最終話:近くて遠かった君と

 彼女に告白されてから「二人って付き合ってるの?」と聞かれることが増えた気がする。私も彼女もそれに対して否定し続けた。彼女はどうかは分からないが、私は否定するたびに少しもどかしい気持ちになった。早く堂々と付き合ってると言いたい。好きと言いたい。言ってほしい。


 そして時は流れて、卒業の時がやってきた。式が終わるとすぐに彼女の方から会いに来てくれた。写真を撮ろうと声をかけてくれたクラスメイトに断り、彼女と一緒に席を外す。


「別に良いよ。後でも」


「式終わって速攻でこっちきたくせに何を言う」


「……この日が待ち遠しかった」


「私もだよ。……好きだよ。心愛ちゃん」


「……うん。私も。ずっと好きだよ。出会った時からずっと。……ずっと、その言葉を聞きたかった」


「待たせてごめんな」


「待たせたのはこっちだよ。……ありがとう。私が卒業するまで待っててくれて。さ、教室戻ろう」


「あ、あっさりしてるな……」


「それが聞ければ充分だから。クラスの子と写真、撮るんでしょ? 待ってるから、終わったら一緒に帰ろう」


「うん。写真撮ったらすぐ行く」


 またねと手を振り教室に戻る。すると扉を開けた瞬間「柊木さんと何話してたの?」とクラスメイトに囲まれてしまった。


「大した話じゃないよ。それより、写真撮るんだろ? さっさと撮ろうよ」


「二人さぁー、付き合ってないって散々言ってきたけど絶対両想いだったよね?」


「もしかして卒業するの待ってた?」


「あずきちゃんも柊木さんも、真面目だもんねぇ」


「撮らんなら帰っちゃうぞー」


「あー待って待って! 撮る撮る!」


 何枚か撮り直して、ようやく解放された。お幸せにねと茶化されながら教室を後にする。校門へ向かうと、彼女の他に人影が三つ。流花ちゃん、彗ちゃん、大福ちゃんだ。三人は私が来たことに気づくと「あとは二人でごゆっくり」と去っていった。


