くだらない世界をぶっ壊せ

水沢 縁 (みずさわ えにし)

くだらない世界をぶっ壊せ

「こうして度重なる失敗と当時最先端の遺伝子技術が、ついに青いバラを作り上げました。自然界に存在しなかった青いバラの開発が成功してから、その花言葉は『不可能』や『存在しない』といった意味から『奇跡』や『夢叶う』といった意味に変わっていったのです」


 キーン、コーン――


 チャイムが鳴って、生物の授業が終わる。


「皆さん、この後は特別講演会ですからね。荷物を置いたら体育館に集合してください」


 生物の教師が呼びかけるのを背中に聞きながら、僕たちは体育館へ向かった。 



――満開の桜の花から、その花弁が旅立っていく季節。ウチの高校では、四月の終わりに『特別講演会』が開催される。毎年どこかしらのお偉いさんを呼んで話を聞く、ただそれだけの行事。みんな授業が無くなってラッキー程度の認識でしかない。


 しかし高校二年生の僕にとって、今年の特別公演会は本当の意味で特別なものとなった。僕は、今でもあの時の情景を思い浮かべることが出来る。


……

………


「では紹介します。昨年、ベルン国際芸術展で最優秀賞を受賞されました、陶芸家の五木いつき源水げんすいさんです。みなさん、拍手でお迎えしましょう」


 今から二十年ほど前。全世界の平和的な交流を目的に、国際的な芸術コンテストが開催されるようになった。一般人も参加可能でありながら、最高賞の受賞者には莫大な富と名誉が贈られる祭典、ベルン国際芸術展。その世界最高賞を、九十歳という過去最高齢で日本人が受賞した。昨年の一大ニュースになったその張本人が、何故かウチの高校に公演に来てくれたのだ。


 体育館に設置された巨大なスクリーンには、五木氏が手掛けた作品の写真や映像が映し出されており、美術教師が嬉々としてその概要を説明している。


 どうも最高賞を受賞したその作品は、精密な木材加工技術と陶芸の技術を組み合わせたものらしい。いずれにせよ、僕はそこまで興味が湧かなかった。


 作品の紹介が終わり、壇上の五木氏が話し始める。今年で九十一歳になるとは思えないほど元気な話し方だ。


「先生、ありがとう。作品に関しては各々が感じるものだから、ここでは話しません。今日ここに来たのは、若い人に伝えておきたいことがあったからです。ほら、私はもうお爺ちゃんだから、いつおかしくないからね」


 くすくすと笑い声が上がる。年寄りは死を持ちネタにするのをやめて欲しいと思う。反射的に笑ってしまうが、正直シャレになっていない。


 一呼吸置いて、五木氏が続ける。


「早速ですが、みなさん。今、幸せですか?」


 ……一瞬にして凍り付く空気。誰も、何も答えない。


「結構」


 結構ではない。一体この空気をどうしてくれるんだとでも言わんばかりに、教師陣の顔が引きつっている。一歩間違えば変な勧誘の常套句だ。しかし、五木氏は気にせず話を続けた。


「ここにいるみなさんは、これから何度も人生の岐路に立つことでしょう。大学進学、就職、それから結婚。挙げればキリがありません。特に三年生の方たちは、今まさに進路に悩んでいるという方も多いのではないでしょうか」


 良かった。真面目な話みたいだ。体育館に居る全員が安堵したかのように雰囲気が和らぐ。


「そこで今日はみなさんに、人生で後悔を方法を教えようと思います」


 いや、何でだよ。僕は斜に構えて心の中でツッコミを入れる。


「みなさんはこれから人生で悩み、迷った時に、自分のやりたいことをやってはいけません。大学や会社は、が良い所に入るべきです。また、チャンスを掴みに行ってもいけません。第一に考えるべきは、現状維持です」


 ――先程とはまた違った静けさが、体育館を包む。


「今話した行いを忠実に守った結果が、当時五十歳だった私です。……少し私の話をさせてください」


 そうして、壇上に立つ老人はぽつぽつと話し始めた。


「私の家は大工の家系でした。大学までは自由に通わせてもらえましたが、卒業後は大工になることが強制されていたのです。当時、私は陶芸を仕事にしたいと思っていましたが、そんなものはお金にならないと大反対され、渋々大工になりました。それでも、父の下で修業をした後は、祖父が作った建築会社を継いで、毎日懸命に働いたのです」


「しかし、二十二歳から五十歳まで働いて、私は一度も仕事を楽しいと思ったことがありませんでした。ただ出来る作業だったからそれをやった。それだけです。虚しい日々でした」


