僕は今宵も月に恋をする

水定ゆう

僕は今宵の月に恋をする

 俺、東新太郎あずましんたろうは恋をしている。


 今までこんな経験をしたことはなかったけれど、今は胸がドキドキしている。


 相手は西宮月夜にしみやつくよ。同じ中学に通う同級生だ。

 黒髪ロング、長身でスタイルが良く、おまけに美人。いわゆる高嶺の花と言うやつで、俺とは全然違う。


 しかしそんな少女と今俺はすぐ近くにいた。なんと真横、団子を食べながら一緒に月見をしているのだ。


 こんな奇跡、本当に信じられるのだろうか? もしかして夢でも見ているのでは? 俺は自分の目で見えていることが頭では信じられず声を失い、ドキドキと高鳴る心臓を抑えつけるために必死だった。


「あむっ」


 団子を食べながら呑気にお月見を楽しむ西宮さんに、俺は興味津々だ。


 ついつい視線が奪われてしまい、いつ気が付かれるか分からない。


 もしもバレたらきっと気持ち悪がられる。

 だけどこんな機会は二度と来ないと思うと、胸がざわつき心臓の鼓動が蠢いてしまう。


 めちゃくちゃ吐きそう。俺は口元を覆いかけるが腕を押さえて留める。


 そもそも何でこんなことになったんだと、意味もなく記憶を辿った。


 もちろん西宮さんと約束したわけじゃない。たまたま十五夜と言うことで、小高い山の頂上まで登り大きな月を見ようとした。


 別に月が無性に好きとかじゃない。だけどこんな機会はなかなか無いと思い、できれば高い所かつ空気が極端に綺麗な場所に行きたかったのだ。


 理由はもちろん写真を撮るためだ。お小遣いを貯めて買った、一眼レフカメラを持って写真を取りに来たところまでは良かった。しかし先客が居た。それが西宮さんだった。


 どんな偶然だよと自分を呪った。

 しかし先客の存在が俺を惑わせてしまった。

 あまりにも美しい。星がチラホラと瞬く夜空に浮かぶ巨大な月。


 その他周りには余計な灯りはなく、ベンチの上には西宮さんの姿。


 悠然とただひたすらに黙々と団子を食べる。その様子が一段と目を惹き、俺の心を走らせる。

 まさしく羞花閉月しゅうかへいげつ。花も恥じらわせ、月すらも隠してしまう。

 圧倒的な存在感を放っていたのだ。


「綺麗」


 被写体にはこれ以上のものは無い。

 月も全てが西宮さんのための背景でしかない。

 存在感を引き立たせていて、自然とカメラを構えていると、西宮さんとレンズ越しに目が合った。


「あっ!?」


 ついつい声を出してしまった。

 マズい、勝手に撮ろうとして嫌われた。

 そう思って人生の終わりを確信する。中学生活はこれで終わった。

 勝手に想像して落胆していると、何故か西宮さんは手招きをする。


「えっ?」

「こっち来たら?」


 嘘だろ。俺は放心状態になってしまった。


 しかし西宮さんを待たせてはいけない。

 そう思ったのか、体が意識をする前に先行して勝手に動いていた。


 自然とベンチにスペースが空いている。横に座るように手招きをされると、俺はそこにちょこんと借りてきた猫みたいになって座った。


 一眼レフカメラをギュッとして安心感を求めている。

 そんな状態が今だ。これが既に五分近く経っており、その間西宮さんはずっと団子を食べ続けていた。まさしく底なしだった。


「あむっ」


 一体いつまで食べているんだろう。

 それに如何して俺を隣に?


 浅ましいことは考えていられない。頭の中をグルグルと環状線の様に駆け回る疑問に押し潰されそうになる。

 息苦しい。胸が締め付けられるとはまさにこのことだ。

 頬が赤らみ俯いていると、西宮さんは声を掛けてくれた。


「月、綺麗だよね」


 俺は顔を上げた。隣には月を見つめながらお月見を楽しむ西宮さんの姿がある。

 それからまだ手を付けていない団子を一つ取ると、俺に差し出してくれた。


「食べる?」

「う、うん……」

 

