エリザベス・ケアード・ロナ=ディアート〈後〉
葬儀が済んでから数日後、エリザベスは戴冠式の前日に先代の王妃に呼ばれてお茶をした。
「そうだわ、エリザベス」
王妃からのねぎらいに答えつつなごやかに茶会を進めていたなか、王妃マーガレットは思い出したように口を開いた。
「侍従長から聞きました。レニから好きな装飾品の種類を問われて困っているそうですね」
どきっとした。お叱りを受けるかもしれない。
「申し訳ありません、マーガレット様。…… 恥ずかしながら、どんなものがふさわしいのかわかりませんので、どうか教えていただけませんでしょうか」
マーガレットは少し困ったように微笑んだ。
「好きなものを選んでいいのよ、エリザベス。あなたが何を選んでもレニは気にしませんよ」
王妃マーガレットは優しいひとだ。苛烈だった先代とは違う。
そういう彼女さえも教えてくれないということは、選定の基準がそれだけ曖昧か難しいか、答えるまでもないほど初歩的かのどれかだ。
正直まったくわからない。そもそも装飾品も宝石も詳しくない。興味がない。全部同じに見える。人がつけているのを見ても、首につけていようが手につけていようが、はっきり言って邪魔そうにすら見える。せいぜい式典で必要最小限でつける程度か、最近では人と会う時に控えめな耳飾りをつけたのが最後だ。
………… 難題すぎる。
エリザベスは内心で頭を抱えた。
だってレニは優しいから。クライヴの弟なだけあって、あの王妃の息子なだけあって、レニはいつだって優しい。それはべつに、エリザベスにだけではない。
エリザベスは引き出しから、木彫りの獅子を取り出した。初めは飾っていたが、なんとなく常に視界に入るのに疲れて、しまっておくことにした。ひっくり返して、底面を見る。言葉の真意は、きっと永遠にわからない。
「あ…………!」
窓際に寄って考え事をしながら人形を見つめていたせいか、人形が中庭へと落ちていってしまった。
雪の中へ落ちていってしまっては、見つかるかどうかわからない。でも、このまま放置しては上からさらに雪が積もってそれこそ永遠に見つからなくなる。怖くなった。幸い、まだ使用人も動き出さない、早朝というにも早い時間だ。急いで拾えば誰にも見つからないし怒られない。エリザベスは急いで部屋を出、階段を駆け下りた。渡り廊下を突っ切って中庭まで走る。そんなに遠くには落ちなかったはずだ。服や靴に雪が入ろうが、そんなのはどうでもよかった。
―― 先代から、継承者としての自覚がないといつも叱られていた。まったくその通りだと思う。レニとの婚礼も近いのに、この期に及んであんないびつな木の人形を、血眼になって探している。
「…… リズ?」
背後から呼ばれて一瞬どきりとするが、振り返って見たその姿にほっとする。
「どうした? なにか落としたのか」
「う、ううん、なんでもない。もういいの」
とはいえ、真面目な彼のことだ。自身の妻となる人物が、まして王になる人間が雪の中に入っていくなんて配偶として諫めざるをえない。そうしなければいけない。彼がかわいそうだ。
「何を落としたんだ」
「い、いいの。もういいから」
エリザベスが止めるのも待たずにレニは雪の中にずぶずぶと入っていってしまう。
「………… 獅子の、人形」
「露台から落としたのか」
「ううん、窓」
諦めて申告すると、レニはエリザベスの部屋の位置を確認しながら探しはじめた。もうすっかり服は濡れてしまっている。
レニは優しい。真面目だ。本当に真面目に、自分なんかに付き合ってくれている。
「レニ、私のこと好き?」
ふと疑問に思って尋ねた瞬間、雪の上を探していたレニの腕が一気に肩あたりまでずぼりと沈んだ。
「…………………… 好きだよ」
そうなのか。嫌われてなくてよかった。
足の感覚がなくなってきた。軽いしもやけくらいで済めばまだいいが、二人して風邪でもひいたら目も当てられない。
「もういいよ、レニ、冷たいでしょう」
「いや、でも」
「風邪ひくから。おねがい、もうやめて」
懇願するように言えばレニはゆっくりと立ち上がり雪の中から出た。それからエリザベスに手を貸して、彼女が雪の中から抜け出るのを手伝った。渡り廊下に戻ると、エリザベスは名残惜しそうに中庭を振り返った。
「…… リズ」
隣でレニが気づかわしげに言ってくるのに、エリザベスはいいの、と答えた。
「………… あのね、びっくりしたの。あの人から見た私の存在って、根本的に苦しみでしかないと思ってたから。あんなもの作ってるなんて、ましてあんな言葉彫ってるなんて夢にも思わなかった。…… 困ってるの、正直」
エリザベスはごめんね、と謝罪した。
「よりによってあなたにする話じゃなかったね」
レニはエリザベスの手をつかんだまま、その手に力を込めた。
「話してくれ。君が嫌じゃないなら、俺が聞きたい」
「…… ありがと。優しいね」
手が離れる。
服が冷たい。雪はあらかた払ったが、一応着替えた方がよさそうだ。
「あとで俺の部屋に来ないか。侍従長に言って装飾品の見本絵をいくつか取り寄せたんだ。気に入るのが見つかるかもしれない」
「うん。…… 楽しみ」
朝食の後、空いた時間にレニの部屋に向かった。部屋にはレニのほかに侍従がいてお茶と菓子を並べていた。