 今まで九十代の老人とは思えないほどハキハキと話していた五木氏は、そこで初めて声のトーンを落とした。


「五十歳になった時、心身に限界がきました。毎日自分がやりたくもない、価値を感じていないことを無理に続けた結果、私は鬱病になってしまったのです」


「私は治療のために休職することにしました。そうして気分転換にと始めた陶芸に、私は救われたのです。土をこねて形を作る。単純そうに見えて奥深いその作業に、私の心は踊りました。陶芸を始めてからの日々は、まるで若い頃に戻ったかのようで……。私は年甲斐にもなく夢中になり、そしていつの間にか、鬱病は治っていたのです」


 ――静寂の雰囲気がまた変わったことに気づく。僕たちは今、間違いなくこの老人の話に聞き入っている。


「私は思いました。今までの日々は何だったのかと。自分のやりたいことをやった結果、人生は輝いたのです。こんなこと、誰にも教えてもらえなかった」


 老人は、何かを懐かしむように視線を上に向けている。


「思えば、私の人生はいつも保留と後悔の連続でした。丁度みなさんくらいの年齢の時には、部活動で一緒だった先輩のことが好きでした。……その先輩が卒業する時、私は想いを伝えられなかった――。きっと私では無理だと。否定されることが怖かったのです」


「大工になってからは、友人と連絡を取ることも辞めてしましました。毎日仕事で疲れているからと。休日は寝ていたいからと。そうして私は孤独になりました」


「そんな私だったから、人も寄り付きませんでした。親から受け継いだ大工の才能があったので仕事には困りませんでしたが、もちろん結婚もできませんでした」


「幸福なんて、当時の私には絵に描いた餅だったのです。全てを諦めて、きっとこのまま何も成さずに死んでいくんだと思った時、やっと吹っ切れたのです。やりたいことをやろうと」


 声に力強さが戻る。


「鬱病完治後、私は自分の会社には戻らず、陶芸家になると言って実家を飛び出しました。可笑しいですよね?大の大人、それも五十歳のおじさんがですよ?当然親や親族には反対されましたが、私は無視して、初めて自分で決めた一歩を踏み出したのです」


「そこからは、陶芸家として生きてきました。後は、最近報道されている通りです。楽な道のりではありませんでしたし、辛いことも語りきれないほどありました。しかし、好きなことをする喜びが、困難に打ち勝つ力を与えてくれたのです」


「もしみなさんが五十歳の時の私のようになりたくなければ、自分の心に従って生きてください。好きなこと、やりたいことを望む気持ちに蓋をしないでください。これが今日、私がみなさんに伝えたかったことです。ここまでで、何か質問はありますか?」


 不意に話を振られ、みんな夢から覚めたかのような雰囲気になった。ざわざわと話し声が上がる中、僕の二列ほど前に座っていた女の子がおずおずと手を挙げる。


 僕はドキッとした。同じクラスの秋月さんだ。引っ込み思案でおとなしい性格の彼女が、この場で手を挙げたのは意外だった。


「その……、私も将来好きなことを仕事にしたいと思っています。でも中々その道に進む勇気が出ません。どうやったら、一歩踏み出すことが出来るのでしょうか……?」


 頬を染めながら、一生懸命に秋月さんが話す。マイク越しでも小さな声だ。しかし、壇上の老人はうんうんと頷いている。どうやら、耳にデバイスが付いているようだ。


「お嬢さん、ありがとう。では、私が思う勇気の定義について話しましょう。私は、勇気とは『何を捨てるか選ぶこと』だと思っています。何かを選ぶということは、一方で何かを捨てるということです」


「そして、人生の岐路に立った時、天秤に乗るのは大抵『恐怖』か『恥』です。世間の常識を外れることが怖い。失敗したら恥ずかしい。……そういう気持ちを捨てられない。だからみんなやりたいことや、好きなことをあきらめて、世間が決めた現実的な価値観に従ってしまうのです」


 秋月さんは、まるで何かをかみしめるかのように頷いている。


「しかし今、あなたは怖いという気持ちを捨てて、手を挙げてくれました。恥ずかしいという気持ちを捨てて、質問をしてくれました。それは、紛れもない勇気です。あなたは既に、一歩踏み出しているのですよ」


 そう語りかける老人の目は優しい。まるで、長い年月を共に生きた、生涯の友に話しかけているかのように。


「その勇気を、大事にしてください。そうすれば、あなたはどこへだって行けるし、なりたい自分にだってなれるでしょう。……あとは、これから一歩ずつ進んでいくだけです」


「はい……!ありがとう、……ございます」


 前髪を払ってお辞儀をする秋月さんの目から、一筋の涙が流れているのが僕には見えた。その涙は、僕の心を落ち着かなくさせる。


「こちらこそ、質問をありがとう。さて、私は人間がそう簡単には変わらないことを知っています。ですので、最後の一押しをしましょう」


 老人は、目をつむって語り始めた。


「……終わりを思い描くのです。私たちは、いつか必ず死にます」


 ――何度目かの静寂が訪れる。


「死んだらどうなるのでしょう?死後の世界はあるのでしょうか?もし死後の世界があったとしても、もうこの世界に何かを残すことは出来ません」


「仮に別の命に生まれ変われたとして、今まで生きてきた私たちの人生は、やはりそこにはありません」


「……永久に続くリセットです。私たちは、一体いつまでそれを繰り返せばいいのでしょう?」


 その問いは、根源的な恐怖を思い起こさせる。


「……死後の世界があろうがなかろうが、私たちは最終的に消え去る運命なのです。生まれながらにして消失を定められ、最後には何も残らない。だとしたら、今の人生に一体何の意味があると言うのでしょうか?」


