第3話 反権力だった松本人志が権力者側になった結果

 前回の話で、この連載終わろうと思ってたんです。

 けど、ついでに一つだけ。

 これは言っておこうかなと思って。


 松本人志さんって、元々は「反権力」側の人だったんですよ。


 横山やすしを馬鹿にして。

 桂文枝を馬鹿にして。

 笑点を馬鹿にして。


 当時の権威だったものをおとしめてきた新時代のスターだったんですよね。

 また、それが新自由主義を迎合げいごうしていた当時の日本社会の雰囲気ともマッチしていたんです。

 言ってみればサブカル的だったんですね。


『エヴァンゲリオン』

『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで』


 この2つのタイトルが、2000年頃のTSUTAYAのレンタルビデオのラックを埋め尽くしてました。

 あとはゴダールとかですね、当時流行ってたサブカルは。

 演劇だと大人計画とかもかな。

 バンドだとゆらゆら帝国とかフィッシュマンズとか。

 ヒップホップだとNITRO MICROPHONE UNDERGROUNDとか。

 原宿系、裏原ってのも流行ってましたね。

 とにかくストリートからどんどん新しい文化が湧いて出てきてた時代で、ダウンタウンもその中のひとつのコンテンツって感じだったんです。

 アダルト方面だとソフトオンデマンドが台頭してきたのもこの頃だったかも。

 あとはバクシーシ山下とか。

 漫画だとガロやフィールヤング、雑誌だとGON! やQuick Japanとかですね。


 はい、本筋に戻ります。


 大阪、心斎橋二丁目劇場からローカル生放送を中心に一斉に広まっていたダウンタウンの熱狂の渦は、『ガキ使』『ごっつええ感じ』という2番組をもって日本全国に広まっていきます。


 さぁ、ここが反権力芸人の、松本人志の運命の分かれ道です。



『ダウンタウンのごっつええ感じ』



 日曜の夜八時から全国放送されていた番組。

 裏番組は当時の最強バラエティー番組『ビートたけしの元気が出るテレビ』

 視聴率は互角。

 途中から『ごっつ』の方が上回りました。

 でも、それはビートたけしさんがバイク事故に遭って、番組に出られなくなったからなんですよね。

 松本人志とビートたけしの一騎打ち。

 結果は松本人志の不戦勝。


 不戦勝。


 なんですが、松本人志ファンのボクから言わせてもらえば完全に松本人志さんの負けです。

 ファンだから、ずっと『ごっつ』を熱心に見てきてたからわかるんですが。

 面白くないんですよ、終わりの頃って、明らかに。

 別に責めてるわけじゃないんです。

 悪口言ってるわけじゃないんです。

 そもそも無理なんですよ、週に何本も面白いコントを作り続けることなんて。


 しかも。

 反権力的で。

 尖ってて。

 ニューウェーブなものを。


 そんなコントを約6年間もずっと作り続けてきたってだけで松本人志はまごうなき天才です。


 でも。


 それでも勝てなかったんです、ビートたけしに。


 しかも相手はバイク事故での死のふちからの生還。

 かっこよすぎないですか?

 カリスマって感じですよ、ほんとに。


 そんなカリスマに勝つことの出来なかった松本人志さん。

 演者としてずっと『ガキの使い』を続ける一方、映画監督や司会者、コメンテーター、プロデューサー業へとスタンスを移していきます。

 その過程で、完全に失われてしまいました。

 彼の『反権力性』という持ち味が。


 権力者側になってしまいましたからね。



 ということで。

 さぁ、松本人志さんは権力者側になりました。

 時の総理とも二人でお食事をするようにもなりました。

 事務所も大きくなって主要テレビ局の株を買い占めました。

 その会社の代表以下全員が、自分にへーこらしてきます。

 圧倒的な権力者。


 なろう小説の主人公かな?


 くらいの地位まで上り詰めた松本人志。

 なんでも出来ます。

 さぁ、なにをしましょう?