 もちろん俺に断る理由などなかった。

 緊張してしまい、硬直したままの手を差し出すと、その上に白い団子を乗せてくれる。

 何て優しいんだ。俺はボソボソ唱えた。


「ありがとう」

「如何いたしまして。あむっ」


 俺は貰った団子をしばし観察していた。

 食べるのがもったいなくて、つい手が止まってしまうと、西宮さんが呟く。


「東君だよね。お月見しに来たの?」

「えっ!? う、うん」

「そっか」


 西宮さんは俺に訊いてくれたのに、俺はあまり良い回答ができなかった。

 しかし西宮さんは優しいので、柔らかく微笑んでくれた。

 けれどふと思ってしまった。如何して西宮さんは俺の名前を知っているんだろう。


「西宮さん、俺の名前……」

「もちろん覚えているよ。だって隣の席でしょ?」


 俺はつい訊いてしまった。するととっても納得のいく回答を貰えた。

 確かに隣の席だ。俺が窓際で、その隣が西宮さん。

 神様がくれた奇跡。俺はそう思っていたが、まさか名前まで憶えていてくれるなんて。

 嬉しくて仕方なくなり、胸がキュンキュンする。


「西宮さんもお月見?」

「うん。私、名前が月夜でしょ? だから月が大好きなんだ!」


 恥じらいの無い可愛らしい満面の笑顔を浮かべてくれた。

 この表情を独り占めして良いのだろうか。何か罰が当たるのではないかと、俺の胸が騒ぎ立てる。

 しかし西宮さんの顔が近くてそれ以上言葉が出ない。

 俺はそれでも何か言わねばと思い声を振り絞る。


「そ、そうだね」


 当たり障りもない、むしろ好感の持てない返しをしてしまった。

 ㇵッとなって気が付いたが、西宮さんは気にしていないらしい。

 胸を撫で下ろしたのも束の間。次の言葉が嵐の様に僕の心を襲った。


「西宮君、さっき私のこと撮ろうとしたよね?」

「えっ!?」


 俺はひやりとした。全身が凍り付いたかと思った。

 背筋が冷たくなり、西宮さんの方を見る。


 目と目が合った。もしかしても何も気が付いていた。これは怒られる。軽蔑される。

 俺は怖くなってしまったが、ここで嘘は付きたくないと思ったので本心を言ってしまう。


「う、うん。月が綺麗だったから」


 俺はかの有名な大先生の訳を口にした。

 きっと気が付かれた。俺は一世一代の告白をしたのだ。

 緊張でドキドキして胸が苦しい。息ができなくなり、血流が粗い。


 しんどい、早くここから居なくなりたいと心が馳せる。

 しかし西宮さんは何も言わない。もしかして聴こえていなかった? それなら良かったと胸を撫で下ろしたのも一瞬。


 西宮さんは満を持して口を開く。


「そうだね。月は綺麗だよね」


 えっ? 俺は顔を上げた。

 西宮さんは頬も赤らめていない。もしかして意味が伝わっていない?

 俺は瞬きをして一応念のため尋ねる。


「西宮さん、月が綺麗ですね」

「うん、月は綺麗だよね」


 西谷さんは何事もなさそうに、もの凄く当たり前のように振舞う。

 どうやら俺の目論見は外れてしまったらしい。

 俺の一世一代の告白は失敗に終わった。ショックだった。これは凹むと、心が折れそうだった。


「はぁー」

「如何したの?」

「なんでもないよ」


 俺の落ち込みに西宮さんは反応する。

 しかし迷惑を掛けたくないので黙っておく。こんなこと本人に知って欲しくない。

 けれど俺が首を垂れていると、西宮さんはそっと手を握ってくれた。

 それから顔を上げた俺にこう言う。


「ねぇ、私の写真撮って! 月をバックに、そのカメラで!」


 西宮さんは俺のカメラを指さす。

 まだ一度も撮ったこともない新品の一眼レフカメラだ。

 結構高かった。大事にしようと思ってずっと保管していた。

 そのカメラに最初に写るのが西宮さんなんて、なんて偶然なんだろう。

 若しかしてこれは仕組まれていたこと? 必然なのではないかと胸を躍らせた。


「撮ってもいいの?」

「もちろん。私が撮って欲しいんだから!」


 嬉しかった。自分のことを求めてくれていた。

 だけど今はまだカメラマンとしてだ。

 それでも嫌われたわけじゃないだけで安心する。


 俺はそっとベンチを立ち上がる。

 少し離れると西宮さんはポーズを決めていた。


「じゃあ撮るよ!」

「いいよ!」


 西宮さんをレンズで捉える。本当に美しい。月が背景の一部として、西宮さんのことを惹き立てる。


 ゴクリと喉を鳴らした。

 まだ意図は伝わってはいない。だけどまだこれから。俺にはチャンスがある。


 その笑顔を、本当の意味で俺俺だけのものにしたい。

 変態かもしれない、ストーカーかもしれない。それでもこの感情は本物で、西宮さんはとっても綺麗。

 月は綺麗だと、改めて俺の中で固まったまま、カメラのピントを絞りつつ、シャッターを切った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

僕は今宵も月に恋をする 水定ゆう @mizusadayou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