「……最近の言葉で言うと、人生は”クソゲー”です。この世界は、本当にくだらない」


 老人が目を開く。しかし、そこに絶望の色はない。


「だからこそ、好きに生きてやりましょう。消えゆく運命の中で、せめてこの瞬間だけは、笑って過ごしてやりましょう。例え、この先には永遠の暗闇しかなかったとしても。例え、それが花火のように、たったひと時の輝きであったとしても……」


「……それが、このくだらない世界を壊すのです!たった一度しかない人生の、夢のような時間の中で、幸福になることを恐れないでください。好きに生きるということは、決して恥ずかしいことではありません。ほんの少しの勇気を持てば、今この瞬間からだって、人生は変えられるのです!」

 

 今、この空間にいるすべての息遣いが揃っているかのように感じる。五木さんが紡ぐ言葉に、全身を包まれたかのようだった。


「当然ですが、必ずしも私の言葉に従う必要はありません。みなさんが、今この瞬間に納得できているのであれば、どうかそのままのご自分を大事にしてください」


「しかし、もしも人生で道に迷うことがあった時、どうか今日のことを思い出して欲しい。せめてこの老骨の言葉が、あなたの人生の暗闇を照らす、小さな灯り程度になってくれることを、私は心から願っています」


 ――魂の言葉だった。お辞儀をした五木さんに、みんなが割れんばかりの拍手をしている。僕も例外ではない。全身全霊の言葉が、斜に構えた僕の心を正したのだ。


 五木さんはさらに何人かの質問に嬉しそうに答えた後、『葬式には来なくていいからね』と言い残して、ピースをしながら会場を後にした。


 ……せっかくの余韻が台無しだ。


でも、好きなことをして生きろと言い、自らもそのように生きる生き様は、僕にはとても魅力的に見えた。


 ――こうして、僕たちはバトンを差し出されたのだ。


 このバトンを受け取るのか、それとも手放してしまうのか。今は分からない。


 ただ、後悔のないように生きたい。教室への帰り道、桜吹雪が舞う廊下を行きながら、僕は想いを巡らせる。今動かなければ後悔するであろうこと。それには、一つだけ心当たりがあった――。


……

………


 あれから三カ月。春は過ぎ去り、暑い夏の到来を肌で感じる。


 そして今、僕は秋月さんと一緒に五木さんの作品の前にいた。初デートが美術館というのは、中々乙なものだ。


 作品が展示されているスペースはかなり薄暗くなっており、たった一つのスポットライトだけが、雲間からこぼれる一筋の光のように作品を照らしている。


 その光を受けた展示台に置いてあるのは、木を削り出して作られた”卵の殻”だ。恐ろしく薄く削りだされたその殻は、木目が無ければ本物の卵と見間違うほど精巧で、これは木なのだと認識が追い付いた瞬間、思わず背筋が震えた。


 そしてその卵の殻は、上半分が内側から強い力で破られたかのように割れており、木製の殻の破片が、展示台の上に散乱している。


 卵の中からは、まるで今この瞬間、殻を破ってこの世界に生まれたかのように、陶磁器で作られた花がその花弁を押し広げようとしていた。


 その花弁の深い青は瑠璃色に近く、その瑠璃色の中に輝く斑紋は、まるでそこに天の星々をばらまいたかのように煌めいている。有田焼と説明が付いているが、これが陶芸で作られたものだとは信じられなかった。


 ――そして、この花を僕は知っている。隣でこの作品を見つめる彼女も知っているだろう。


 それは、人が自然の流れに逆らって描いた夢。不可能を可能にした夢の結晶。世界の全てを見通すような透明感と、母なるこの星の深い青を湛えたかのような、一輪の”青いバラ”だった。


……この花の花言葉は、確か授業で――


「綺麗……」


 秋月さんがつぶやく声に思考が止まる。


「うん……」


 僕はそれしか答えられない。


「あっ、ねぇ見て……!」


 彼女が指さした作品の題名を見て、僕たちは顔を見合わせ、くすりと笑う。


「ぴったりじゃん」


 この題名と心意気は、海の向こうの人たちにも届いたのだろうか?いや、届いたからこそ、この作品は世界で一番の称号を与えられたのだ。


 そこには、こう刻まれている。


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