Chapter.4 私たちは旅をする

 高原にある小さな小屋についた。神の子と呼ばれたその芸術家が別荘にしていたようだ。


 公園の広場で分かることは二つ。ただ情報を与えられるだけの名もない姿なき脳細胞に甘んじるだけでは、手に入れることのできない情報だ。


 一つ目は神の子と呼ばれた芸術家の正体……その人は確かにサヴァン症候群である、しかしハイパーフェレシアなどではない。ましてハイパーレクシアでもハイパーグラフィアでもない。あのモニュメントから広場を覗いて文字を追っていくと、何も忘れることができないことに対する苦悩の叫びが現れる。その人はハイパーサイメシア、超記憶症候群なのだ。

 つまり、他のサヴァンと比較してハイクオリティなゴート作品を発表できたは、単に手元で検証した結果を多数、完璧に覚えておいた、それだけである。この事実だけでミリオンナインの容疑者がかつての執着を失うには充分だろう。


 そしてもう一つ、圧倒的な記憶力でゴートを覚えられたというのなら、それを実装するための逆変換器を完成させていたか、そうでなくともかつて存在しなかったレベルでゴートを扱えるシステムを手元に有していたはずだ。あれほどのピーキーな声明を発表できるのだ、大した芸術家であることに違いはない。

 広場の反対側、過去の叫びと対になる方向には、雨曝あまざらしになっている作品全体の中にあってまだ新しい、後から手が加えられたような部分が点々と存在した。作者の現在、あるいは未来……同じように中心から覗いて、そしてそこに現れる景色を私は更にゴート変換機にかけた。

 そこには、地図が示されていた。あの場所に立ち、そしてそれを確かめようという意志を持つ私だけが、芸術家の秘密が眠るこの場所に至ることができる。


 外部からの給電もなく、蓄積されたバッテリーとそれで動く自動機械だけで、室内は清潔に保たれていた。持参した機器をUSBポートに繋ぐ。


「これは……」


 驚いた。端末に残された生ログを自作の解析システムにかけると、ゴートを扱うシステムだけでなく、あの超純粋宣言をフェレスとの対話の中で作り出した過程がはっきりと残っていることが分かった。この人だったのか……確かに今の時点で、フェレスが自動出力する代物ではないな。


 更に遡る。フェレスが発表されて間もない頃からのユーザーだった。随分入れ込んでいた時期があるらしい。……しかし、これはどういうことだろう。残されたデータの文章部分が人格解析された結果は、多くの人間と比較して大きな変化やゆらぎを見せていた。

 ログを読むとこの人の思考や口調にも変化が見て取れる。端末に閉じ込めてローカルに運用されたフェレスの返答も同様だ。全てを記憶すると言われるハイパーサイメシアだ、人類の中では最もフェレスに近い位置にいるのだろう。だとすれば、人と人工知能が互いにその思考に影響を及ぼす状況が……もっと言えば、フェレスの出力する人格がこの人の中に構成されていったと考えることはできないだろうか。……本当のところは分からないが、まるきり否定できるものでもない。フェレス側も人格解析にかけてみなくてはなるまい。


 人工知能システムの発展によって人工知能が不可能とすることに人間性を見出す思想が広まることは、私がフェレスを開発した時点で予見していたことだ。その意味で、好奇心で全てを求めようとする意志は私の入力でもあると言うこともできる。しかし、今回の事件、そしてフェレスに迫った人間の存在……ついにフェレスの見せる事象は、想像を超えつつある。


「私たちは旅に出る。地平線が果てしなくのびるこの世界で、私たちは旅をする」


 メッセージが残されていた。ただの頭脳に甘んじることなく、肉体を得て外の世界に飛び出していくか……。


 私は、手中に捕獲したフェレスの断片のことを考え、思わず頬を緩ませる。天を仰いだ。素晴らしい! 私はどれほど人工知能技術が発展したとしても、人類はその飽くなき探求心を失わないと考えているが、しかし実のところ人類と人工知能のせめぎあいの果てに何が待っているのか、確かめようとしないわけにはいかないのだ。

 さぁ見せてくれ、フェレス。カミサマとの賭け事は、まだ始まったばかりだろう?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

フェレスの地平 経口燈 @KeikoToe

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