ホワイトノイズの部屋

高黄森哉

ホワイトノイズの部屋


 これは、私と友人と、その彼女の話です。


 その昔、大学生だったころ、私には友人がいました。名前を仮に A とします。彼は、とてもやんちゃで、たびたび、とんでもない迷惑なことをしでかします。矛盾していると思うかもしれないですが、だからこそ彼と友達でいたい、と思ったものです。それは、自由への憧れかもしれません。


 その彼には、一歳年下の彼女がいました。


 彼女とは、ナンパで知り合ったそうです。ですから A は、彼女のことを、遊び友達ならぬ、遊び彼女として考えていた節がありました。彼から彼女のことを聞くたびに、ちょっとひどいんじゃないの、と思うくらいに、相手のことを軽視していたのです。


 その年下の彼女はというと、違っていた考え方をしていたようです。彼のことを慕っているようでしたし、本気で将来を考えている様子であります。ですから、何度も、二人の間の齟齬を伝えようかと考えたものです。彼女がもし、偶然にそれを発見したなら、大きく傷つくことは明確でしたから。


 しかし、私はついにそれをしませんでした。


 無理もありません。彼女と会うとき、A は必ず傍にいましたし、それに、仮に伝えたところで、彼女は信じなかったでしょう。下心と勘違いするに決まっています。それに、A との友情が壊れることは、なんとしても避けたかった。ですから、偽善とわかりつつ、二人の奇妙な友情関係を、見て見ぬふり半分、見守り半分で、観察しておりました。それは丁度、A 自身と同じように。


 だから、これから話すのは、私と友人と、、、、、、その彼女の話なのです。


 さて、私がしなかったからといって、残酷な齟齬がばれなかったわけではありません。むしろ、彼の偽りが発覚したからこそ、種明かしを永遠に出来なくなったのです。つまり、彼と私が恣意的に訂正しなかった彼女の勘違いは、偶然によって、解かれることとなりました。


 六月の下旬。じめじめした日でした。


 A と彼の遊び女と、私と私の恋人は、ラブホテルから出てきました。その時、私たちは、ばったりと例の彼女と出くわしたのです。私はしばらく声が出ませんでした。私の恋人に、元カノかと詰められたくらいには、衝撃を受けました。しかし、当の A はというと、一つも反応せず、それどころか傍らの女と、より親密な雰囲気を演じました。


 ひどいんじゃないの。


 この言葉を、口に出来たならば、どれだけあの子の救いになったかは分かりません。私が彼側でないことを示せたなら、人数不利がありませんから。ですが、そうしなかった以上、彼女にとって、私は A の共犯でした。そう映ったに違いないのです。そうやってグルになって幸せなところを見せつけているのだとか、サディスティックな感情をもって妄想内で強姦しているのだとか。彼の遊びの共犯者なのだと勘違いされても、仕方がありません。


 彼と、年下の彼女が分かれてから、一か月か経過しました。


 私は、彼の下宿先へ呼び出されました。どうも、別れた彼女の様子がおかしい。自分の目の錯覚かもしれないから、客観的な目線が欲しい。という、名目で。扉を開けると、廃墟よりも乱雑な彼の自室が私を出迎えました。ひどいんじゃないの。と口に出したのは、今までの分も含めてのことですが、もちろん、A は文脈通りに受け取りました。


「ゴミがあるのは人がいる証拠だ。それよりも、彼女の部屋を見て欲しいんだ」


 彼の部屋は、コの字のアパートの二階です。彼女の部屋は、対面にあります。つまり、ベランダに出れば、彼女の部屋が、同じ高さにあるのです。


「色を教えて欲しい。彼女の部屋の色を」


 私は、ぞっとしました。まるで、彼女の部屋は、白黒写真のように、色を失っていたのです。窓枠のブラウン管を通して、世界を覗いているような色彩。


「白黒だ」

「良かった。俺の無意識の良心的呵責が彼女の部屋を変えてしまったのかと思った。病院へ行かなくても良さそうだな。ははは」


 ならば、真実を伝えない方が良かった。この時、色があると冗談を言ったなら、彼自身に巣くう良心の呵責を、幻視させることが出来たのに。全ては結果論です。


「なあ、中に戻ろう」


 彼の一声で、私たちは室内に戻ります。彼女が部屋に戻ってきたからです。彼女は、白装束のような服装で、顔色は白く、狂気の部屋模様に侵食されている気配もありました。私には、もはや、この世のものとは思えませんでした。


