒い魚を奪い合います。

島民たちは数週間続いた空腹により、誰もが殺気立っていたのです。


 そこに一隻の舟がやってきました。

その舟は大きく立派であり、誰が見ても腕の立つ漁師が乗っているのだろうと推測できました。

島民たちは喧嘩をやめ、慌てて全員がその舟に注目します。

するとそこからは、あのバカな漁師が現れたのでした。


「お、おい! お前さん今日は何匹捕れたんだね!?」


「……金色の魚を40匹ですよ」


「えっ!? 40匹!?」


 その言葉に、島民たちは驚愕します。

金色の魚といえば、あの脂が乗ってて、この世のものとは思えないほど美味な魚でした。

思い出すだけで、口の中が涎まみれになります。

バカな漁師に問いかけた島民は、縋りつくように声を震わせます。


「おいお前さん……。そんなに魚が捕れたなら儂たちにも分けておくれよ。儂らはもう腹が減って死にそうなんだ。なぁ頼む。お前さんも人の子なら、儂らを救うと思って金色の魚を恵んでおくれ」


「……どうして俺がそんなことしないといけないんですか? あなたたちに分けてやる義理なんてありません」


 けれどバカな漁師は冷たく言い放ちます。

その言葉を聞いた途端、漁師たちの顔色は真っ青に染まりました。

腹の奥から、ぐぅ~っと間の抜けた音が響きます。

バカな漁師はその情けない顔をした島民たちに軽蔑の眼差しを送り、そして言葉を続けました。


「この金色の魚は、俺が毎日漁に行って、自分の力で勝ち取ったものですよ。漁の技術を身に着けるのだってタダじゃない。この魚を手に入れるために、俺は莫大な時間とお金を注ぎ込んだんです。俺はずっと立派な漁師になりたくて、今まで血のにじむような努力をしてきました。


 それに比べて何ですか? あなたたちはただ魚を拾っていただけじゃないですか。いつ終わるかもわからない海流の贈り物に頼りきって、漁師として何の技術も磨いてこなかった。そんな怠け者のあなたたちに、魚を食べる資格なんてあるはずもありません」


 そう言ってのけて、漁師はまた大海原へと舟を漕いでいきました。

あっという間に舟は小さくなり、漁師の姿も見えなくなりました。


 けれど誰も彼の後を追うことができません。

島民たちは、長い間漁師の仕事を怠けていたせいで、舟を動かす体力すらなくなっていたのです。

あの金色の魚はもう、二度と食べられなくなりました。



*****



 その後、島民たちは一斉に海へ舟を漕ぎだしました。

魚を捕るために、仕方なく魚拾いから漁師に戻ることを決めたのです。

けれどいつも捕れるのは、たった数匹の小さな黒い魚ばかり。

誰もがその不味さを我慢しながら、糊口をしのぐ生活を送りました。


 それでもバカな漁師たちは、金色の魚の味が忘れられません。

いつ来るかもわからない海流の贈り物を、いつまでもずっと待ち続けるのでした。

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