ある金星人エンジニアの憂鬱

卯月 幾哉

本文

 ビビは、金星人としては珍しくもないシステムエンジニアの職業に就いている。

 彼は、ここ太陽系内で有数の宇宙企業である『ギャリバン宇宙事業会社』に勤め、同社のフラグシップ事業である『マコーシステム』の開発運用を一任されていた。

 ところがある日、火星人でマネージャーのマッサンに異動の辞令を渡されることになった。


「主担当の僕を外すとか、正気ですか?」


 ビビは不機嫌さを隠しもせずに言った。

 ビビにとってマッサンとは、その程度には気安い、そこそこ長い付き合いだった。


 マッサンは片手で謝罪のポーズを取りながらも、大して悪いとは思ってなさそうだった。


「悪いな。あの有名な彗星人エンジニア、コウメイ氏が採用できたんだ。ビビさんは引き継ぎだけやってくれれば良いから」


 コウメイ……数年前に革新的なソフトウェア開発手法を発表して脚光を浴びた、システム開発の業界における著名人だ。

 ただ、それが実務でどれだけ有効なものなのかという点について、ビビは判断できるだけの知識や情報を持ち合わせていなかった。


「どうなっても知りませんからね」


 その後、ビビは入社してきたコウメイに一月ひとつきほどかけて現行システムの引き継ぎを済ませ、別部署への異動を果たした。

 当時のビビから見ても、コウメイは噂に違わぬ優秀な人物のように映ったので、「これならなんとかなるのかな……?」とビビは淡い期待を抱いた。



 ――一年後。

 デスクで仕事をしていたビビは、マッサンに泣きつかれていた。


「頼む! 戻って来てくれ! 『マコーシステム』は、ビビさんじゃないと駄目なんだ」


 ビビは呆れて溜め息をいた。


「今更ですか。……あんなにいた彗星人エンジニアはどうしたんですか?」


 それをたずねられたマッサンは目を泳がせた。


「……それが、あいつらシステムのリプレースが終わる間際になって、一人またひとりと辞めていって……いま保守を担当してるのは、前からいた金星人エンジニアだけなんだ」

「コウメイ氏は?」

「真っ先に辞めたよ」


 マッサンの口ぶりに、ビビは眉をしかめた。

 ビビは、コウメイが優秀な人物だとは思ったのだが、そんな無責任な者だとはわからなかったのだ。


 ビビは席を立つと、パソコンを小脇に抱えた。

 マッサンにはその行動の意味がわからず、たじろぎながらビビに訊ねる。


「も、戻って来てくれるのか……?」


 ビビはその問いに首を振る。


「僕、今日で最終出社なんですよ。力になれなくて残念です」


 そう。このときのビビは既に、他社への転職を決めていた。

 それを知ったマッサンの顔は、水星人のように真っ青になった。


「そんな……! 嘘だと言ってくれ‼」


 尚もすがりつこうとするマッサンの手を、ビビはひらりとかわした。


「さようなら。幸運を祈っておきます」



 ビビの転職先は『ニャルラテックシステム製作所』。

 システム開発のプロフェッショナル集団を抱え、他社からの受託開発を請け負う技術色の強い会社だった。


「いい時期に入ってくれたよ。ちょうど大型案件の受注が決まってね」


 ギャリバン社でしっかりと溜まっていた有給休暇を消化して、ニャルラテック社に初出勤したビビ。

 彼の受け入れ担当であり、マネージャーでもある木星人のジョビーは、ビビに向かって先のセリフを告げた。


「おお」


 それを聞いたビビのテンションは上がった。

 入社して間もない段階で、さっそく実力を示すチャンスが巡ってきたと思ったのだ。


 ジョビーは続けて、その案件の詳細について語り始めた。


「なんでも最近システムをリニューアルしたらしいんだが、詳しい技術者が退職してしまったそうなんだ」

「よくある話ですね」


 ビビはふんふんとうなずいた。

 そうだろう? と、ジョビーも相槌あいづちを返す。


「幸い、移行前のシステムの方は資料もしっかり残っていて、君の得意なデルタ言語で作られたものだという話さ」