 なろう小説であれば、世界各国の重鎮が自分の前に一堂にひざまづいているような状況です。


 そこで彼のやったことは『M1グランプリ』『IPPONグランプリ』『ドキュメンタル』などのコンテンツの立ち上げです。

 全部素晴らしいコンテンツですよね。

 やり手プロデューサーですね。

 まさに天才松本人志って感じです。


 ただ。

 ただね……。

 そこにね……。

 ないんですよ、支配者側に立つべき人物が持っていなくてはならないものが。

 それは。


 知性。

 教養。

 品性。

 慈悲。

 正しい社会規範。


 などです。

 松本人志は笑いの天才。

 笑いにかけては右に出るものなし。

 ただ。

 権力者、支配者としては絶望的に資質が欠けてるんです。

 そして、それの差が一番明確めいかくあらわれたのが、超えられなかったビートたけしさんとの直接対決なんですよね。(個人的見解)


 時代を経てから見返して面白いコントは、残念ながら『ごっつ』よりも『ひょうきん族』や『ドリフ』だと思うし。

 時代を経てから見返して面白いコーナーは『水ダウ』よりも『元気が出るテレビ』や『ASAYAN』なんですよね。(個人的意見)


 それは、時代を超えてなお伝わる「王道」、つまり普遍性が存在してるからです。

 そして普遍性の中にピリリと光るのが知性、教養、品性、慈悲、社会規範なんかの要素だったりするわけなんです。

 王道をそのままやっても何も面白くないですからね。

 そこの味付けの要素がそれらってわけです。


 横山やすしはダウンタウンの漫才を見てこう言いました。


「ただのチンピラの立ち話やないかい」


 この発言にダウンタウンは怒ってましたし、当時はボクも「横山やすし、この面白さがわからないなんて終わったな」と思いました。


 でも、それから令和という時代になった今、見返してみると。


 あぁ、やっぱりダウンタウンの漫才ってチンピラの立ち話だったなぁ。


 と、しみじみ思います。


 悪い意味だけじゃないんです。

 いい意味も含めてです。

 だって、今のYouTube(特にショート動画)とかってチンピラの立ち話とか、チンピラの内輪ネタとか、そんなのばっかじゃないですか。

 そもそも面白いんですよ、チンピラって。

 魅力的な人が多いんです。

 ぶっ飛んでたりするし、鬱陶うっとうしい建前たてまえなんか抜きで立ち振る舞うから。

 そして、そんな現代の彼ら若者の立ち振舞いにも多大に影響を与えてるんです、ダウンタウンは。


 そう、ダウンタウンの漫才は「めちゃめちゃ面白いチンピラの立ち話」なんです。


 でも、だからこそ、チンピラが権力者側に立っちゃダメなんですよね。

 島田紳助、失脚しました。当然です。

 ◯◯◯◯◯、なぜかまだ続いてます。謎です。

 横山やすし、ヤクザとの付き合いを隠さなかった彼の生き方は褒められるものではないにしろ、一貫いっかんした破滅型の生き様にはロマンを感じざるを得ません。


 ここまで読んだみなさんは思うかもしれません。

 「で、結局何が言いたかったの?」

 「ただ松本人志の悪口言いたかっただけ?」


 いえいえ、そうじゃないんです。

 松本人志はまごうことなき天才。

 ただ、今は権力者側となって醜態を晒すようになってしまった彼を「吉本の中から」、かつて彼がしてきたようにおとしめ、笑いに変える芸人が出てこないのが、今の吉本興業の不健全さをあらわしてるなぁと感じるんです。


 思いません?

 そろそろ出てきてもいいと思いませんか?

 時代のニュースター。

 松本人志を過去にするような、そんな新しいスターが吉本から出てきてほしいなぁ。

 一瞬でも所属してた身からすると、そう思えてなりません。


 と、元芸人としてというよりは、元松本人志ファンとして、お笑い芸人が──出来れば吉本興業の芸人が、彼に引導を渡してあげてほしいなぁと思います。

 松本人志氏が。

 横山やすしにしてきたように。

 桂文枝にしてきたように。

 笑点にしてきたように。

 それがお笑いを次の世代に繋げていく、芸人として出来る最後の役目だと思うので。


 勘違いされると困るのですが、ボクが言ってるのは。

「まっちゃんはやった、やってない」の話ではなく。

「さすがにここらへんが潮時しおどきやろ、おつかれ」という気持ちなんです。


 なんだろう。

『ごっつええ感じ』の最後の方を見てた時の感覚。

「芸人・松本人志」がエンディングに向かっていってるな、という肌で感じる空気感。


 そして。


 最後に元松本人志ファンとして言わせてもらえれば。


 出来れば。


 できれば。


 すべてを失った松本人志が、反権力者アンチ・オーソリティーとして、もう一度どん底から這い上がる姿が……見たいなぁ。


 そう思ってしまうんです。

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ボクがよしもとのお笑い芸人だった頃の話 祝井愛出汰 @westend

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