お茶を少し飲んでから、エリザベスは見本絵をいくつか見せてもらった。…… どうしよう、全然違いがわからない。わかるのは宝石の色の違いくらいで、それもたいして興味が湧かないのでどれでもいいなとすら思ってしまう。レニがせっかく用意してくれたのだからと思うが、目が滑って仕方ない。
申し訳なさに彼の方をちらりと見る。兄弟なだけあって、クライヴによく似ている。ただ、彼の方が兄よりも少しだけ服の装飾が多い。けして地味ではないのに、不思議と派手さや下品さを感じない。以前にできるだけ自分で選ぶようにしていると聞いたから、多分そういうのが好きなんだろう。年頃の令嬢が見たらうっとり見惚れてしまいそうなほどだ。それなのに、自分ときたら。
「…… 婚礼衣装が似合わなかったらごめんね」
数か月に一度開催される舞踏会ですら華美なものを避けていたが、婚礼衣装となるとそうはいかない。
「別に心配してない」
今更及んだ思考を口に出せば、あっさりとした返事が返ってきた。そりゃそうか。衣装を仕立てる者たちだって一流の者だろうし、うまいこと誤魔化してくれるだろう。多分。
そう自分を納得させて、お茶を飲みつつ窓の方に視線をやった。この部屋の斜め上がエリザベスの部屋なので、間取りはだいたい似たような感じだ。窓の横に小さな露台があって、その前にカーテンがかけられている。
「………… ん?」
ふと、エリザベスは首を傾げた。カーテンの下の方から何かが見えている。
「どうした?」
「何か落ちてない?」
「どこに」
「ほら、あそこ」
カーテンの下、と指さしながらエリザベスはその場所まで歩いていってしゃがみこんだ。同じように後ろからついてきたレニがカーテンを捲り上げる。エリザベスたちは、言葉を失った。
まさかと思いながらエリザベスは、床にころんと転がるそれを拾い上げる。それは、さっきまで必死になって探していた木彫りの獅子そのものだった。
「…… 何で……?」
なかば放心状態でつぶやくと、レニが「思うに」と口を開く。
「斜め上がリズの部屋だろ。落とした時に、なんかこう、うまく…… と言っていいのか…… なんか、はずみで……」
レニ自身も正直よくわかっていないのだろう。あきらかに困惑気味といった様子で説明しているのがおかしくて、エリザベスはついに噴き出した。つられて、レニも笑った。
婚礼の日の朝、衣装を身にまとったレニは、小さな箱を片手にやってきた。
「耳飾りにした。派手すぎない方がいいと思って、石は真珠で……」
レニは箱を開けながら言った。
「それにリズは綺麗だから、余計な装飾は必要ないと――」
突然彼の口から飛び出した言葉に、エリザベスは思わずレニの方を見た。レニも気がついたのか、はっとした様子で口をつぐんだ。それから、頬を赤らめて言う。
「いや、違くて…… いやっ、違わないのか? と、とにかく変な意味じゃなくて、そう、これくらいひかえめな方が、長く使える。歳を重ねてからも」
「あ、うん、そうだよね」
「普段つけても違和感がないし」
「たしかにね」
馬鹿だ。
急いで言葉を重ねるレニに相槌を打ちながらエリザベスは内心悪態を吐いた。
嫌いじゃないと言われて、優しくされて簡単に心が動いてしまう自分がいやだ。
「…… つけてみてもいい?」
「ああ。もちろん」
試しにつけてみようと申し出るとすかさずレニが手を貸してくれた。つけ終えると、すぐに鏡石を手渡してくる。
彼が言った通り、真珠は大きすぎず小さすぎず、装飾は最小限にとどめて素材を活かしている。けれど地味ではなく、当然下品でもない。歳を重ねても違和感なく使えるだろう。
「…… これが似合うようにがんばらないと」
「今も似合ってる」
「ありがと」
「…… 社交辞令じゃない」
むっとしたような顔にエリザベスは笑みをこぼしつつ再びありがと、と返した。鏡石を置いて、幼馴染みを振り返る。
「婚礼の前に会えてよかった。王配になるって言ってくれて、ありがとう。嬉しかった。…… それだけ、言いたかったから」
「好きでやってるんだ」
「あの獅子も」
「別に…… 見つけたから持ってきただけだ」
素っ気なく言うとエリザベスはそっか、と言って笑った。
「…… まだ、困ってるのか」
「え?」
「困ってるって言っただろ、前に」
獅子の人形を雪の中に落とした時に話したことを指して言っている。
「…… うん。でも、そういうひとだったから」
「そうか」
「これからも困ると思うん、だけど…… あの」
エリザベスは歯切れ悪く言いよどみながら、彼女はちらとレニを見た。
「レニ、それでもいい?」
「…………」
問いかける声は、想像に反して意志が強く。
「―― いいよ」
何か言いかけたエリザベスを遮るようにレニは続ける。
「それより、その呼び方やめないか」
「…… レオナルドよりそっちの方が呼びやすくない?」
「小さい女の子みたいで、なんか、ちょっと……」
「嫌ならやめるけど」
そこで、こつこつと部屋の扉が叩かれた。侍従がやってきて、ふたりはそろって部屋を出た。
肩を並べて歩きながら、
「好きだよ」
と、エリザベスにしか聞こえないような声が聞こえてくる。エリザベスは一瞬驚いたように目を見開き、
「あ、呼び方?」
と尋ねた。
花婿は、ばか、と言って笑った。
花嫁の獅子 水越ユタカ @nokonoko033
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