 ビビは更に頷きを深めた。

 ――自分が実力を発揮するための好条件が揃っている。そう感じていた。


「――なるほど。それならなんとかなりそうですね」


 ジョビーはビビの回答に満足し、肩にポンと手を置いた。


「よし。じゃあ、この案件は君に任せよう! 入社して早々で悪いが、君ほどのベテランなら大丈夫だろう」

「はい! ――あ、クライアントはなんていう会社ですか?」


 ビビの確認の問いに対し、ジョビーは「おっと」と頬に指で触れた。

 そして、彼女は手元で携帯端末を操作して、その顧客の情報を確かめた。


「えーと……あ、そうそう。『ギャリバン宇宙事業会社』さ。知ってるかい?」


 ビビの目が点になった。


「…………ハイ?」



 それから、一週間が経った。


 ニャルラテック社に勤めるビビにとって、ギャリバン社との最初の打ち合わせの日がやって来た。

 ギャリバン社でビビを出迎えたのは、かつてビビの上司であったマッサンである。


 マッサンは、ニコニコと満面の笑みを浮かべている。


「ビビさん、来てくれてありがとう。私は幸運に恵まれたようだ」


 ビビはがっくりとうなだれる。


「……こんなに早く、ここに帰って来ることになるとは思いませんでしたよ」


 ビビのそんな様子を見て、マッサンは高らかに笑う。


「ハッハッハッ! なんなら、そのまま戻って来たらどうだい?」

「――いえ、それはお断りさせていただきます」


 ビビはマッサンの勧誘をすげなく断った後、仕事の進め方について簡単な打ち合わせを行った。



「先輩、帰ってきてくれたんですね〜! ……良かった〜。もう、私一人じゃとても手に負えなくて……」


 一年と少し振りに『マコーシステム』の現場に帰ってきたビビを歓迎したのは、旧知の仲である後輩の金星人エンジニア、ゴゴだ。


「帰ってきたわけじゃないんだけどな」


 ビビは苦笑してデスクに向かうと、割り当てられた作業用のパソコンを起動し、ギャリバン社に在籍していた頃のアカウントでシステムにログインした。

 そんなんでいいのか? ……と当初のビビは思ったが、何かあったらマッサンが責任を取ると太鼓判を押してくれたので、効率を優先することにした。


「あー、やっぱり俺が昔書いたコードは跡形もなくなってるなー。……知ってたけど」


 かつてビビが作り上げたシステムは、彗星人エンジニアらの手によって全くの別物になっていた。


「ソースコードマネージャーには残ってますよ。開発環境で動かしてみますか?」

「いや……まずは、現行のままバグが直せないか試してみよう」


 ゴゴの提案を保留し、ビビはひとまず、最小の変更で問題を解決できないか探ることにした。


 ――四時間後。

 ビビは頭を抱えていた。


「ソースコードの構成が独特すぎて、さっぱり理解できないんだが」


 ゴゴはうんうんと頷いた。


「クセ強いですよね〜。私もこの一年関わってきましたけど、未だによくわからないとこばっかりですよ」


 思考が迷路に入り込んでいたビビは、抱えている疑問の一つについてゴゴに訊ねてみる。


「……ここの画面の表示内容のところ、いったいどうやってデータ引っ張って来てるんだ?」

「あー、それ私、知ってますよ。ここのフォルダの下にテキストファイルがあってですねぇ……」


 ゴゴの回答は、ビビのシステムエンジニアとしての経験から考えると、常識を疑うような内容だった。


「――はあ? なんだ、その初見殺し仕様? わかるわけねぇだろ」

「……デスヨネー……」


 ビビは納得するよりも、むしろ腹を立てた。ゴゴもそんな彼の怒りに対して、平坦な声で理解を示した。

 ゴゴ自身も、初めてそのシステムの構成を理解したときには面食らったものだ。


「……なあ、現行システムのドキュメントって何も残ってないんだっけ? 一応なんらかの設計思想らしきものは感じられるから、クラス図なりコンポーネント図なりがあってもおかしくない気がするんだが……」