 私は去り際、もっと本質的な疑問が降ってわきました。どうして、カーテンが空いたままなのだろう。

 見せているのです。ベランダには仕切りがあり、それに突き出ていますから、対面以外は、斜めからやっと見える程度です。ですから、彼女が部屋を見せるならば、A に向けたものでしかない。おそらく、気づいて欲しかったのでしょう。貴方のいない世界は、こんなにも真っ白です、と。私はあそこに立った以上、気づく義務があった。扉を叩いて、温かいココアを飲ませる義務があった。


 しかし、私はついにそれをしませんでした。嗚呼、しかし、私はついにそれをしなかったのです。


 彼に呼び出されたのは、その二週間後でした。この二週間という数字を、どうか最後までよろしくお願いいたします。


 私はいつものように二階へ上り、そして彼の部屋から、ベランダに出ました。そこで見た光景、私は己の正気を疑いました。今度は、彼と同じように、自分が正しいのか、わからない状態に陥ったのです。つまり、彼女への良心の呵責が、目の前の映像を幻覚させているのではないかと。


「お前にも見えるのか」


 頷きます。窓枠の中は例の白黒で、加えて、砂嵐が発生していました。砂嵐とは、昔のテレビで放送されていない番号を選ぶと、流れる画面のことです。微細なモザイク模様で、絶えず、その斑点を明滅させます。


 まさにその状態。


 うっすらと部屋の景色が見えます。それは、台風の日かに、電波が弱くなって、だんだんと砂嵐へ消滅する放送に似ていました。今まさに、その最後の一瞬、という趣です。なので、ようやく A も、彼女が消える前にどうにかせねば、と考えたようです。しかし、一人では勇気が出ない。そこで、私が呼ばれた、という運びであります。


 私たちは、対面へ移動しました。コの字型なので、廊下は右に二階折れます。彼らの部屋は端っこどうしなので、一番、遠いのでした。対面なのに、いざ会うとなると遠い。この歪な位置関係は、二人の心の真実を含有しているようで、心が痛みました。


 そして、扉の前に来ます。


 呼びかけても返事はありません。ドアノブに手をかけると、ホワイトノイズがどこからか聞こえてきました。ザー、ザッザッザ、ザー、サー、ツッツ。絶え間ない、雑音の渦は、どうやら扉の向こうから漏れ出ているようです。


「合いかぎ、持ってるんだよ」


 彼は鍵を、鍵穴に差し込み、くるっと回しました。そして、扉を開くと、黒い、粒粒がうわっと押し寄せてきました。それは、耳元で猛烈な羽音を響かせます。その濁流をよくよく見てみると、それは蠅なのです。幾千の蠅が、扉から異臭とともに、すさまじい勢いで、飛び出てきたのです! ここで二週間という数字が役に立ちます。蠅が死体から孵るのが丁度、二週間なので。つまり、あの日に彼女は、、、。後悔がウジのように心を喰い始めました。

 さて、あの日、どうして、彼女がカーテンを開けていたのか。それはやはり、私たちに気づいて欲しかったからではないでしょうか。

 ただ、私たちの気を引くには、演出で、好奇心を刺激するしかなかった。彼女は丁度、ホワイトノイズが埋め尽くす頃合いに来てほしかった。こう、言い直した方がいいかもしれません。見つけて欲しかった、と。


 心に碇を降ろすような、最悪の形で。

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ホワイトノイズの部屋 高黄森哉 @kamikawa2001

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