温泉に行くまでにあった話

新座遊

そりゃ買うさ、だって当たるもの

また、宝くじを買ってしまった。

期待値が5割を切る偶然に幾ばくかのお金をかける。確率分布の右端に夢を乗せて。

確率が収束するまでの期間、大金持ちになった気分で、その当選金の使い道を考える。楽しい。

着実に金を増やすには、そもそも金持ちであるか、もしくは社会的信用度が高くないと始まらない。唯一、現時点で何も持っていない人間に、金持ちの可能性を示すものが、宝くじなのである。


仕事は、インフラ保守、つまりAIボットが管理するトンネルの保守責任者である。責任者と言っても、ロボットに責任を負わすわけにはいかないから、人間に責任の所在を割り当てる必要があるというだけの理由で請け負っているのであり、保守業務に精通しているわけではない。

AIからの警報を受けて、提案された対処案を承認するだけの仕事である。もちろん、給料は安い。ベーシックインカムに色を付けた程度のお給金である。特に人気の仕事というわけでもない。

つまるところ、AIからの連絡を受ける状態であれば在宅勤務であろうが、旅行していようが関係ないのであり、今も関東近郊の山道を歩いている。

冬山は命の危険があるので、本格的な登山はしない。電脳ペットを引き連れて雪を踏みしめて、宿からちょっと離れた温泉に向かう途中である。気楽なもんだ。電脳ペットはセキュリティ機能万全で、熊が近づいてきたら吠えて教えてくれる。なんなら、実際のスピーカー経由で熊に威嚇の唸り声をあげるくらいのことはしてくれる。


と、突然、目の前10メートルくらい先に、目にもとまらぬ速さで何かが落ちてきて地面に穴をあけた。

空を見上げるも、飛行機雲すらなく、レイリー散乱の青空だけである。何かが何かを落としたという形跡もない。

これはどうしたことか。先を歩く電脳ペットの数メートル先に穴が開いている。

電脳ペットはグラス越しに見えるARキャラクターであり、版権フリーの安物である。現実世界には実態がないので、もしそれに当たったとしても死ぬことはないが、それにしても危険予知で警告を発してくれてもよさそうなものだ。相手が熊じゃなくても、それなりに衛星軌道からのセンシングで広範囲に危険を察知するはずなのだが。

「何が起きたんだ」と聞くと、ペットが答える。

「流星群の季節だから、破片が地上に引き寄せられたんじゃないかと思うワン」

「予知できなかったのか」

「いや、予知はしたけど、当たる確率は極めて低かったので、放置したワン」

「いや、結構近くに落ちたよな。衝突の誤差範囲というか、ちょっと突入条件に揺らぎがあったら、当たってたぞ」

「気にするなだワン。結局当たってないワン。杞憂の典型例だワン」

「ちなみに、当たる確率はどのくらいだったんだ」

「さっき買った宝くじで特等当選する確率よりちょっと低いワン。つまり当たらないワン」

「そのくせ、さっきは宝くじ購入を強く勧めてくれたよな。矛盾じゃないか」

「違いがあるワン。宝くじは当たれば人生が始まるし、隕石は当たれば人生が終わるワン。どっちを選ぶか、火を見るより明らかだワン」

「いや、意味わからん」


そこに、熊が現れる。しかし電脳ペットは警告を発しない。これはもしやセンサーに問題が発生したのか。

「ちょっと待て。熊が出たぞ。吠えて追い返せ」

「ああ、この熊は、安全だワン。人間に被害を与えないようにアシモフ流の工学三原則に従っているワン」

「え。ロボットの熊か」

熊が答える。

「ガオー、熊は熊でも電脳熊だガオー」

ARグラスを外すと、電脳ペットとともに、熊も姿を消す。隕石の穴がリアルに見える。隕石は実態を伴っていたことがわかる。グラスをかけなおす。

「ガオー、喋っているときにグラス外すのは失礼だガオー。気を付けるんだガオー」

つまるところ電脳ペットとおなじく、電脳熊、ということらしい。

「それはそうと、人前に現れるのは何か意図があると思われるが、何しに出てきた」


そこに、仙人が現れる。仙人かどうか知らないが、仙人っぽい服装で、仙人っぽい佇まいだから、まあ仙人だろう。ベーシックインカムだけで生活しているタイプの人だ。

「わしの作った電脳熊じゃ。リアルじゃろう。ヒグマっぽい姿に作りこんだ力作じゃね。温泉に案内してしんぜよう」

「電脳世界にとやかく文句を言いたくないけど、この地方ならツキノワグマくらいにしておけばよさそうなもんなのに」

「月はダメじゃ。ムーンショット目標を思い出して辛くなる」

どうやら若いころに苦労したので、隠遁したと想像できた。


突然、電脳ペットが吠え始めた。故障か、とも思ったが、今度は本気度が強い気がする。見ると、また熊が出現した。冬ごもりしない熊。これは腹減っているんじゃなかろうか。試しにグラスを取って直視してみたが、消えることはなく、より現実的な色合いでゆっくり近づいてくる。これは本物の熊だ。

