第2話

 中学に入学してからそれは始まった。ほんの些細なことからだった。彼ら三人が、クラスの女子を揶揄っていた。女子が泣くのを見て、僕は彼女に駆け寄り声をかけた。ただ、それだけだった。こんなことがきっかけになるなんて思わなかった。次の日、上靴がトイレの便器の水に浸かっていた。トイレに入れば閉じ込められ、体育着は花壇に埋められ墓石に名前を書かれた。教科書を開けば、口に出すのも憚れるような下品な罵りが書かれていた。日に日に心は抉られ、僕の憔悴した姿を見ては、くすくすと笑いが聞こえた。僕が声をかけた女子は、俯き何も言わないし、何もしない。ターゲットが僕に変わったことで、彼女への揶揄いは無くなったのかもしれない。僕は、この状況を三年間も耐えられるだろうか? どこまで耐えられるだろうか? その後も、彼らの行動は過激さを増し、背中をコンパスの針で刺されたり、放課後、サンドバッグがわりにと殴られ、蹴られた。

 あんな奴ら、みんな死ねばいい。


「さあ、答えて。幸せになりたい?」

 男は同じ質問をした。僕は、拳を握り締めながら、

「幸せになりたい? ふざけんなよ! 幸せになんかなれないよ! あいつらがいる限り! 幸せになりたいかって⁈ 誰だって、幸せになりたいに決まっている! 僕だって、僕だって、幸せになりたい……」

 悔しさが滲み出て、涙をこらえて僕は答えた。

「契約は成立した」

 男はにこやかに微笑んでそう言った。

「契約? 僕にはお金は払えない」

「心配は要らないよ。報酬はお金じゃないから。君からは何も奪わないよ」

 男は妖しく笑みを浮かべた。

「さて、私は君の依頼に答えて、遂行しに行くから、君はもう、帰っていいよ。それじゃあ、さようなら」

 と言ったが、

「そうそう。言い忘れていましたが、依頼は一生に一度だけだから、会うのは今日が最後だよ」

 と付け加えて、彼は笑顔で僕を見送った。


「あのー」

 やっぱり、色々気になって、彼にもっと詳しく説明を求めようと振り返った。すると、扉は閉まっていて、表示は無くなっていた。訳が分からず、ドアノブを回したが、鍵がかかっている。

「あのー」

 扉を叩いて、彼を呼んだが返事はなかった。まるで、そこには最初から何もなかったかのようだ。

「どうしましたか?」

 狭い階段を上がって来た男が僕にたずねた。

「ここの人に話があって」

 と僕が言うと、男は怪訝な表情を浮かべ、

「ここはずっと空き室だよ。俺はここの管理を頼まれているから、嘘じゃないよ」

 と言った。狐に抓まれたような気分だったが、僕は諦めてそのビルを出た。

「そうだ」

 あの紙はポケットへ戻したはずだ。しかし、それはどこにもなかった。どうなっているのか訳が分からない。今から学校に行っても、だいぶ遅刻だが、他に行くところもない。


 学校へ向かうとき、サイレンを鳴らし、赤色灯をグルグルと回して、救急車が走り過ぎていった。向かった先は僕の通う中学校だった。何かあったのか? 少し早歩きをして、救急隊員の向かう先へと追いかけるように向かった。そこには、既に人だかりが出来ていて、救急隊員が彼らをかき分けていった。僕も人をかき分け、そこに何があるのかを確かめた。倒れていたのは、僕を虐めていた主犯格だった。首が捩れ、手足の関節があらぬ方向へと曲がっていた。目は見開き、顎が外れてありえないくらいに口が開き、頭は割れて血と脳みそが飛び散っていた。誰が見てもすでに死んでいた。

 

死ねばいいと思っていた嫌いな奴が死んだことに、まったく喜びはなかった。


 こんな事故があり、僕の遅刻なんて、咎められることもなく、緊急事態という事で、生徒はそのまま家に帰された。その夜、学校に保護者が集められ、学校側からの説明とお詫びの会が行われた。


 次の日は休校で、自宅学習となった。母は仕事があり、僕の昼ごはんの支度をして、出かけて行った。一日家に居ても暇だった。少しくらい出かけてもいいだろう。そう思い、自転車で近くの本屋まで行った。その途中、何やらまた人だかりがあり、サイレンの音も聞こえてきた。

「まさかな」

 僕を虐めていた奴がまだ二人いる。彼らの身にも、同じようなことが起こるなんてことはないだろう。そう思った。しかし、人だかりに近づいて見ると、用水路の樋門ひもんの上に突き出た軸に人が刺さっていた。苦痛の表情で固まり、息絶えている事は見て分かった。

「嘘だろ?」

 こいつも、僕を虐めていた一人だった。僕はあれほど苦痛だったいじめを受けて、こいつらみんな死ねばいいなんて思ったが、こんなことは僕の望んだことじゃなかった。あの妖しげな男が言った、「契約成立」「報酬はお金じゃない」と言う言葉が、今は恐ろしくなった。僕も命を取られるのか? けれど、こうも言っていた。「君からは何も奪わない」と。報酬にあいつらの命を奪ったという事なのか? だとしたら、なんて恐ろしい。二人死んだが、もう一人いる。探さなくては、僕はそう思った。あんなに嫌いだったが、なにも、こんな風に殺されることはないと、僕の中の良心が言っている。どこにいるかも分からないが、とにかく、僕は自転車を走らせた。


 救急車が僕の隣を走り過ぎていった。けたたましいサイレンが耳をつんざき、赤色灯が僕を照らした。僕はその救急車を追いかけた。その先でも、同じように人だかりができていた。

「遅かった」

 沼地から引きずり出され、泥にまみれて、誰だか分からない人がストレッチャーに乗せられたが、あれは既に死んでいると、僕にも分かった。


 僕はなんてことをしたんだ。幸せになりたいと望んだことが、まさかこんなことになるなんて。けれど、僕は彼らがいなくなって、幸せな日々を送ることが出来た。母は何も知らずに、いつもと変わらず幸せそうだ。これで良かったのかもしれない。


 強い風が吹き、チラシが飛ばされ空を舞った。そこにはこう書かれていた。

『あなたの幸せのお手伝いをするために、全国どこへでも伺います。不幸のどん底にいるあなたの元へ。幸せ代行人』

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幸せ代行人 白兎 @hakuto-i

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