「みんなで何話してたの?」


「全員が二十歳になったら、須賀先生も含めて六人で飲みたいねって」


「先生はなんかめちゃくちゃ飲みそうだな」


「あと大福も。流花はなんか弱そうだよね」


「彗ちゃんもあんまり酔うイメージないな」


「分かる。顔色変わらなさそうだよね。でも、その前に二人で飲もうね。私が二十歳になったら。明菜さんといつも行ってたバー、連れてってよ」


「そうだな。来年の九月三日、開けとく」


「約束だよ?」


「うん。約束」


「それで……この後はどうする? うち……来る?」


「……うん。とりあえず、一旦帰ってから行くよ。ご飯用意してもらっちゃってるから」


「分かった。じゃあ待ってる」


 電車に乗り、一度家に帰って昼食を済ませてから再び家を出て彼女の家へ。インターフォンを押そうとすると、ちょうど帰ってきた彼女の母親に声をかけられた。


「こ、こんにちは」


「こんにちは。心愛のお友達?」


「はい。甘池あずきです」


「ああ、あなたが。いつも心愛がお世話になってます」


 彼女が私の家に来ることはたまにあったが、彼女の家にお邪魔するのは初めてだった。母親とも初対面だが、私のことは彼女から聞いているらしい。


「い、いえ。こちらこそ。ああえっとこれ、よければ」


「あら。わざわざありがとうございます」


 お土産を渡し、一緒に家に上がる。「お母さん、お帰り」と駆け出てきた彼女は、私が居ると思わなかったのか目を丸くした。


「ちょうどそこで会ったの」


「そ、そうなんだ……」


「ふふ。お母さん、お邪魔だったかしら?」


「べ、別に! 全然! 居てくれて構わないけど!」


「あらそう?」


「……あの、お母様、私のことは心愛ちゃんからどこまで聞いてますか?」


 どこまでの一言で察したのか、彼女の母は「歳上の同級生が居るという話は聞いていますよ」と微笑んだ。


「その歳上の同級生が私のことだって、よく分かりましたね?」


「名前も聞いていたから。聞いてなかったら、分からなかったかもしれないけど」


「こんな見た目ですもんね」


「でも、雰囲気は大人びてますよ」


「あ、ありがとうございます……」


「ふふ。そう緊張なさらないで。あなたのことは心愛から散々聞かされてるから。……心愛のこと、これからもよろしくお願いしますね」


 そのよろしくというのはどういう意味だと考えていると、彼女の母は言う。「心愛とお付き合いされているのでしょう?」と。


「……その、えっと」


「あら。違った?」


「違……わないのですがその……私は……」


「ふふ。分かってますよ。お付き合いを始めたのは今日からなのでしょう。ちゃんと、卒業するまでは待ってくださっていたのよね?」


「えっ……あ……はい……」


「なら、私からは何も言うことはありません」


「……良いんですか?」


「さっきも言ったけど、あなたのことは心愛から散々聞かされてるもの。ねー心愛」


「も、もうっ! 揶揄わないで! あずきちゃん、部屋行こ」


 心愛ちゃんはそう言うと、私の手を引いてその場から逃げるようにして部屋へ向かう。部屋に入って扉を閉めるとはぁと深いため息をついてベッドを背もたれにして座り込んだ。隣に座り、頭を預ける。驚いたのか彼女は背筋を伸ばした。


「……あの」


「……なぁに」


「……手、握って良い?」


 恐る恐る問われ、良いよと答える。床に置いた手に彼女の手が重なる。少し湿っぽくて生暖かい。緊張が伝わってくる。


「……あずきちゃん、その、恋人居たこと、無いんだよね」


「無いよ。恋愛する心の余裕なんてなかったからな」


「……キスも、したことないよね」


「……心愛ちゃんはあるの?」


「……あー……えっと……中学生の頃、彼女居たことある……」


 顔を逸らしながら申し訳なさそうに彼女は言う。キスしたことあるかという問いに対する答えはなかったが、その態度がもう答えみたいなものだ。私と出会う前の話なんだから別に申し訳なさそうにする必要はないのにと思いつつも、少し妬いてしまう。

 逸らされた彼女の顔に手を伸ばして、自分の方に向ける。気まずいのか目を合わせようとしない彼女に、私は、意を決して言う。


「じゃあ、教えてよ。キスのやり方」


 すると彼女は私の方に視線を戻した。明らかに動揺した目で私を見る。


「……教えて。どうしたら良い?」


 もう一度問うと、彼女は息を飲んだ。そして私の頬に手を伸ばし「目、閉じて」と静かに言った。目を閉じる。ドクンドクンと心音がうるさく鳴り響く。怖くないと言えば嘘になる。だけど、相手は彼女だ。きっと、酷いことはされない。

 彼女の気配が近づく。息がかかったかと思えば、唇に柔らかいものが触れて、すぐに離れる。終わったのかと思い目を開けようとすると、再び唇に柔らかいものが押し付けられた。重なっていただけの手がもぞもぞと動いて、指を撫でられる。そのまま指の隙間に入り込んできた。そしてもう片方の手は頭の後ろに添えられ、撫でるようにゆっくりと動く。思った以上に慣れた手つきに戸惑っていると、唇が離れる。終わったと思いきや、もう一度。何回する気だ。これ以上は心臓が持たないから一旦止まってくれと訴えたくて肩をとんとんと叩くと、彼女はまるで衝撃波でも喰らって吹っ飛んだかのように勢いよく私から離れた。思わず吹き出してしまう。


「ご……ごめん……その……がっつき過ぎて引いた……よね……」


「大丈夫だよ。ちょっと、息苦しかっただけ。嫌じゃないよ」


「そ、そう……なら良かった……」


 距離を保ったまま目も合わせようとしない彼女に私の方から近づく。身を寄せると、彼女は脅されたかのように勢いよく両手を上げた。その腕を下げさせて、自分の背中に導く。


「あ、あの……あんまり、甘えられると……その……困る……んだけど……」


 と言いつつも、彼女は私の背中から腕を離そうとはしない。


「……どう困るの?」


「……触りたくなっちゃう、から」


「……そうか」


「いや、そうかじゃなくて」


「……どうしても、離れなきゃ駄目か?」


 彼女の顔を見上げる。目が合うと、彼女は目を逸らして私の頭を自分の胸にしまいこんだ。ドッドッドッドッ……と、ただ事ではない重低音が響いてくる。


「……せめて、あんまり見つめないでほしい。ほんとに、限界ギリギリだから。これ以上、煽らないで」


「……分かった」


 彼女の背中に腕を回す。私を抱く腕に力がこもる。ふーと心を落ち着かせるように吐かれた震える息が肩に吹きかかる。そういう目で見られるのは嫌だった。怖かった。今も正直、少し怖い。だけど、彼女が我慢しているのを見ると、そのタガをつついて外したくなる。我慢出来なくなったらどうなるんだろうと、期待してしまう。すると期待が伝わってしまったのか、彼女の心臓の音が、さっきよりも早くなった気がした。彼女の腕を外して一旦離れる。だけど騒がしい心音は、一向に鳴り止む気配はなかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

近くて遠い君に恋をした 三郎 @sabu_saburou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説