ついでに仙人も消えていた。

え~、仙人も電脳世界の住人だったのかよ~。

つまり、実際に熊と対峙しているのはわずか一人だけってことになる。電脳ペットと電脳熊と電脳仙人は戦力にならないっぽい。


「あ、ご安心ください。私は熊の姿をしていますが、人間です。もうちょっと言うと、人間の権利を取得した熊です」


自分の現実世界の身体性と心の在り方にギャップがある人の種類が増えているとは知っていたが、まさか熊にアイデンティティを感じる人が居るとは思わなかった。

と、思ったのが知らず口に出ていたのか、その呟きを聞いた熊が否定した。

「いや、そっち系ではなく、熊が人間の知性をAIチップのサポートで取得できたものであり、また実験段階のものではありますが、特例で人権を与えられております」

「えええ、なんか倫理的に問題ありそうな話だなあ」

「もとは軍事目的の研究ですので、倫理上の問題は優先度が下げられているのですな」

「なるほど、徴兵できる若者の数が減っているとは思っていたが、動物を徴兵しようっていう算段か」

「その通りです。そろそろ戦争が始まるってことで、突貫開発しているところですね。その第一ロットというわけです」


そこで突然、聞きなれない警報が鳴り響く。いわゆる空襲警報というやつではなかろうか。

近くのトンネルまで走って逃げる。実際に走るのは人間一人と熊一人。あとは電脳世界でそれっぽく動くだけ。


このトンネルを抜けると目的の温泉なのだが、とにかく様子を伺うために空から見通せない場所に隠れる。

このトンネル、管轄外のものだが、恥ずかしながら素人目にもよくできているように感じる。専門用語を知らないので、どこがどうっていうことも言えないのだが、トンネル保守責任者としての勘みたいなものかな。


「ああ、どうやらジャミングが始まったようですね。本格的な戦争の予兆です。熊兵士を今のうちに殲滅しようとする特殊部隊でも来ているのかも知れません」

熊が冷静に現状を説明する。

「電波止まったら電脳世界もAIも使えなくなるんじゃないのか」

「そんなときのために、このトンネルには有線伝送が優先的に張られているんですよ。よっと」トンネルの壁にある小さい扉を開けて、熊は2本のケーブルを取り出す。「これをグラスの端子に接続してください。電波がジャミングされても大丈夫です」


トンネルの入り口から見える青空に、何やら黒い影がちらほらと。

「国籍不明の爆撃機」と熊が有線電話でどこかに話している。こいつは本当に兵士なのかも知れない。電脳ペットと電脳熊と電脳仙人は、それぞれ壁際に近寄って身を寄せ合っているが、たぶんこの場で一番安全な立場のはずである。忌々しい。


壁のボタンを複雑に操作して、熊がトンネルの横から飛行機を取り出した。ギミックありすぎのトンネルである。こんなのメンテナンスできんわ、と独り言ちる。

熊は飛行機に搭乗する。してみるとこのトンネルは、トンネル風の掩体壕だったと考えるべきだろう。そこまでこの国は戦争の危険があったとはね。知らぬが仏だ。


エンジンを吹かし、熊は短距離離着陸機を操縦して、上空の黒い影を追う。死ぬなよ、と熊に祈る。よく見ると飛行機にはトンネルから延びるワイヤーがくっついていて、飛行中も有線伝送でAIが機能するように出来ていたが、なんかこうジャミング対策としては単純すぎないか、とも思う。

戦闘が始まりドッグファイトでクルクルと空中を飛び回る。ワイヤーがスパゲッティのようにこんがらがってきて、機動性の足かせになりつつある。

あ、ワイヤーが切れた。あとはスタンドアローンAIと熊の本能がどこまでやれるか次第。


空中戦を制して、熊が戻ってきた。戦士の帰還。待ち受けていると、キャノピーから降りてきた熊が襲ってきた。戦闘中の興奮が冷めやらぬ様子か。


いや違う。AIが機能しなくなって熊の本能が勝った状態にあるのだ。もしかして人間を襲う類の熊さんですか。電脳ペットと電脳熊はなすすべなく人間が襲われるところを眺めるだけ。電脳仙人は、というと、電脳ペットのやろうから、宝くじのチケットを受け渡してもらっていた。

「ちょっと見てないで、なんとかしてくれないか」

「今仙人様に、現実の警備兵を呼んでもらったので、あとちょっと逃げ回ってほしいワン」

「それの対価が宝くじかよ」

「どうせ当たらないワン。命のほうが大事だワン」


一か月後。病院にて。

瀕死の重傷を負ったが、かろうじて意識を保持することができた。身体はボロボロで、人間の身体を取り戻すには、もっと金も時間もかかるとのことで、暫定的に熊の身体を借りることになった。手術費、入院費のあてはない。どうしたもんかな。と思っていると、電脳仙人が病室に入ってきた。いや、今はグラスをしていないから、リアルの仙人なのだろう。手には莫大なクレジットがあった。

「あの宝くじが当たったのか、あるいは軍からの見舞金なのかを明かすつもりはないが、この金で病院に金を払えば退院できるじゃろう」


俺は人間の身体を取り戻すために、熊軍団の一員となり、日々、訓練に明け暮れている。

で、宝くじは当選したんだろうか?














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