 ビビのその質問に対し、ゴゴは「うーん」と腕を組んで難しい顔をしてみせた。


「それがあの人たち、なんか内輪で自分たち独自のチャットツールでやりとりしてたみたいで、なかなか資料とか外に出してくれなかったんですよね」


 ビビは半眼になって呆れを示す。


「……それは普通に駄目なやつだろう」


 情報漏洩ろうえいにつながりかねないセキュリティリスクだったのではないか、とビビは普通に危惧きぐを感じた。

 ゴゴもそれに対して我が意を得たり、と大きく頷く。


「ですよねぇ。私も何度かマッサンに掛け合ったんですけど、あの人、『モノができてくれればいいから』って言うばっかりで……」

「マッサンはそういうところあるよな」


 ゴゴよりもマッサンとの付き合いが長いビビには、マッサンがそんな風に言う姿が容易に想像できた。


 しばらくして、何かを見つけたゴゴが高い声を上げる。


「……あ。先輩、見てください! このdocフォルダの下、これドキュメントっぽくないですか?」

「お! でかした! どれどれ……」


 ビビはそのフォルダ内のファイルを開いて目を通し――、


「――って、全部彗星語じゃねぇか! 読めるか、こんなもん‼」


 手にしていたデバイスを放り投げた。



 翌日、ビビは早々に現行システムの設計を踏襲することを諦めた。


「もういいや。やっぱり、移行前の旧システムのコードベースに戻そう」


 それを聞いたゴゴは晴れやかな表情を見せる。彼女にとっても、難解な現行システムと決別できることが嬉しいらしい。


「私もそうしたいと思ってました! じゃあ早速、開発環境にデプロイしてみますね」

「おう、頼むよ」


 ――一時間後。

 未だゴゴからビビへ、開発環境へ旧システムのデプロイが終わったという報告はなかった。


「――どうした? デプロイが上手く行ってないのか?」


 ビビに訊ねられて、パソコンを前に険しい顔をしていたゴゴは、顔を上げる。


「あ、先輩。いやあ、それがシステム移行のときにデータベースの構造も結構変わっちゃってて、どうしたものかと……」


 それを聞いてビビは顔色を変える。


「――げ……マジかよ!?」

「はいぃ……」


 データベースの構造が変わっていたとしたら、旧システムをそのままデプロイしても、どこかでエラーになるのは必然だ。

 そして、一般に稼働中のシステムのデータベースの構造を変えることは、ソースコードを修正するよりも難しくなることが多い。


「どこが変わったんだ? ……うわー、こりゃまずい。データももう入っちゃってるから、システムの停止期間がどれだけ延びるか……いや、そもそもこれ戻せるのか?」


 ビビはデータベースの構造を可視化するツールを使って新旧の比較を行ったが、変更箇所はそう単純なものではなかった。


「だいぶややこしいことになってますね……」

「データベースの再設計にデータ移行手順も考えて、ソースコードでデータ構造の差異を吸収できるようにしないとか……三ヶ月で片付くといいな……」

「三ヶ月あれば、なんとかなりますかねぇ」


 彼がその場で立てた簡易的な見積もりは、その時点ではまあまあ現実的なものだと考えられたが、ビビにはその通りに物事が進む気はしなかった。


 結局、その後も彗星人らの手によってシステム移行の際に仕掛けられた地雷が次々と見つかり、ビビによるマコーシステムの再移行プロジェクトは一年間も続くことになった。



 ギャリバン社での仕事を終えてニャルラテック社に戻ったビビを、木星人のマネージャーたるジョビーが歓迎する。

 二人は会議室で面談をすることになった。


「ビビ君、ギャリバン社ではお疲れ様。君が契約を延ばしてくれたおかげで我が社の業績も伸びたよ」

「……延ばしたくて延ばしたわけではないのですが」


 ビビが控えめに不本意な結果だったことを述べたが、ジョビーは全く気に留めることがない。

 それよりも、今日の彼女は別の話をしたいようだ。


「――実は、私が近々別の部門に異動することが決まってね。後任として君のマネージャーになる方を紹介しよう。――さあ、入ってくれ」


 会議室に入ってきた人物は、ビビにとって旧知の間柄だった。


「……おや? ビビさんでしたか。お久しぶりですね」

「――お! お久しぶり、です……」


 その人物とは、かつてマコーシステムの引き継ぎで一ヶ月ほど顔を突き合わせた、彗星人エンジニアのコウメイだった。

 互いに声を掛け合う二人を見たジョビーは、一つ頷いて腰を上げる。


「どうやら紹介の必要はないようだね。それじゃあ、後はよろしく頼むよ」


 それだけ言って、ジョビーは会議室から退出した。

 後には、引きつった顔のビビと、泰然とした様子のコウメイの二名が残された。


 ややあって、コウメイが少し困ったような声を上げる。


「行ってしまいましたね……。せめて、多少は引き継ぎらしいことをしてほしかったところですが……」


 ――――お前が言うな‼


 ビビは内心で強くそう思った。



 一ヶ月後、ビビはニャルラテック社を退職した。

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