大結局

『十元』

 気づいたら、目の前にサンザシ飴が差し出されている。

 聞こえてくるのは人声、調理の音だけじゃなく爆音の音楽、目に痛いほど眩く多彩で、圧倒的な光。

『十元!』

 イラついた声に目を向ければ、薄汚れたTシャツ姿の店主が俺を睨んでいる。でっぷりした若い男、記憶の店主とは、まるで別人だった。

 俺は慌ててウエストポーチから財布を取り出し――あれ、中身がない。

 『お金がない』そう言って、俺は回れ右をする。

 目の前には、初日に見た夜市の風景がそのままあった。馬に蹴られずに済んだことにほっとしながら、時計で日付を確認する。4日経っていた。

 足早に進んでいくと、「新街夜市」の紅い電光文字が見えてきた。



 ホテルのツインルームには、使用感がなかった。スーツケースは、到着した日に俺が置いたまま動かされていないように見えた。だけど窓際に置かれたテーブルに、何かがある。

 見慣れない本が2冊、その下には紙の束。束の一番上に2つに折られたA4の紙。開くとそれはホテル名の入った便箋で、漢字、だけじゃなく、たどたどしい平仮名らしきものも混ざった文章だった。


「本買った。导游にきいて手机と信用卡使った。ごめんなさい。色々あった。もらった紙これ全部。大変。でも楽しかった。あなたも楽しいといい。お元気で」


 导游(ガイド)に訊いて、手机(携帯)と信用卡(クレジットカード)を使った!? 嘘だろう!? 

 きっと彼が昏倒している間、病院がポーチを開けて、「旅行計画書」から旅行会社に連絡したんだろう。で、現地代理店の导游が来てくれたと。


 紙束を見たら、昨日付の領収書だった。現金は本屋で使ったらしい。病院の支払いにはクレジットカードを使ったようだが、「何これ!?」驚くほど高額。

 大丈夫、保険に入ってる。それにあれは完全、相手方の過失だろう。とりあえず明日、导游に電話してみよう。

 だけどよかった、彼を助けてくれる人がいて。


 本は2冊とも、唐代に関する本のようだが、簡体字だ。読むの大変だっただろうなと思いつつ、スマホを手にする。最近使われたのは翻訳アプリ。検索履歴を見てみると、本の用語を調べた形跡があった。それから、置き手紙の作成に悩んだ様子も。

 「大変だったけど、楽しかった」は本当だったんだろう。それならよかった。俺も、大変だったけど楽しかったよ。


 俺はスマホを机に置くと、ソファーに背を預け、壱岐くんの置き土産を読み始めた。


(終)

  

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

換魂 天水しあ @si-a

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